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虹に届くまで  作者: 爽風
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第四章 6.大和屋焼き討ち

文久3年、8月12日


事態は何の前触れもなく起こる。

「大変だ!大和屋に火がつけられたぞ!」

「なに?!」


屯所の中があわただしい。みんなバタバタ走りまわっていて情報が錯綜している。

夕餉が終わってそろそろ寝る準備をと思っていたところで、突然あわただしくなったのだ。


「まことはここでおとなしくしててよね。」


総司は子供をあやすようにあたしに言うと足早に部屋を出て行った。


あたしはなんだか落ち着かず、部屋の中でぼんやり考えていた。


大和屋ってなんか聞いたことある気がする…


大和屋焼き討ちだ!

あたしは資料館で見た歴史表が頭に浮かんだ。


これが決定的な出来事になって、芹沢鴨は暗殺されるんだ。

そう、お梅さんと一緒に。

そっか、お梅さん…芹沢先生と一緒に死んじゃうんだ…

そう思ったらなんだかやりきれない…

あたしは唇をきつく噛み締めた。


あたしなんであのとき資料館なんて行ったんだろう。

あき兄の新撰組の話なんて聞いたんだろう。

歴史なんて知らなければ、あたしは全力で思った通りに走っていくことができたのに。


ダメだ、やっぱりじっとしていられない!


あたしは袴を身に付け、芹沢先生からもらった脇差しを掴んで駆け出した。


夜の京は暗いけど、大和屋の場所はすぐにわかった。

炎が生き物みたいに高くあがっていて近づくに連れてその熱さを感じるほどだったから。

あたしは息を切らしてその炎を見上げた。

蒸し暑くて、汗で着物が湿っているのが気持ち悪い。

野次馬を押し分けると浅葱色のダンダラの羽織を着た芹沢先生が大和屋の屋根の上で高笑いをしていた。


全身総毛立った。

それは狂気。

何かに憑かれたように笑い続ける様は、さながら鬼のようだけれど、芹沢先生は身体中で何かを求めて泣いているみたいにも見えた。

自分ではどうすることもできない激情の波にのまれ翻弄されている。

そんな風に見えた。


「水瀬っ!」


呆然と大和屋を見上げるあたしは不意に腕を掴まれた。


「おめえ、なんでこんなとこにいんだ!あぶねえから帰れ!!」


いつになく切羽詰まった感じの土方さんがそこにいた。

いつもきれいになでつけてる髷が少しほつれて汗で額に張り付いている。

目は血走っていて顔も紅潮している。

きっとこの火事場を奔走していたのだろう。


「芹沢先生が…」

「ダメだ、今あいつに近づけば本当に殺されるぞ。

ああなった奴はもう止められねえ…!

ちくしょう…、近藤さんがどれだけ尻拭いしてやってると思ってるんだ…!」


苦々しげにうめくように呟いた。


「火が廻る!!」

「だれか止めろ!早く、火が廻らないうちに建物を壊せ!!」

「ダメや!人が屋根に乗って動かへん!」


あたりには怒号が響き渡っている。



このまま芹沢先生は死ぬつもりなんだ!

ダメだ!お梅さんが…!


あたしは回りに気をとられていた土方さんを振り切って走り出した。


「あ、水瀬!馬鹿、戻って来い!!」


土方さんの怒鳴り声が追ってくるけど、それどころじゃない。このままにしたら芹沢先生も死んで、火事が町中に広がる!


暑い…汗で髪が額に張りつくのが気持ち悪いけどそれどころじゃない。

あたしは流れてくる汗を手の甲で拭い、前髪を掻きあげた。

呼吸をするたび煤が喉に入り、ヒリヒリする。

大和屋の蔵はもうほとんど燃え落ちそうだ。

時間は幾ばくもない。


ふと野次馬の中にお梅さんの姿を見つけた。

「お梅さん!!」

お梅さんの大きな黒目がちの目に、蔵を燃やす炎が揺らめいていて、その様子はこの世のものとは思われないほどの美しさを湛えていた。

不意にお梅さんの瞳に映る炎が揺らぎ、まぶたを閉じた瞬間に涙の雫が零れ落ちた。


「仕舞いだね…、あの人こんな馬鹿なことして…仕舞いだよ…。馬鹿だねぇ、本当に馬鹿だ…!」


お梅さんは手で顔を覆い、嗚咽した。

そんなお梅さんはどこまでも儚く、まるで夢から覚めた少女のように頼りなかった。


お梅さんは確かに菱屋のご主人が一番で、それを無理やり引き裂いた芹沢先生のことを憎んでいたのかもしれない。

でも同時に魂の片割れとして深く愛していたんだと思う。


「あたし、連れ戻して来ますから!!だから待っててください!!」


あたしは走り出しながら声の限り叫んだ。

火事の煤で声はガサガサにかすれている。

咳込んで唾を吐き出すと煤で黒ずんでいた。



あたしは芹沢先生がいる母屋のはしごを野次馬の制止を振り切ってよじ登った。


芹沢先生は先ほどの狂気が嘘のように頼りなげに立ち尽くしていた。

いつもぎらぎらした野心に燃えているその目は虚ろで何も見ていない。


蔵を焼く紅蓮の炎は竜のようにうねって夜空を照らす。

不謹慎きわまりないけれど、その様子はどこまでも神々しくて美しかった。


「芹沢先生、降りてください。じきにここも火が回ります。」

「放っておけ。このままでよい。」

「良くないです!!こんなことして、街が火事になったらどうするんですか!先生も危ないんですよ!」

「うるさい!!わしに意見するのか!?斬るぞ!!」


芹沢先生はいつももっている鉄の扇子をあたしに向かってふりおろす。

あたしはとっさに右手で払い除けると、手がもげるくらい痛かった。ジンジンと痛みが増してくる。

眉をしかめて左手で、右手をかばう。

時間がない。

早く!!

あたしはふつふつと怒りがこみ上げてくるのを感じた。


「いい年してやっていいことと悪いことの区別もつかないんですか、あんたは!!

いくらやりきれない不満や思いがあるからってこんなことしていいはずがないでしょう!!」


あたしは手の痛さに苛々も手伝い、怒鳴り付けた。


もうあとがどうなろうと知ったことか!


「こんなことして、あなたは何のために新撰組に入ったんですか!?こんなことするためじゃないでしょう!!それにお梅さんは、どうするんですか?略奪してまで好きになった人を置いていくのですか?」

「お梅は…菱屋の主人に命を賭しておる…。 」

「…甘えないでくださいな!辛いのは、苦しいのはあんただけじゃない!お梅さんだってどんな立場で苦しんでると思うのですか?!

テメエのケツくらい、テメエで拭け!!」


あたしは完全に頭に血が上り、芹沢先生を怒鳴り付ける。

何故だかわからないけれど、感情が高ぶって涙がぽろぽろ出てきた。

これは火事の煤だけではないのだろうと思う。

この感情を言葉にするならば、やりきれなさ…だろうか。


お梅さんは菱屋のご主人が死ぬほど好きで、でも菱屋のご主人の一番はたぶんお梅さんじゃない。

お梅さんはお店の切り盛りと新撰組への盾に利用されてて、でもそれすらもお梅さんは知ってて甘んじて受け入れている。

好きだから。

そんなお梅さんが芹沢先生は同情もあるだろうけどやっぱり守って上げたくて好きで、でも芹沢先生は暴力や脅しみたいな方法でしか、自分の思いを表現できない。

苦しい時に全てを受け入れてくれる芹沢先生

暴力で無理やり妾にした芹沢先生

大嫌いなのに、大好きなんだ。

ううん、好きとは違うのかもしれない。

比翼の鳥みたいに、連理の枝みたいに、

決して離れられない宿命なんだ。

お互いに欠けた心を埋めあっているから。


なんて不器用で、なんて苦い恋なんだろう。


「…わしにそんなこといってただで済むと思うのか?」


芹沢先生は激昂するわけでもなくいたぶるでもなく、静かに言った。


「刺し違えてでも必ず連れて帰ります。お梅さんと約束したんです。処断されるなら降りてからお願いします

。」


一分、二分…沈黙は永遠にも感じられる。


梯子の下では野次馬の声に交じって近藤先生や総司の声も聞こえる。


芹沢先生はいきなりふつりと糸が切れたように先生は吹き出すと大口一杯あけて笑い出した。


「ははははは、水瀬、お前ほど馬鹿な女もおるまい!!ワシのせいで操のために自決しかけ、髪を失い、今度は共に死ぬ気か!!どれほど愚かなのだ!」

「死にません!あたしは生きます!!先生も生きます!!あたしは、あたしが死ぬときは…誰のためでもなく、自分で選んで、自分が望んで死ぬと、そう決めています。

そして…今はその時ではない。」

「…ふん、なぜだろうな。お前のような生意気で無礼なガキ殺してしまいたいと思うのに、何故か逆らえん。おまえには負けてばかりだ。」


そう言った先生の目は火事の煤ばかりでなく潤んでいるのに気付き、あたしは見てはいけないものを見てしまったようなばつの悪い気分になり、とっさに目を逸らした。


「…降りるぞ!!水瀬!」

「はいっ」


芹沢先生は梯子から降りるのを待って、火消したちが蔵と母屋をすぐに取り壊した。

ギリギリのところで延焼は免れたようだ。


とりあえず、良かった。


野次馬たちは徐々に散開していきその中に目をはらしたお梅さんの姿を見つけた。

お梅さんはあたしと目が合うと、一瞬目を見開き、そして妖艶な笑みを浮かべて口パクで「ありがと」と言った。

そのあとはいつも通り皮肉っぽく口を歪めて笑う意地悪そうなお梅さんがいた。


「まこと!!!」

「水瀬ッ!!」


「うへ?」


あたしは怒りのオーラを感じて振り返ると、鬼の形相をした土方さんと総司が仁王立ちで立っていた。

うわ、やば…


「「おとなしくしてろっていつもいってんだろ!!!」」

「ごめんなさい…」


それからみっちり、しっかり二人にお説教をされたのは言うまでもない。



大和屋焼き討ちの夜はこうして更けていった。


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