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虹に届くまで  作者: 爽風
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第三章 5.覚悟、ここにいる理由

あの日からあたしは竹刀を握れなくなった。

ただ黙々と日々の洗濯や炊事をこなしていた。

幸いやることはたくさんあって、洗濯や炊事、掃除をして手を動かしているときはあまり余計なことは考えなくてすんだから。


みんなは何事もないように接してくれる。

総司は怪我が治り、すぐに隊務に復帰した。冗談を言ったり、つかみどころがなかったりすのは相変わらずだ。

佐之さんや永倉さん、平助君はあたしの仕事中に茶化したり、エロい事を言ったりしてあたしを笑わせた。

近藤さんや山南さんは優しくて

土方さんは何も言わなかった。

そして斎藤さんは相変わらずあたしと目が合うと黙って目をそらした。


前と何も変わらない

でも何かが違う。

それはあたしが変わったからなのかな。


洗濯を終わらせて立ち上がるとふらっと立ちくらみがした。

目の前が一瞬暗くなり、目をつむってその場でしゃがむみこむ。


最近、あんまり眠れないからだ。

眠ろうと思っても眠れない…

暗闇が、無性に怖かった。

ふと眠ってしまったらこのまま底なしの溟い淵に呑み込まれそうで。


ここにいる資格…

自分の存在意義…

そんなものはどこにもなくて。

それが苦しくて苦しくて…

ただ辛かった。

布団の中で丸虫みたいに丸まってただ時が過ぎるのを待った。

空が白みだすとうとうとするのだけれど、

すぐに起床の太鼓が鳴り、目が覚める。

そんな日がもう1週間以上続いている。


夕食の支度までまだ一刻以上あるからゆっくりしなさいとおトキさんに言われ、柔らかい午後の日差しが差し込む縁側に膝を抱えて座り込んだ。

「ふう…」

溜息を一つ。

この底なし沼からどう身動きを取ればいいのかわからない。

自分は何をすればいいのか、

どうすればみんなに迷惑をかけないで済むか、

ぐるぐる考えるのに答えは出ない。


もう何も考えたくないや…

瞼を膝に押し付けていると温かさに誘われて少し眠気が襲ってきた。



あったかい。

誰?

つー兄?

お父さん?

あったかいな。

頭に置かれる男の人の手の感覚。

大きくて硬くて、でもとてもあったかい。

泣きたくなるくらい優しい手。


ねえ、助けて…

お願い…

あたしを帰して

その手で連れてって

お願い…


「泣くな、大丈夫だから。」


低くてかすれたような、でも心地よい声。

ぽんぽんと頭をなでられる優しい手が安心感を与える。


ふと目が覚める。

「夢…」

すごく温かくて心地よい夢。

あたしの現実逃避の願望の現れなんだろう。

そう思うと苦笑してしまう。

むしのいい夢だ。

ふと身じろぎすると肩から何かが滑り落ちた。

それは黒い羽織だった。

だれの?

家紋も入っていないし、誰のものかわからない。

ただその羽織はあったかくておひさまの匂いがした。

あたしはその羽織をぎゅっと抱きしめた。


とその時、庭を山南さんが通りかかった。


「どうしたんです?」

「山南先生、時間が空いたので休んでいたらいつの間にか寝てしまったみたいで。」

「最近顔色が良くなかったですからね、疲れていたんでしょう。」

「大丈夫ですよ。」


あたしはいつも通りの笑顔を浮かべた。


「ここにいるのは辛いですか?」


山南さんはあたしに視線の高さをあわせると、穏やかに、でもしっかりと目を合わせて聞いてきた。


「!」


あたしは思わず目を晒してに俯く。


「全然…辛…くないといえば、ウソになります。」

「それは私たちが怖いからですか?」

「そんな…!違います。これは、自分の…問題なんです。

あたしは…ここにいる資格がないから。」


声が震えるのを抑えることができない。

実際に言葉に出すと、鼻の奥がつんと痛くなり、目の前の視界が揺らぐ。


「資格がないとはどういうことですか?」


山南さんの声はどこまでも穏やかで優しい。


「総司に、怪我をさせたのはあたしのせいなんです。

総司は逃げろって言ったのに、あたしは逃げることもしなくて。ただ見ていることしか出来なくて。

剣を持つ覚悟もないのに、竹刀を持ったりして…。

あたしは何のためにここにいるのか、わからないんです。

みんなに迷惑かけるだけで…どうすればいいのかわからないんです。」


なにが言いたいのか自分でもわからない。

俯いた瞬間にこらえきれず涙がこぼれおちる。


「総司の怪我のことは聞いています。

総司が水瀬さんをかばって剣を捨てたみたいですね。」


面と向かって事実を突きつけられるのはきつい。


「…はい。」

「なぜそうしたかわかりますか?」

「え?」

「大事だからですよ。あなたのことが。」

「!」

「それだけではダメですか?

ここにいる理由になりませんか?」

「…でも…!」

「武士が何のために刀を持つかと言われれば、それは守るためなんですよ。

主君や自分の身や、仲間、大切な人をね。

もちろん、そのために人を傷つけたり、殺したり、あるいは自分が殺されたりすることもあるんです。

でもそれが武士と言う、刀に生きるものの宿命なのですよ。」

「…怖くは…ないですか?」

「怖いですよ。

人を斬り、殺すのはとても恐ろしく、哀しく、苦しいことです。

人の命を奪い、誰かの大事な人を奪うのですからね。

耐え難い罪ですよ。

でもその痛みや苦しみは、生涯負っていかねばならぬものなのです。

それが武士ですから。」


穏やかで、けれど一分のゆるぎないもない信念。

ああ、この人は武士なんだ。

”武士ですから”

何の説明にもなっていないようで、なんかすべてを納得させられてしまう。


「そうそう、あなたの作るお味噌汁、すごくおいしいと評判ですよ。」

「え??」

唐突過ぎて、突然何の話かと目を丸くしてしまう。

「あの偏食家の土方君も水瀬さんの料理だけは残さず食べるんです。」

山南さんはさもおかしいと言った風情でくすくす笑いながら言った。

「それに、我々の懐事情も勘案してできるだけ倹しく、けれど満足できるように毎日美味しく食事を工夫してくれているでしょう。隊士達にもとても評判ですよ。」

「はあ…でもそんなことは…」

「いつ斬られ、いつ殺させるか、死ぬか生きるかで闘っている私たちには、あなたの笑顔やそういう心違いはすごく救いなんですよ。あの気難しい土方君や斎藤君も君にはすごく救われていると思いますよ。」

「そんな…!あたしなんか…何も…

みんなに迷惑かけるだけで…

土方さんも斎藤さんもあたしのこと嫌ってると…思ってました。」

「本当に迷惑で、嫌っているなら

もうとっくにどこかにやるか、斬っていますよ。

あの2人ならね。

斎藤君や土方君が厳しくなるのは、あなた自身を守るためですよ。

ここにいる限り、ちょっとした甘えが命の危険につながる。

油断や躊躇は、仲間も自分をも傷つけるんです。

だから普段から油断がないように、甘えが出ないように厳しくなるんです。

そこまで言うのは、あなたが大事だからですよ。」

「…!」


あたしは涙をこらえることができなかった。

ぽろぽろ涙が溢れて頰を伝っていく。

馬鹿だ、あたし

こんなにしてもらってるのに…

全然気がつかなくて。

自分のことばっかりで。


「その羽織…」

「え?」

「誰のかわかります?」


山南先生は笑いをこらえて聞く。

あたしは黙って頭を横をふる。


「土方君ですよ。」

「…!」


じゃあ、あの夢は…

あの優しい手は…


「まったく不器用なんですねえ、本当は水瀬さんが元気がないのが心配でしょうがないくせに、辛気臭いから私に様子を見に行ってくれだなんて。」


山南さんは穏やかに、でも面白そうに笑った。


「あたし…こんなに迷惑かけてるのに…何もできないのに…」

「水瀬さん、私はね、”迷惑”と自分で言うことは、自分が何かをできないことの言い訳になってしまうように思うのですよ。

人を傷つけるのが、仲間を怪我させてしまうのが、自分が死ぬかもしれないのが、怖くて耐えられないなら、ここを出なさい。

どこか安全なところを私たちで探しますよ。

でもあなたがそこまで悩んで、自分の存在が”迷惑”になると考えるのはどうしてですか?」

「ここの…人たちが好きだから…ここに居たいんです。

でも私のせいで傷ついてほしくないんです…。

どこの誰ともわからない私を拾ってくれて、ここに置いてくれている事にちゃんと報いたい。」

「それだけで十分なんですよ。

ここが好き、ここに居たい。

それがあればここにいる十分な理由になりますよ。

…では、今夜の夕餉楽しみにしてますから。

おいしいのよろしくお願いしますね。」

山南さんは優しく言ってあたしの肩を優しくたたいて去って行った。

その拍子に涙がぱたりと縁側に落ちて音を立てた。


…ここの人たちが好き…

…ここに居たい…

それがあたしの真実だ。

そのためには?

あたしがすべきことは?


それは


覚悟を決めること


何の覚悟?


誰かを傷つける覚悟

自分が傷つく覚悟

そしてみんなを信じ抜く覚悟…


あたしは顔をあげた。

目の前の景色が涙できらきらして見える。

涙ですごい不細工な顔になってるだろうけど、

心は不思議とすっきりしている。


強くなろう。

覚悟を決められるように。

ここに居続けられるように。

あたしは長いトンネルからようやく抜けられたように感じた。


あたしは夕食の準備をするために台所へと走り出した。

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