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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十七章 3.仰げば尊し

夕刻、闇に紛れてあたしは近藤先生がとらえられている牢屋へ走った。

知ってる。

ここにこうして来られるように勝先生が取り計らってくれたことは…。

人が来ないように遠ざけてくれたのだろう。

勝さんができる精一杯のことをしてくれたことに感謝する。

それを巻き込んでしまったことはとても申し訳ないけれど、あたしは心の中で、手を合わせた。


何個か続く牢屋の一番奥に近藤先生は居た。


「近藤先生!」


あたしは駆け寄って格子の中を覗き込む。


「水瀬君!なぜここに…!」


近藤先生はひどく汚れてところどころ殴られたような痣ができていて思わず泣きそうになった。

ひげも伸び、着物は薄汚れて、饐えたようなつんとした臭いが鼻につく。

近藤先生は目を見開いて狼狽している。


「いいから、早く今鍵を開けます!」


あたしはピッキングの要領で南京錠を開けようと試みる。

手が震えてうまくいかない。


「水瀬君…」


近藤先生が呆然とした様子であたしを呼んだ。


「闇にまぎれれば絶対に逃げ切れますから!」


「水瀬君!」


今度は強くあたしを咎めるように言う。


「総司も、待ってるんです。土方さんも、斉藤さんも、島田さんも…早く大将が戻らないと…「水瀬君!」」


格子越しに近藤先生の骨ばった傷だらけの大きな手があたしの手を包んだ。

泥に汚れた冷たい手だった。

その手を見て、またしても視界が涙で揺らいでいく。


「水瀬君、こんなことしちゃいかん。」


近藤先生はどこまでも静かだった。穏やかで優しい目をしていた。


「先生は悔しくないんですか、こんな…!こんな罪人みたいな扱い…ひどい!!」


あたしは近藤先生の手に顔を押し付ける。


「…悔しいよ。だがね、逃げることは最も恥ずる行為だと思っている。

それにここまで新政府が新選組を目の敵にしているということは、幕府にとって役を果たしたということだろう?

私は大将だ。

だから武士らしく自分の運命を受け入れる。」


「だめです。だめ…だめです…!!」


あたしは近藤先生の手を握りながら叫ぶように言った。


「切腹して自分の引き際くらいは潔いものにしようと思っていたのだが…。俺が新しい時代に残れば人心が揺らぐ。

敗者は潔く、すべての悪を引き受けて憎まれて死ななければいけない。それが大樹公であってはならん。

それは俺にしかできないことだと思った。

大樹公の御為に俺ができることはそうして悪を引き受けて死ぬことだ。

後の世にいかに悪名が残ろうとも、いや残すために、咎人として死ぬ、それだけが今俺にできる最期のことだからね。だから切腹ではなく斬首で。

勝さんには俺からそう頼んだのだ。

俺が次の世に残せるものはそれくらいだからね。」


全部の悪を引き受けて死のうというのか。

この人は。

後の世になんと呼ばれようとも、世の中の非難を徳川に向けない為に、上様を守るために…そのためだけに罪人として首を斬られることもいとわないという。

こんなにも見事な武士の生き方をあたしは知らない…。


「水瀬君、今まで本当にありがとう。

君がいてくれたおかげで私たちはまことの武士になれた。」


「そんな…やめてください…近藤先生、あたし近藤先生が認めてくださったから今こうしていられるんです。

本当に感謝してもしきれないくらいに…。本当にありがとう、ございました…。」


冷たい地下牢の地面に涙が滲みを作る。


「総司や歳を頼んだ。あいつらはどこか意地っ張りでまだまだ頼りないからなあ。」

新八、斉藤、左之、平助、源さん、山崎君、島田君…そして歳…永遠に仲間だ。

新八にはすまないことを言ってしまったな。歳にも迷惑をかけっぱなしだ。…水瀬君、伝えてほしい。

新選組がそこにある限り、俺も共にあると。

誠の旗印がある限り、俺たちは終わらないと…。

頼まれてくれるか?

最期の頼みだ。」


「…承知…しました…」


うなずくしかなかった。

その拍子に涙がまた一粒地下牢の地面に落ちてシミを作った。

そして…不意に脳裏に浮かんだのは、武士としての最期を選んだ山南先生を送り出した開け里さんの言葉だった。

“男はんはほんに阿呆ばっかりやから…ただ笑顔だけを覚えていられるように女子は笑うんやで。”

誠という不確かで、でも限りなく尊い思いのために死にゆく武士たちを送り出す女子の笑顔はきっとこの世で一番美しいと、あの時思った。

だからあたしも笑わなければ…。

近藤先生が少しでも心が慰められるように…ただ笑顔だけを覚えていられるように。


ふと頭に浮かんだのは、卒業式で歌うあの歌…。

今見事に潔く武士として旅立とうとしているこの士を送るのにふさわしい歌だと思った。

まるで総司の心みたいだと。

病と闘っているあのもう一人の武士の心を表している歌だと。


「近藤先生、未来では…旅立ちの時に歌を歌うんです…。

これは総司の代わりに歌わせてください。


”仰げば尊し、わが師の恩、教えの庭にも、早幾年。

思えばいととし、この年月。今こそ、わかれめ、いざさらば。”」


最後のほうは声が震えて歌えなかった。

でも総司の心を伝えたかった。


「ありがとう。水瀬君。本当に…ありがとう。

君にあえて本当に良かった。

さあ、行きなさい。人が来る。」


近藤先生が涙の浮かんだ目じりをきゅっと下げて笑った。


「近藤先生!あたし絶対に伝えますから!先生の誠を必ず後世に伝えますから!」


あたしは精一杯笑った。

近藤先生はもう何も言わない。

ただ静かに笑うだけだった。


あたしは振り返らずに走って牢を後にした。

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