第二章 3.対面、芹沢鴨
あたしは既に別の部屋に席を移して酒盛りをしている芹沢鴨の前に座った。
部屋には芹沢のほかに2人いて、一人は目に眼帯をしていて、もう一人はかなり年のいったひょろひょろのおじさんだった。
芹沢鴨はもうかなりお酒がまわっているのか、赤ら顔で、目がすわっている。
吐く息が酒臭くて思わず顔をしかめそうになった。
「おまえが近藤の遠縁の、なんといったか…」
「水瀬真実と申します。」
「何とも麗しい若衆じゃのう、そう思わんか、新見。」
「そうですなあ」
にやにやとまとわりつくような、粘着質ないやらしい視線が向けられているのが感じられて気持が悪い。
気持ち悪い、嫌だ。
生理的にこの空間が耐えられなくて目を伏せる。
「時にお主、沖田とも互角に渡り合ったと皆が噂しておったがまことか。」
ひょろひょろおじさんが助け船を出すようにあたしに質問を投げかける。
おじさん、ナイス!
「いえ、あれは偶然です。
沖田先生にもだいぶん手加減していただきましたし。
私の腕など実践では全く役に立ちません。
まだまだ修業が必要です。」
「そんなつまらぬ話はやめろ。平間、野口、お主らは外せ。
水瀬、おまえはこちらに来て酌をしろ。
このような美童に酌をされれば太夫にも勝る夢心地よのう。」
芹沢はひょろひょろおじさんを一瞥して、あたしに赤ら顔を向けた。
顔はいやらしく緩んでいるけれど、目は有無を言わせない力をもっている。
眼帯の男とひょろひょろおじさんは気遣わしげにあたしを見て部屋を出ていった。
こんな圧力に負けるもんか。
こんなの腹を立てて、熱くなったほうが負けに決まってる。
冷静になれ。
「喜んで。」
あたしは挑むように笑い、視線外さずに芹沢の前に席を移し、お酌をした。
「ふん、おぬし、よい目をするな。
武士に美童などといえば大抵のものはいら立つものだが。
だが、これではどうだ。」
不意に酔っ払いとは思えぬほどすばやい動きであたしの手を前にひいた。
ドサ
あたしはとっさのことで体勢が保てず、芹沢の腕の中にすっぽり収まる形になっている。
「なっ!」
なに!?
芹沢は、あたしの背後に手をまわし、背中からお尻にかけてなでまわした。
!!!
「やっ、なにを!!!」
全身総毛だって、パニックになる。
気持悪!!!!!
触んな、この変態野郎!
あたしは芹沢を全力で押し返そうとしたけれど、びくともしない。
その時あたしの耳元であたしにだけ聞こえるように芹沢は底冷えのするような声色で言った。
「おぬし、女子であろう。」
!!!!
ばれた!!!
「気付かぬとでも思ったか。
このこと知れれば、ここにはいられまい。
近藤も困った立場にたとうの。
わしの言う通りにすれば、許してやろう。」
ねっとりとした絡みつくような視線と声。
面白がるようにくつくつ地獄のかまどみたいな笑い声をあげているけれど、
目は一切笑っておらず、仄暗い闇をたたえている。
この闇にからめ捕られてしまう。
始めから知っていたのか。
ちくしょう。
どうする。
どうする。
かんがえろ。
こんな奴の取引に応じられるはずはない。
落ち着け、落ち着け、
隙は必ずある!
!
押してダメなら引いてみろ
おじいちゃんの教えがふと頭をよぎった。
そうだ。
あたしが力むから力を込められるんだ。
全身の力を緩め、すべての体重を芹沢にゆだねてみる。
「?」
いまだ!!
あたしは芹沢の力が一瞬緩んだ隙に、体をひねり腕の中から抜け出した。
そして、転がりながら横にあった奴の脇差を奪い、一瞬で鞘から抜く。
「!」
「貴様何をする!!」
二人ともとっさのことに何が起きたのか気付いていないようだ。
ざまあみろ。
刀を身から離すからそういうことになるんだ。
女をなめんなよ!
あたしは瞠目する二人をしり目に脇差しを自分の首に押し当てた。
首にピリッとした痛みが走り、生温かいものが首を伝うのが感じられる。
「「!!」」
「私は確かに嘘をついています。
しかし、それが明らかになるときには死をもって償う覚悟してここにおります。
このことは近藤先生も土方副長も知らないこと、すべては私一人のはかりごとです。
でも、あの方たちは、わたしを信じてここにおいてくださるといってくださった。
その恩義のために尽くすことが私の誠です。
私のことでご迷惑おかけするならここで自決してその覚悟見せましょう。」
「「!!!」」
芹沢たちはさらに瞠目してあっけにとられている。
明らかに動揺している様子が見て取れる。
もうひと押し。
あたしは挑むように笑顔をうかべた。
脇差をさらに首に押し当てる。
ぱた、ぱた
畳にあたしの首から脇差しを伝って血が落ちる音がする。
ぱた、ぱた、
先にしびれを切らしたのは芹沢だった。
「分かったからもうやめろ。
わしの負けじゃ。
まったく…自分の首に脇差しを引き当てるなんて…なんて女だ。
水戸の武士にもそれだけ肝のすわった奴はおらんわ。」
芹沢は苦々しそうに、けれど笑いながらそういうと
手ぬぐいを投げてよこした。
今までみたいないやらしい笑いじゃない、
イタズラが過ぎて困った子供を見るようなちょっと不器用な笑い方で意外だった。
あたしは目を伏せてそれを受け取ると首に押し当てた。
「ふん、おぬし女にしておくには惜しいほどの度胸をもっておるな。
気に入ったぞ。水瀬。
その脇差しは、敗北記念じゃ。
おまえにくれてやる。」
芹沢はそういうと、不敵な笑みを見せて、新見と一緒に部屋を出て言った。
「ふう…」
はあ、危なかった。
あたしは手ぬぐいを首に押し当てたままその場にへたり込んだ。
今更ながら震えてくる。
ああ、膝が笑って立てないや。
我ながら、綱渡りだなあ…
あたしは苦笑しながら、チリチリ痛む首に面を変えて手ぬぐいを当てる。
ばたばたばたばた
廊下をかける音がしたと思ったら、ふすまが勢い良く開いた。
スパン!
「水瀬!!」
「まこと!!」
「水瀬君!」
そこには息を切らした近藤先生と土方さんと総司がいた。
「近藤先生、総司、ふくちょ…」
あたしは言い終わらないうちに視界が遮られて誰かの腕の中にすっぽり収まってしまった。
肩越しには総司と近藤先生が驚いたようにこちらを見ている。
と、いうことは…
!!
土方さん!?
「!!!」
「馬鹿野郎!!なんて無茶しやがる!!!」
「うわ、ごめんなさ…」
こ、怖い。
まさに鬼の形相。
「芹沢んとこに一人でのこのこ着いてくなんて何考えてんだ!!!
なんかあってからじゃおせえんだぞ!」
「すみま…」
「おめえは女なんだ!無防備なのもたいがいにしろ!!!だいたいおめえは…「まあまあ、トシ」」
「そんなに怒るんじゃない。」
近藤先生が苦笑しながらいさめる。
先生は腰を折るとあたしと目線を合わせて手を頭に置いて言った。
「自分の首に脇差しを当てるなんて、なんて無茶なまねするんだ。
君が女子だとわかってもきちんと守りぬくことはできるんだから、一人で抱え込まなくてもいいんだ。
俺たちは君を家族のように思っているから君ももっと頼ってくれていいんだよ。
それからとしがここまで怒るのも君を心配したからだよ、わかるな。」
「はい。
ご、ごめんなさい…。
もうしません。」
声が震えたのは、安心したのか、優しい言葉をかけられたことなのか。
ただひどくあたしは温かい気持ちになったことは事実で、うれしかった。
すごく。
「ところで土方さん、いつまでそうしているつもりですか。」
総司がおかしそうに言った。
「「!!!」」
あたしと土方さんは同時にこの異常事態に気付いたのか、ぱっと飛びのいた。
あたしは顔が真っ赤なはずだし、土方さんも心なしか顔が赤い。
「ふん、世話がやけるぜ。」
「まったくまことは無茶するんだから。
寿命が縮んだよ。しっかりお説教しようと思ったけど、土方さんが私の分まで怒ってくれたからまあよしとしましょう。」
総司は苦笑いを浮かべながらもホッとした様子であたしの頭をなでた。
「斎藤さんが知らせてくれなかったらどうなっていたか。」
「斎藤さん?」
「まことが新見先生に連れだされるのをみて様子をうかがっていてくれたんだよ。
もう一歩で踏み込んで止めるところだったと言っていたけれど、どうにか、芹沢先生が折れてくれたから入らなかったと言っていたけれど。」
「斎藤さんが…あたしを?」
「みんな見てますよ。」
なんだか信じられない。
あたしのことなんていつも無視するのに…
総司の笑顔がぼやける。
目がしらが熱くなって大粒の涙があふれた。
あたし見守られてる。
いろんな人に。
それはなんてありがたくて幸せなことか。
全然知らない場所にタイムスリップしたことは災難だったと思う。
今でもおかしくなりそうなくらい家族に会いたい。元の時代に帰りたい。
でも
こんな温かい人たちに出会えたのは、
この上ない幸せ
ありがとう。
ありがとう。
本当に。
あなたたちのこの優しさにあたしは自分の精一杯を返すと今誓います。