第四章 1.島原事変
あれから1か月、季節は夏に移り変わっていた。
あたしは総司から真剣の扱いを教えてもらうことが日課になっていて、始めはこわごわおっかなびっくりだったのが、だんだん刀の扱いに慣れてきた。
柄の握り、構え、刀の手入れの仕方。
そして刃引きした剣での稽古。
剣が折れたり使えなくなった時、二の手、三の手はどうするのか、そんなことも踏まえた稽古をしている。
剣を握った総司は別人のように厳しく冷徹で、切り傷や痣が全身に増える一方だ。
そしてやっぱり圧倒的に強い!
あたしだって曲がりなりにも剣道やってきたって自負があるけど、そんなものは犬にでもくれてやれと言わんばかりの扱きっぷりで、「そんな甘い斬り込みで斬れるか!剣を持つと言ったのは口だけか!」と言ってへばってるあたしに水をぶっかけた時は、さすがの永倉さんや佐之さんがひいてた。
うちのおじいちゃんもそうだったけど、刀って人を変える力を持ってる気がする。
刀はその人の背に合わせて選ぶらしく、総司は背も高いから90センチ近い刃の長い刀を使っているみたいだけど、私は正直実戦になったら腕力じゃなくて速さ勝負だから、60センチ弱の脇差が一番合ってることも分かった。
すべてが自分の命、ひいては仲間の命につながるのだと思ったら身が引き締まる思いなのだけれど、それでも幸いなことにまだ実戦では使ったことがない。甘えとは分かっているものの、なるべく刀を抜かずにいられますようにと、願わずにはいられない。
*
そんな時、浪士組にようやくオーナーの会津藩から給料みたいなものが支給されたらしく、あたしはようやく魚や鶏肉や卵みたいな食材が買える!と内心ガッツポーズをした。
ああ、これでお米に常に大豆とか野菜を混ぜてかさ増ししなくてもいいのね。
やっぱり白いご飯みんなに食べさせてあげたいし、お菜も力のつくもの作りたいし。
安めの魚を竜田揚げにして、具沢山の味噌汁に、白いご飯なんてどうだろ??
と夕食のメニューを考えてホクホクしていると、
佐之さんもまたホクホクした顔で近づいてきた。
「おう、水瀬!今日は島原に行くぞ!!
久々に暴れてやるぜ!」
バシンと肩を叩いてニヤニヤしている。
島原って何があるんだろ?
「島原って何があるんですか?」
あたしは素朴な疑問をぶつけてみた。
「水瀬、おまえ、浮世離れしてると思ったが、なんだそんなことも知らねえのか。島原ってのは男の憧れ、楽園よ。」
「?それじゃ答えになっていないですよ。」
「いい女がわんさかいるんだよ、島原には。」
なんか良くわかんないけど…。
「水瀬、おまえも行こうぜ。」
「私は女ですけど…それでもいいんですか?」
「おまえは女に見えねえから大丈夫だよ。」
「はあ。」
このひとこの軽ささえなかったらなあ…イケメンなはずなのにな。
あたしの呆れた視線をどこをどう取ったのかバカ笑いしながら小突いてくる。
「なんだ、水瀬、そんなに俺を見つめて。
ようやく俺様に惚れたか??ガハハ!」
あたしはこっそり溜息をついた。
*
夕方、佐之さん、永倉さん、平助君、総司、土方さん、そしてあたしの6人で島原に赴いた。
どうやらようやくオーナーの会津藩から給金が出たので内輪の決起会と言う名の飲み会をするという事らしいのだ。
なんだかみんなで飲みに行くみたいで楽しいな。
こんな雰囲気は大学の飲み会を思い出す。
みんなどうしてるんだろ。
元気でいるかな。
「なんでこんなに大所帯なんだよ?ぞろぞろ大勢で行くもんじゃねえだろ。
よりにもよって何で水瀬も一緒なんだよ。」
土方さんは機嫌が悪い。
「あたしが一緒じゃだめなんですか?原田先生はいいっておっしゃいましたよ。」
「まったく佐之さんも永倉さんも何で島原なんかにまことをつれてきたんですか?」
総司もぶつぶつ言ってる。
「水瀬にも社会勉強が必要だろ?」
と永倉さん。
「そうそう、まあ、今日は座敷でみんなで飲んで、帰りたい人は帰って残る人は…って感じでいいんじゃない?」
珍しく平助君がウキウキしてる。
「く~久しぶりの女だぜ!」
佐之さんはもはや聞いてはいないし。
島原ってどういうとこなの?
あたしたちは鏡屋というお茶屋さん?と呼ばれるお座敷に入った。
一室に案内されるとそこにはすごくきれいな女の人がいた。
そうか、島原って芸者さんがいるところなんだ。
要するに銀座の高級クラブみたいなものと思っていいんだろうか?
その人は雪乃さんという天神(芸者さんの位を表すものらしい)で、小顔に黒目がちの切れ長の瞳は潤んでいて、常に笑みをたたえたような小さな口元がすごく色っぽくて頭の先から、着物の裾まで優雅で女らしかった。
雪乃さんには吉乃さんというお付きの15,6の女の子がついていて、その子も小柄で砂糖菓子みたいに儚くて守ってあげたいような雰囲気だ。
ああ、美っ人~!!
同じ女に生まれてこうも違うものか。
男に疑いなく間違えられてるあたしなんかとはやっぱり全然違うわ。
なんか女として自信なくすなあ。
「お久しゅうおわすなあ。土方せんせ。
最近は全然おいでにならしまへんさかいさみしかったえ。」
「そうか」
雪乃さんは色っぽさ満点で、土方さんにお酌しているけど土方さんは妙にそっけない。
!
この人土方さんのことが好きなんだ。
きっとこれは営業スマイルなんかじゃない。
だって土方さんに会えて本当にうれしくて仕方ないって顔してるし。
土方さんは背も高くて、アイドルもまっさおのかなり整った顔をしているから、雪乃さんみたいな美人と並ぶと絵に描いたように様な似合いの美男美女カップルになる。
なんか胸が痛い。
この二人があまりにもお似合いだから?
別にいいじゃん。
それをあたしが羨むことなんえ何もないのにな。
あたしはこの気持ちを表す言葉を知らない。
雪乃さんと吉乃さんのほかにも何人か芸者さんが来てくれてあたしたちにお酌をしてくれていた。
吉乃ちゃんは男のあたしに興味を持ってくれてお酌や料理をとってくれる。
「水瀬はんはほんまに美しゅうおわすなあ。
髪結いあげて化粧しはったら太夫にもなれますえ。」
「ははは、どうも。」
あたしは苦笑しながら受け流す。
吉乃ちゃんは無邪気で妹みたいな感じだ。
完全にあたしを男って思ってるのが申し訳ないし、悲しい限りだけど。
「なあ、水瀬はんはどないな女子がお好きどす?」
「え?」
あたしの好みって?
「うーん、そうですね、強いて言えば強い人かな。」
「強いってなにがどす?」
「心かな。凛としてて芯が通ってて揺らがない、そんな人。」
あたしは自分の理想をなぞって言った。
そんな人になれたらいいな。
凛として揺らがない、大切な人を守れるくらい大きくて強い心を持った人になれたらいいな。
「うち、そないな人になりたい。」
「え?」
「そしたら、水瀬はん、うちのこと好いてくれはる?」
なんて純粋で無邪気でまっすぐな子なんだろう。
かわいい。
「吉乃ちゃんはいまでもすごく魅力的な女性だと思いますよ。」
「ほんまに?うち、うれしおす。」
吉乃ちゃんの花が咲いたような笑みはどこまでも可憐だった。
そしてあたしたちは2時間ほど鏡屋さんでお酒を飲み、今日のところはみんなで屯所に戻ろうということになった。
お茶屋さんを後にしようとしたところで、思わぬ人と出会った。
それは芹沢鴨だった。
「あ、芹沢先生だ。」
「え?」
「ああ、本当だ。また問題起こさねえといいけどな。」
永倉さんたちは面倒くさそうに言った。
いつものように取り巻きの新見とひょろひょろの平間を連れている。
芹沢はべろべろに泥酔していてあたしたちには気づいていない。
しかし鏡屋の軒先まであたしたちを送ってくれていた雪乃さんを見つけると獲物を見つけたような目をして千鳥足で近づいてきた。
なんだか嫌な予感がした。
「おぬし、なかなかよいおなごじゃな。
今宵わしのもとへあがれ。」
な!
いくらあたしがこの時代に疎くてもあれが何を意味するのかは分かった。
要するに夜の相手をしろってことだ。
島原はそういうところなんだ。
お金を出して女の人たちの夜を買うんだ。
総司や土方さんがあたしを遠ざけようとしてたのも
佐之さんや永倉さんが男の楽園と言ったのも、そういうことだったんだ。
なんだか…複雑。
現代とは感覚が違うにせよ、やっぱりこれは売春なわけで、雪乃さんも吉乃さんもどんな気持ちでお座敷に上がってるんだろう。
でも何も知らないあたしが彼女たちに同情したりすることはとんでもなく失礼なことで…
「うちは島原の天神や。
そないな無作法な申し出受けるわけにはいきまへん。」
雪乃さんの凛とした声が響く。
雪乃さんは島原の天神であることに誇りを持ってるんだ。
きれいな人だとは思っていた。
でも、こんなに凛として美しいのは、この人の中に島原の女としての誇りがあるからなんだ。
けど、あんなふうにまっこうから言ったら今の芹沢先生には火に油だ。
「貴様、武士に恥をかかすとは何事じゃ!
そこに二人ともなおれ!
無礼打ちにしてくれるわ!!!」
雪乃さんと隣にいた吉乃ちゃんも一緒に座らされた。
野次馬はひそひそ話をしながら遠巻きに見ているだけだ。
芹沢はするりと不気味に光る刀を抜いた。
「だめッ」
あたしは駆けだそうとして総司に羽交い締めにして止められる。
「やめなさい。今まことがいったところで何もできない。もう、止められないよ。」
「!」
でも…!
雪乃さんと吉乃さんが死んじゃう!
「芹沢局長、お待ちくだされ。」
その時意外な人の声が聞こえた。