第二章 4.警戒心:斎藤一
最近妙な人間が浪士組に入隊してきた。
しかも女。
世も末だ。
生粋の誠の志を持った武士の集団であるはずの壬生浪士組になぜ女だ。
女と言うことを隠して入隊させるなど局長も副長も正直何を考えているのかと、軽蔑し、頭が痛くなった。
おれはいら立った。
その女は沖田さんと相部屋で仲がいいらしい。
今まで一切女と関わりを持たなかった女嫌いの沖田さんにどう取入ったのか。
しかもそいつは剣術がめっぽう強いらしい。
普段の華奢な姿からは想像ができないが入隊試験で沖田さんと木刀とは言え、互角にやりあったらしい。
あいつが入ってきて数日後、朝稽古の後にたまたま通りかかったとき、女中と台所で朝食の支度をしていた。
袴をつけて、髪を頭の上のほうで結いあげて男装していたが、確かに背は高いが、華奢な体つきや、細くて白い首筋などを見れば、言われてみればなるほど女子なのかと実感した。
炊事に慣れていないのか、女中にいろいろなことを聞きつつ、真剣な顔でせわしなく動いていた。
こちらからは横顔しか見えなかったが、通った鼻筋とふっくらとした口もと、涼しげな切れ長の眼からは長いまつげが伸びていて、女の着物を着せたらさぞ美しいだろうと思い、そんなことを考えた自分に腹が立った。
ふと女が視線を感じたのかこちらを見た。
女はぺこりと小さく会釈して「おはようございます、稽古お疲れ様です。」と言ったのだが、
俺はあわてて目をそらしそのまま走り去った。
苛々する。
こんな得体も知れぬ女も、それになぜか動揺する自分も。
何を馬鹿なことを考えている。
こんなことを考えていては肥後守様直々の密命もおぼつかん。
俺の仕事はこの組織がうまく機能するよう内部事情を探り、必要あらば調整し、肥後守様に御報告することだ。
こんな得体も知れぬ女、怪しいとあれば斬るのみだ。
今日はあの女の歓迎会が催された。
あの女はそわそわして緊張している様子だったが、副長が話し出すと、何やら憧憬とせつなさが入り混じったような表情を浮かべて、うつむいた。
くだらん。
見目良い副長になびいているのか。
しょせんは頭の軽いただの女か。
俺は苛立ち、更に軽蔑した。
しかし女の挨拶を聞いて多少なりともおどろきが走った。
もともと用意していたのかもしれないが、しっかりとした口調で見事な挨拶をした。真っ直ぐ前を向き凛とした表情で口上を述べる姿は、沖田さんとじゃれているときの砕けた幼い様子からは想像もできない。
なんなんだ、あの女。
それからしばらく経ってみな盛り上がりを見せていた中、
芹沢の腰巾着新見があの女に近づくのが見えた。
赤ら顔に蛇のような目をした狡猾な男だ。
女グセも酒グセも悪い。
女は新見の言葉を受け流しながら、対応しているようだったが、やがて困ったような顔をしてあたりを見回し、そして一瞬俺はあいつと目があった。
俺はすぐに目をそらし、何事もなかったように酒を口に運び、そちらを見ないように心がけた。
不意にそちらに目をやると、女は新見に連れられ、部屋を出るところであった。
新見が独断でそのようなことをするはずがない。
芹沢が大方珍しがってあの女を呼び寄せたのだろう。
面倒なことにならねばよいが。
…
俺の知ったことではない。
のこのこ着いて行くほうが悪いのだ。
…
くそっ
俺は悪態をついて奴らを追いかけた。
なぜおれがここまでせねばならん。
これは浪士組のため、ひいては肥後守様のためだ。
断じてあの女が心配だということではない。
芹沢たちの部屋にたどり着いたとき、
ドサ
という人が倒れるような音と衣ずれの音が聞こえ、俺は無性に焦った。
「気付かぬとでも思ったか。
このこと知れれば、ここにはいられまい。
近藤も困った立場にたとうの。
わしの言う通りにすれば、許してやろう。」
芹沢の粘着質な笑みが眼に浮かぶ。
あの外道!
だから言わんこっちゃない。
芹沢と向かい合って女が無事でいられるはずがないんだ!
沈黙…
何があった。
今入るのは得策ではないか。
ガサ、ドサ!
「貴様、何をする!」
もみ合うような物音と焦ったような、あれは新見の声か。
何があった。
俺はふすまに手をかけ開けようとしたその刹那。
凛としたあいつの声が響いた。
「私は確かに嘘をついています。
しかし、それが明らかになるときには死をもって償う覚悟してここにおります。
このことは近藤先生も土方副長も知らないこと、すべては私一人のはかりごとです。
でも、あの方たちは、わたしを信じてここにおいてくださるといってくださった。
その恩義のために尽くすことが私の誠です。
私のことでご迷惑おかけするくらいなら、ここで自決してその覚悟見せましょう。」
それは静謐。
微塵の揺らぎもない。
ただ一つの真実。
忠義を尽くすことが己の誠…
鳥肌がたった。
その言葉にただ一つの偽りも感じられぬ。
自決?
死ぬ気か?
止めねば、と思うのに体が動かない。
あいつの圧倒的な凛とした微塵の揺らぎもない静謐に息をすることも忘れて俺は固唾を飲んで隣の気配に耳を傾けた。
ぱた、ぱた
何かが滴り落ちるような音。
「分かったからもうやめろ。
わしの負けじゃ。
まったく…自分の首に脇差しを引き当てるなんて…なんて女だ。
水戸の武士にもそれだけ肝のすわった奴はおらんわ。ふん、おぬし女にしておくには惜しいほどの度胸をもっておるな。
気に入ったぞ。水瀬。
その脇差しは、敗北記念じゃ。
おまえにくれてやる。」
芹沢の聞いたこともないほど穏やかな声。
これが芹沢か?
それよりもまったく、なんて女だ。
芹沢を引かせるために自分の首に脇差しを引き当てた?
それも近藤局長たちをかばいながら?
まるで戦国の武士のような恐ろしい底知れぬ女子だ。
水瀬真実
芹沢たちが帰って行くのを見届けると俺は部屋に背を向けた。
会えぬ。
この女には今は面と向かっては会えぬ。
そう思った。
そのあと縁側で酒を飲んでいた局長、副長それにたまたま水瀬を探していたのだろう、沖田さんに事情を話すと、3人とも焦って駆けだして行った。
人情家の局長はわかるが、副長と沖田さんまでもあんなに慌てるとは意外だった。
副長は冷静沈着でどこまでも己を殺せる人間だ、焦ったり慌てたりするところなど想像できなかったし、沖田さんも人当たりがいいように見えて人への線引きがはっきりしていて特定の人間に入れ込むことなどありえないから、正直驚きを隠せなかった。
二人とも水瀬には特別なものを感じているのやも知れぬ。
そう思うとなぜか心が波立つ。
俺は水瀬のことも、新撰組の人間のこともまだまだ知らぬことばかりだ。
知りたい。
そう思った。
他人と関わるのをわずらわしいと思っている俺にしては珍しい、
自分自身のそんな感情に驚いていた。
その夜俺はなかなか寝付かれなかった。