第十六章 3.それぞれの戦い
江戸に着くと、土方さんや近藤先生たちは、土方さんのお姉さんの嫁ぎ先の佐藤家に身を寄せ、今後の動き方を決めるといった。
総司は千駄ヶ谷に身をうつし療養することになった。
新政府軍にとって沖田総司の存在は、危険極まりない。
暗殺の動きも出てくるということで、総司は名前を変え、あたしと夫婦ということにして千駄ヶ谷に潜伏することになった。
総司は最後まで反対し続けていたけれど、近藤先生に説得されてしぶしぶ了承したようだった。
水瀬総司、お倫といういつかの密偵のときと同じ名で身を隠すことになり、それは昔の幸せだった時を思い出させ、もうあのころには戻れないことを実感させ、切なかった。
総司は前みたいに顔も見たくないと、遠ざけることはなくなったけれど、あまり会おうとしなかった。
もう自分で起きることもままならなくなってあたしに逢いたくないなんて言う余裕が無くなっただけなのかもしれないけれど。
食事や掃除以外には総司の部屋へは立ち入らないと約束し、ただ顔を合わせた時はあたしは昔みたいに話した。
たくさん。時を取り戻そうとするように、面白おかしくいろんなことを。
総司ははじめは何も話さなかったのだけれど、少しづつ相槌を打ったり、笑ったり、反応を見せるようになった。
あたしたちは世間の激動がうそのように、静かに、穏やかに時を刻んでいた。
慶応四年三月。
寒さが緩んできて、総司の調子が今日は少しいい。
最近はあまり食べ物も受け付けなくなってきているけれど、薄味の雑炊くらいなら、のどを通るだろうか。
そう思いながら、食事の支度をしていたその時だった。
勝手口に、人影が見えて、緊張が走る。
手元に置いてある脇差しを手に取って、構えた。
人影が動いたその時、
「何奴!」
相手の鼻先に脇差しを突き付ける。
驚いて、目を見開いているのは、永倉さんと原田さんだった。
「驚かせるなよ、水瀬。」
「まったく肝が冷えたぜ。」
あたしは謝りながら脇差しを鞘に納めると、二人を家に上げた。
懐かしくて二人のサプライズ訪問は心を浮足立たせた。
総司の居室の前に来ると、あたしは静かに声をかける。
「総司、永倉さんと原田さんがお見舞いに来てくれたよ。」
二人を通すと、総司が痩せこけた顔に笑顔を浮かべ、二人を迎え入れた。
二人とも総司の痩せように驚いているようだったけれどすぐに笑顔になって冗談を言って総司を笑わせた。
あたしは二人のためにお茶を入れて持っていくと、台所へ戻り、食事の準備を続けた。
きっと男同士積もる話もあるだろう。
総司が二人に逢えるのはこれが最後かもしれないから。
松本先生にも言われた。
もう総司は永くはないと。
いつ発作を起こしてそのまま息を引き取るかわからないほどに悪化しているのだと。
そして総司自身そのことに気が付いている。
でも総司はあたしがそれを知っていてほしくないと思っている。
だからあたしは笑う。
能天気なくらいに。
こみあげてくる死の恐怖と、虚無感に心が呑まれそうになることもあるけれど、でも、総司の前ではめそめそした姿は見せたくなかった。
*
夕方になり、原田さんと、永倉さんが帰るのを玄関まで送り出していた。
「じゃあ、土方さんや近藤先生によろしく伝えてください。」
二人は一瞬黙り込んで顔を見合わせる。
そしておもむろに永倉さんが口を開いた。
「実は、俺たち新撰組を離隊したんだ。」
!
二人が?
あたしは信じられない思いで言葉が継げなかった。
「新撰組の進む方向と俺らの想いが違っていたから。
誠を偽っては戦えねえから。」
原田さんがいつになく真面目な顔で言う。
みんな離れていく。
雲がちぎれて空に溶けるように、ばらばらになっていく。
それはとてもさみしくて、切なかった。
「そうなんですね。でも、武士は誠のために生きる生き物だから。
心を偽っては戦えないのでしょう?だから応援しますよ。」
武士とはもののふ。守るべきもの、その誠のためだけに走る、とんでもなく不器用で、哀しい、でも美しく潔い存在。
だから止められない。
さみしいけれどこの時世でもなお誠を追い続けるこの真の侍にあたしが何を言えるだろう。
女子にできることはすべてを飲み込んで笑って送り出すことだけ。
「ありがとう、水瀬。俺らは進む方向が違っていても、新撰組のやつらは生涯の同志だと想っている。
土方さんも、近藤さんもそうだと信じている。だから俺たちは戦うよ、総司の分まで。」
永倉さんが最後のほうは声を震わせて言った。
「あいつ、あんなに痩せちまって…見ちゃいられなかった。
なのに、馬鹿みたいに昔みたいに笑いやがって…。」
原田さんも目に涙を浮かべた。
「総司は、総司の戦いをしているんです。武士として、必死に戦っています。
だから私たちは総司を笑顔で支えるんです。」
あたしに今できることは精一杯の笑顔で総司を見守ることだけ。
「水瀬…総司のこと頼んだ。
お前にしか、総司を支えることはできねえから。」
「はい。任せてください。」
「じゃあ、俺らは行く。俺らの戦いを。
水瀬もお前の戦いを必ず勝て!」
二人は片手をあげて歩き出した。
あたしは大きく手を振り言った。
「御武運を!!二人ともいってらっしゃい!」
女子にできることは笑って戦う男たちを送り出すことだけ。
それが女子の戦い。
皆戦っている。
それぞれの戦いを。
あたしは二人の影が見えなくなるまで手を振り続けた。