第四章 7.新たな一面
大和屋の焼き討ちから2日、徐々に平静を取り戻していた。
そしてあたしは今、道場の拭き掃除をしている。
固く絞った雑巾で床を何往復もして、正直腕も脚もガタガタだ。
ましてこの夏の暑さの中。
汗が伝って道場の床に落ちる。
「ふう~」
あたしは雑巾を床に置き、大の字に寝そべって休憩体勢に入った。
ああ、疲れた〜
なぜこんなことをしているかと言えばそれは、大和屋の夜、勝手に屯所を抜け出した罰と、副長命令を無視して危険な行動をしたことへの罰なのだ。
あたしは当然ながら総司と土方さんにこっぴどく叱られ、土方さんからは平手打ちをもらい、罰として、道場の掃除をすることになった。
ただ、2人ともあたしをすごく心配してくれたのが伝わってきて、申し訳なかった。
2人にしたら、あたしが何でそこまで芹沢先生にぶつかっていくのか理解できないのだ。
傍若無人で、気に入らなければ手打ちにされることも覚悟しなければならないのになぜって感じなのだろう。
あたし自身にもよくわからない。
お梅さんに、”芹沢先生自身を見て”と言われたからなのか、
でもそれだけじゃないと思う。
ただうまく言えないけど。
あの大和屋の夜を冷静に考えたとき、あたしはなんて軽はずみなことをしてしまったんだろうと思う。
歴史上の”大和屋焼き討ち”がどんなものとして伝わっているのかはあたしは詳しく知らない。
ただその事件が芹沢鴨暗殺の決定打になった、としか。
でも、未来の人間のあたしが、あの事件に介入したことは間違いない事実で、
そのことがこの先未来にどんな風に影響を与えるんだろうか、と思うと、あたしは正直怖くてたまらない気分になる。
150年後の未来に伝わっている歴史では、大和屋焼き討ちのあとまで、芹沢鴨は生きていた。そのあといつかはわからないけど、試衛館派に暗殺されるんだ。
でもおとといの夜、芹沢先生はあのまま死ぬつもりだったと思う。
ただ、お梅さんが悲しむのを見たくなくて、あんな人でも芹沢先生が死んでほしくなくて、
あたしは止めた。
でもそれは偽善かもしれない。
あたしは自分の知っている歴史に無理やり進めるために芹沢先生を止めたのかもしれない。
それが正しいと信じて?
これからこんなことが幾たびも訪れるだろう。
その時、あたしは、どう行動すればいいのだろう…。
そんなことを考えて暗くなっていると、道場の戸が静かに開いて斎藤さんが入ってきた。
あたしはそれを確認するとぺこりと頭を下げた。
「お疲れ様です。」
「…何してる?」
斎藤さんは一瞬間をおいてから問いかけた。
あたしはだいぶ斎藤さんと話せるようになってきたと思う。
とはいえ、まだ、軽く挨拶するだけがほとんどなのだけれど。
「おととい、勝手に屯所を抜け出したので、罰を受けているんです。」
「…ああ、あんたは無茶をしすぎるからな、副長も沖田さんも気が気ではないのだろう。」
斎藤さんはおかしそうに言った。少し口調が柔らかだ。
「確かに心配をかけたことは反省してます。」
「あまり無茶をするな。と言っても無駄なのだろうな。」
やれやれと言った感じで斎藤さんは少し笑った。
いつもは仏頂面なのに、笑った斎藤さんは意外にも少年ぽくて、普段の老成した様子からは想像できない柔らかな空気にあたしは落ち着かなくなってしまう。だって斎藤さんのスマイルなんて超レアケースなんだもの。
「…水瀬は、男の恰好をして、髪を切って生きることに…その、ためらいはないのか。
いくら身寄りがないとはいえ、ほかに生き方はいろいろあるだろう。
なのに何故、そうまでしてここに居ようとするのだ?」
斎藤さんはふと真面目な表情に戻り、あたしに問いかける。
「さあ、あたしにもなぜそこまでするのかよくわかりません。
でもここはあたしの心の故郷なんだと思います。」
あたしはここへ来る前お父さんが言っていた事を思い出しながら言葉を紡ぎ出す。
「心の故郷?」
「心が求めてやまないんです。ここで生きることを。」
「おまえは…ときどきおかしなことを言う。
俺たちの理解が遠く及ばないような不思議な理論を突いてきて、だがなぜだかそれに動かされてしまう。
おまえは一体何者なんだ?」
あたしは一瞬動揺が走る。
先ほどの柔らかな空気とは違い、ピリリと張り詰めた緊張感があたしたちの視線を交差する。
斎藤さんは鋭い。
あたしのこの時代にそぐわない行動や言動に不信感を抱いているのだろうか。
「わたしは…何者でもないです。
水瀬真実というただ一人のちっぽけな人間にすぎません。」
あたしがこの時代で持っているもの、それは新撰組についてのほんの少しの歴史の知識と水瀬真実というこの名前だけだ。
もっと詳しく歴史を知っていたら、
逆に全く知らなければ、
あたしはどんなふうに行動できたのだろう。
こんな風に中途半端にしか知らないから、自分がこの先歴史に及ぼす影響におびえるのだろうか。
これがタイムスリップしたものの宿命なのだろうか。
黙ってしまったあたしを怪訝そうに見つめ、斎藤さんはふとあたしから視線をそらしてつぶやいた。
「水瀬は…ちっぽけなんかじゃない。
皆がおまえの勇気ある行動に驚き突き動かされる。皆、おまえのことを認めている。
だから、胸を張ってここに居ればいい。」
斎藤さんがあたしを認めてくれたんだろうか。
だとしたらうれしい。
「…ありがとうございます。」
斎藤さんは顔を赤らめると「別に」とつぶやいた。
「…それよりも…髪が伸びたな。」
「え?」
突然の話題の転換にびっくりする。
「いや…一時期の尼か子供のように短い頃よりは伸びたなと。」
「もうすぐ結えるくらいにはなるので、さすがに目立たなくなりますね。」
「水瀬は…女髪は結わないのか。」
「それが…お恥ずかしながら自分では結えないのです。まあここでは必要ないですし。」
「そうか。」
斎藤さんは少し顔を赤くしてなにやら照れてる。
これがあたしが知ってる無愛想な斎藤さんなのかしら。
「…今度…」
「え?」
「近々、長州勢力抑制のために御所の南門を会津藩の一隊として出兵することになっているんだが、それから帰ってきたら、一緒に買い物に付き合ってほしい。」
「え?ええ。いいですよ。」
あたしは突然のお誘いにちょっと戸惑いながらもOKする。どうしたんだろう?斎藤さん。
「そうか。すまんな。」
「出兵、気をつけてくださいね。」
「ああ。」
いつもより饒舌で、少し赤くなった斎藤さんは、いつもよりもずっと若く見えた。
一分の隙もないような斎藤さんよりもずっと親しみやすくて、新たな一面を見つけられたことがうれしくて、悩んでいることから少し浮上することができた気がした。。