最終章 1.東の君へ:土方歳三
五月十一日。
新政府軍の箱館総攻撃が開始され、島田が守っていた弁天台場が新政府軍に包囲され孤立したため、俺は僅かな兵を率いて出陣した。
水瀬、すまねえな。
時空の理を曲げてまで、お前をこの世界に引きずり込んで。
だが俺は、お前がいなけりゃ生きていけなかった、
お前がいたからここまで走れた。
だから、お前が今日いなくなっても、俺は最期の最期まで走ると誓う。
この伝えきれない愛おしい想いに今誓う。
一本木関門。
動揺して逃げ腰になった奴らに馬上から声を張り上げる。
俺たちには退路なんざ残っちゃいない。
退くことなんかできやしない。
最初から残されちゃいない。
さあ、行こう。
地獄まで駆け抜けよう。
勝ちゃん、総司、源さん、山南さん、平助、佐之…みんな、見ててくれよな。
鬼の副長の最期の仕事を。
新選組の最期の仕事を。
俺らはただの寄せ集めの嫌われ者のごろつきだった。
時代に逆行する馬鹿な男たちだった。
でも、俺らは誰に何を言われようとも、武士だったよな。
誠の武士だったと胸を張ってもいいよな。
馬上から剣を振るい駆け抜ける。
不思議と体が軽い。
自分が風になったような気がした。
「敵前逃亡は切腹だ!!ここから先に退くやつは俺が斬る!」
「そう来なくちゃ。さすがは俺らの鬼の副長。」
島田が泥だらけの顔を破顔させた。
島田と顔を見合わせてにやりと笑ったその時、
ズガーン
戦場に一発の銃声が響き、不意に視界が揺らいだ。
空が反転して地面に投げ出される。
「土方さん!!」
「副長!!」
わらわらと隊士が集まってくる。
なんだ、おめえら。
持ち場を離れるんじゃねえよ。
切腹させんぞ。
起き上がらなければと思うのに、体に力が入らない…。
「誰か!医者を!!」
「水瀬さん呼んで来い!!」
どこか遠くで声が聞こえる。
ああ、空が、青いな…。
風が吹き抜ける。
桜の花びらが吹雪のように舞い上がり、何枚か俺の頬に落ちたのを感じた。
水瀬…
聞こえるか…
水瀬…
俺の、俺だけの女。
愛おしい…
ただひとりの
女…
お前を…独りで逝かせるわけには行かないのに
どうしようもなく体が重く、
動かない…
目を閉じる。
疲れたな…。
「土方さん!!」
不意に引き戻される意識。
鉛のように重くなった目を開けると、そこには愛おしくてやまない俺の女。
「す…まねえ。」
お前にまた悲しい思いをさせちまう。
でも俺はお前を手放すことだけはどうしてもできねえんだ。
「土方さん…」
水瀬は目にいっぱいの涙をためながらも、花のような笑顔を浮かべて首を横に振る。
その瞬間涙のしずくが太陽に反射し、散って俺の頬を濡らした。
ああ、そうか。
俺はこの笑顔を、生まれ変わっても、何度でも覚えているんだろうな。
花のような、光のような…
極上の微笑み。
「…忘れないでくださいね。約束。」
水瀬は俺の小指に自分の小指を絡めて指切りをした。
俺は目で頷いて見せた。
水瀬は至福の笑みを浮かべた。
時を超えてもなお結びつく運命の女。
俺だけの…女。
伝えたい。
この気持ちを。
お前に。
「まこ…と。愛して…る。」
こんなこっぱずかしい言葉もう二度と言わねえから、ちゃんと覚えとけよ。
次に逢うまで、忘れんじゃねえぞ。
次に時が巡ったらまたお前を俺は導く。
お前がそのせいで、辛い思いをすることもわかっているけれども、
それでも俺はお前を手放すことだけは絶対に、何があってもできないから。
だから覚えとけ。
こんな言葉もう言わねえからな。
「あたしも、ずっと…ずっと愛してます。」
水瀬は満面の笑みでそう言うと、俺に口づけをした。
柔らかな感覚に体から力が抜けていく。
俺はゆっくりと目を閉じる。
もう何も聞こえない。
…たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん…
どんなに時が経っても、何度生まれ変わっても、俺はまたお前を呼ぶだろう。
この時代に。
そしてまた狂おしいほどにお前に焦がれ、愛するのだろう。
それがどんなに苦しいものでも、俺はやはり、お前に出逢う道を選ぶ。
お前に出逢うこと、同じ空の下で、同じ時を生きること、それが何よりも幸せだから。
もう一度導くと、約束する。
だから、ほかの男にふらふらしねえで、待ってろよ。
”歳”
”土方さん”
勝ちゃん、総司、なんだ、来てたのか。
なあ、俺は走れたか?
お前らに恥じないような走り方をできたか?
”もちろんですよ。さすがは鬼の副長。
迎えにきましたよ。まことを幸せにしてくれてありがとうございます。”
”まったく独りで頑張りすぎだぞ!
いいところを全部持っていくんだからな。
それに、水瀬くんを泣かせてばっかりで。
まったくなかなか結ばれないからやきもきしてみちゃおれんかったわ。”
うるせえよ。いってらあ。
”行きましょう。向こうで皆待ってますよ。お花見なんですから。
早くしないとお団子が無くなってしまいますよ。”
俺は青空へ向かって一歩を踏み出した。
風が花びらを舞い上げ、
俺は空に溶けた。