第十九章 2.蝦夷へ向かって
北の海の波は荒い。
あたしは会津を旅立ってから、藤田助次郎さんという容保様が一緒に行くようにと、護衛をしてくれているの人と一緒に仙台まで行き、そこで、船に乗り換えて、蝦夷へと歩をすすめた。
船は北の荒波でジェットコースターに乗っているみたいに揺れて、ひどい船酔いに悩まされた。
今日は比較的海が凪いでいる。
風は刺すように冷たいけれど、銀色に輝く海と、鈍色の空から筋になって差し込む光は幻想的だった。
あたしは甲板に出て、海を見ていた。
ただ永遠に続くような広い大海原。
「水瀬さん、風邪を引きますよ。」
助次郎さんが隣へ来る。
「助次郎さん、蝦夷はまだ遠いの?」
何度となく繰り返したその質問に、助次郎さんは困ったように笑った。
三十五と言っていたけれど、苦労を重ねた分、年齢が上に見える。
この前の会津戦争で、奥さんと、子供を亡くしたのだ。
もともと、陸奥の出身らしく、あたしを送り届けてくれた後は故郷へ帰ってやり直すのだという。
多くの人が大切な人を亡くした、自分だけではないと、悲しそうに笑った助次郎さんの目が忘れられない。
「もうすぐですよ。
それにしても、危険を冒してまで蝦夷にわたりたいなどと、あなたは大した女子だ。
否、あなたがそこまで惚れこむお人があっぱれなのかな?」
助次郎さんは呆れたように笑った。
あたしはあいまいに笑って俯いた。
ただ逢いたかった。
ただ伝えたかった。
この想いを。
この気持ちを。
それだけだった。
きらめく波。
雲間の光。
もうすぐ。もうすぐ逢える。
魂の片割れに。
*
そして、それから一週間後、十二月も後半に差し掛かった頃、あたしはついに函館に到着した。
タラップを降りて地面に足をつけても、まだ揺れているような感覚がする。
ついに来た。
ここに、土方さんがいる。
この永遠に続く果てしない白の大地に。
この鈍色の空の下に。
サク、サク。
雪の大地を踏みしめるたびに、一歩一歩土方さんんへと近づいていく気がした。
ふと立ち止まる。
土方さんはあたしがこうして追いかけてきたこと、どう思うだろう?
ホントに、あたしストーカーみたいじゃん、
自嘲気味に、ため息をつくと、白い息の塊が雪に融けて空へ舞いあがった。
ついにここまで来てしまった。
あとどのくらい?
あたしがこの世にいられるのは。
その時、あたしは土方さんに言えるのかな?
自分の想いを。
この永遠にも似た狂おしくて切ない気持ちを。
あなたに伝えられるのかな?
ねえ、土方さん。
逢いたいんです。
あなたに。
ただ、逢いたいんです。
こうして追いかけてきたこと、赦してくれますか?
函館の港は、異国情緒あふれる雰囲気で、洋服の人も多くいてちょっとびっくりだった。
あたしは自分のみすぼらしいかっこが急に恥ずかしくなった。
思わず俯いて、洗いざらした袴をきゅっと握った。
「水瀬さん」
「!」
名前を呼ばれてはっとすると、助次郎さんがいつの間にか荷物を持って立っていた。
「それでは私はここまでで戻りますが、この先大丈夫ですか?」
不安そうな顔が出ていただろうか?
「ええ。今迄本当にありがとうございました。」
「水瀬さん、実は殿と照姫様から渡すように託されたものがございまして。」
助次郎さんは風呂敷包みを私に手渡した。
「これって…?」
「開けてみてください。」
包みを開くと、そこには鮮やかな浅葱色の着物が入っていた。
一目で上質な着物だとわかる。
「好いた人に逢うのだから、美しくなって行け、とおっしゃっていましたよ。」
「!」
容保様と、照姫様のご厚意がうれしくて、思わず涙がこぼれる。
「…ありがとうございます。」
助次郎さんは優しい笑顔で笑った。
「必ず、幸せになるのですよ。」
「はい。」
あたしは助次郎さんを見送り、宿でいただいた着物を身に着けた。
丈も、あつらえたようにぴったりだった。
浅葱に白い桜が染め抜いてあるそれは、決して派手ではないけれど、とても上品なものだった。
肩を少し過ぎるくらいまでのびた髪は、悩んだ結果、編みこんでお団子にまとめてみた。
洋服の人もいるし、こんな髪でも垂らしたままでいるよりは見苦しくないかと思ったから。
鏡を見て頬を叩いて気合を入れる。
行こう。
土方さんを捜しに。
ちらつく雪の中、あたしは一歩を踏み出した。