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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十九章 7.タイムリミット、桜のバージンロード

市村君が函館を出た。

土方さんの命令なのだと。

任務だからそれをきちんと遂行するのだと、少し悲しそうに笑って行った。



土方さんは鉄君に生きろと言ったんだ。

これから来る明治の世を。

でも、土方さんを敬愛する鉄君にとってそれはどれだけ辛かったことだろう。

一緒に死にたかったはずだ。

でも、鉄君は強い子だから、きっと歯をくいしばって生きるだろう、

新しい時代を。

どうか、無事に、江戸に着きますように。



五月十日。

ついにあたしに時間が訪れた。



”まこと、時間が来ました。

あなたの命が消えるときが明日に迫ってきました。”


夢を見た。

でもこれが夢じゃないと確信する。

不意に声が聞こえたのだ。


怖くはなかった。

ああ、ついに逝くときが来たのだと。

でも、土方さんを独りにすることだけが心残りよ。


”まこと、残された時間はあと一日。

明日の夕暮れまでです。

それが過ぎれば、あなたの命が消えるのです。

思い残すことが無いようにしなさい。”


思い残すこと…

想いを伝えられなかったこと?

ううん。

もういいのよ。


北の遅い桜が散り始めていた。




あと一日という声を聞いても、あたしの日常は何も変わらなかった。

だってそうでしょう?

もうこれ以上何を望むの?


桜がはらはらと散っていく。


そういえば、あたしがここへ来た時も桜が咲いていた。

あのころはこんなふうになるなんて想ってもみなかったけれど、でも、あたし全然後悔なんてしてない。

みんなに逢えたこと、

土方さんに恋をしたこと、

世界で一番幸せだったと胸を張れる。


「水瀬さん。」


ふと呼び止められ、振り返ると、榎本さんがいた。

榎本さんは旧幕府軍の総帥。

あいさつ程度しかしていなかったけれど、あたしのことをよく思っていない人だってことは知ってる。



「…北の桜は遅いですね。」


「え?」


「江戸ではきっと菖蒲が咲いている頃ですよ。」


風流な人で、とても武人には見えない。

土方さんとは正反対ね。


「ええ、でも遅い桜もいいものですね。冬が永いから余計に。」


あたしは肩に落ちる花びらを払いながら言った。


「水瀬さん、あなたに来てほしい場所があるんです。」


榎本さんが目じりを下げて言った。


「え?」


「さあ。来てください。」


榎本さんがあたしの手を引いて行く。


あたしは五稜郭の中の一室に通されると、唖然としてしまった。

そこには純白の打掛。


何、これ。


状況がつかめないあたしに、榎本さんが笑う。


「さあ、時間が無い。これを着て。」


「え?ってこれ?」


「よろしくお願いしますよ。」


部屋で控える女中さんにいうと、榎本さんは部屋を出て行った。


あたしはまったく状況がつかめないままに襦袢から長着を着せられていく。

おしろいを塗られ、紅を引かれ、髪を結いあげられる。

真っ白な着物をあっという間に着せられ、最後に白い帽子みたいなのをかぶせられる。


これって…白無垢。

なんで?


「ホントによくお似合いですよ。」


中年の優しそうな女性に手を引かれあたしは建物の外に出る。

満開の桜の下に、赤い敷物が敷かれ、そこに、五稜郭にこんなに人がいたのかっていうくらい人だかりができている。

人だかりの先には、軍服で正装した土方さんがいた。


「水瀬。」

「水瀬さん。」


島田さんと榎本さんが話しかけてきた。


「島田さ…これって?」


「土方さんとお前の祝言。」


「え???」


祝言ってなんでそんなこと…


「鉄之助がさ、ずっと言ってたんだ。

あんなに好きあってる二人なのに祝言一つ上げないなんてかわいそうだって。

俺がいなくなった後、必ず二人の祝言をしてやってくれって。

花嫁衣裳さ、新品じゃなくて悪いな。

頼み込んでようやく貸してもらったんだ。」


島田さんが照れたように鼻を掻く。

鉄君の生意気そうな笑顔が浮かんできて思わず口元がほころんでしまう。

鉄君たら…。

祝言なんていいのに。


「でも…あたし…。」


明日にはこの世からいなくなるのに…。

死んでしまうのに…。


「水瀬さん、土方君も君もいつ死ぬかわからない。

だからこそ、きちんと思い残すことなく想いを伝えることが必要なんじゃないのかな?」


人は死ぬ。

それは明日かもしれない。50年後かもしれない。

あたしはそれが明日だというだけ…。

それがわかっているだけ…。


でもだからこそ、想いを伝えあうのだろう。

終わりがあるから、だからこそ輝けるのだろう。


あたしは目の前が涙で見えなくなった。

優しい風が吹き抜ける。

風に花びらが舞った。


あたしは桜の花びらのバージンロードを歩き出した。

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