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虹に届くまで  作者: 爽風
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第二章 1.私の仕事

いち、にい、さん


遠くから掛け声と共にビュッと風を切る素振りの音が聞こえる。

稽古の最中なのだろう。


あたしはというと隊士のみんなの洗濯物と格闘中。

洗濯板に洗い物をごしごし擦り付けもみ洗いを繰り返すとようやく泥や血の汚れが浮いてくる。

着物についた血を見るとやっぱりみんな見回り(巡察と言うらしい)で返り血を浴びたり、怪我をしたり、危険な任務についていることが実感されて落ち着かなくなる。


そもそもこの壬生浪士組は倒幕運動の為に悪化した京都の治安維持の為の警察組織みたいなものらしく、みんな江戸から来たらしい。過激な尊王攘夷(つまり天皇をトップにして外国を排斥する思想)に染まったテロリスト的な輩を取り締まるのがお役目なのだ。

恥ずかしながら幕末のこの時代に何が起きているのかさっぱり知らなくてどうにか、新撰組の成り立ちと立ち位置をぼんやりと理解した。

正直倒幕とか尊王攘夷とか全然実感がなくて気持ちがついていかないけど、こんな風に毎日誰かは怪我したり、返り血を浴びて帰ってくるたびに怖い時代だって思う。


血でうすピンクに濁った水を樋に捨てて着物を思い切り絞り、タライに放り込む。

タライが山盛りになったところであたしは立ち上がって伸びをした。ずっとしゃがみこんでの作業だから腰から背中にかけて結構負担が来て、腰がバキバキ鳴る。


「ふわぁー」


ああ、洗濯機がほしいよ…

文明の利器って素晴らしいな。

まあ家事は得意だし、やることがあった方が気が紛れるから全然問題ないんだけど、いかんせん量が多すぎるのだ。


見上げれば空は抜けるように青く、雲の形がはっきりしてきた。風はどこからか緑の匂いを運んで来て初夏の訪れを感じさせた。

あたしが来た頃はまだ咲いていた桜がすっかり散ってしまっていて若葉が芽吹いてきている。みずみずしい萌黄色の若葉は目にまぶしくて、百五十年の時を越えても空や風や自然はほとんど変わらないのだということに不覚にも涙ぐみそうになる。


あたしがここに来てからもう2週間がたった。

あれからすぐに未来から来たことを隠すために、あたしはつけていた下着を薪と一緒にかまどで燃やし、お母さんの形見の指輪のネックレスは布に包んでこっそり壬生寺にあずかってもらった。

あたしはいろんなことをこれから隠して生きていくんだろうな。


もとの時代にいたら、ちょうど大学の新学期が始まる頃だ。

あのまま大学に通っていたら大学3年になるはずで、熱心にとまではいかないものの、

就活やらいろいろやらなきゃいけないことをたくさん残してきてしまった。

留年もしたくないし、できれば秋までには帰りたい。


「焦ってもしょうがない、か…」


あたしは独りごとをいうと迷いを振り切るように立ち上がって洗濯物を干し始めた。


ここであたしに任された仕事は主に家事。隊士の人たちの身の回りのお世話をすることだった。

とはいえ隊士の数も20人近くいるもんだから炊事にしろ洗濯にしろ大家族もビックリな量だ。


特に大変なのは炊事。

かまどに火を起こしたことなんてないし、釜でご飯を炊いたことだってない。

火加減もよくわからないしこれは慣れるまでかなり時間がかかりそうだ。

調味料は和物はだいたい揃ってるけど、味噌や醤油は食べ慣れた味よりだいぶ塩辛いし、酢も酸っぱい。砂糖はかなり、高級品で残念ながらここにはない。

そして何より、壬生浪士組はスポンサーからお金が下りないみたいで、今はど金欠らしく、米すら3日に一度しか炊けない有様なのだ。

隊士の人はみんな若いし、力仕事だからお腹空くだろうから、何とかして節約カサ増しレシピを考えていかないと。


洗濯、炊事、掃除で1日が終わってしまうのだけれど、とにかく自分がやれそうなことを、見つけて何かに没頭しているうちは余計なことを考えずに済むのがありがたい。



戸惑いながらもみんなよくしてくれているとおもう。


近藤先生は武骨だけど優しくて温かい、お父さんみたいな人だと思う。器が大きくて、あたしみたいな怪しい人間を信じると言ってくれたこと、すごく嬉しかった。


山南さんはおだやかでいつもニコニコしていて優しい、わからないことは何でも聞きなさいと気を使ってくれる、みんなに慕われて頼りにされている学校の先生みたいな人。


総司はちょっとあき兄に似てる。人当たりが良くて、でも何考えてるかつかめないとこが特に。

でも時折見せるやんちゃな子供みたいな笑顔はきっと彼の本質なんじゃないかと思う。

剣をもつと冷徹で無機質な鬼になる、でも優しくて不器用な一面があることも事実で…

あたしと相部屋になったことではじめはよそよそしくて喧嘩(あたしが一方的にぶん投げて言いたいこといっただけ)もしたけど、それが効を奏したのかだいぶ打ち解けることができてきたとおもう。

年も同じ二十歳なんだけど、何て言うか男友達というより兄弟みたいな感覚だ。同室だってこともあって、一番いろんなこと話せる人かもしんない。


佐之さんは一言で言えばワイルドな(残念な)イケメン。ムードメーカー。変に構えずにあたしにも話しかけてくれるから、すごくありがたい。ただエロいのと、三枚目になりすぎるのが魅力?でもあり、玉に傷。お腹に切腹し損ねた傷があるらしく、俺の腹は金物の味を知ってるから見ねえか?が誘い文句の十八番らしい。


永倉さんは冷静かつクール。なんだかつー兄に似てる。口数は多くはないけど回りをよく見てるところとか、ボソッと渋いというかシュールな突っ込みいれたりするところは特に。

一見佐之さんとは正反対に見えるけど、二人ともお酒と女好きっていう共通項をもっていてすごく仲良しだ。ボケと突っ込みがうまくはまっていて見ていてすごく楽しい。


平助君(平助と呼んでと彼は言った)は総司と同じで二十歳だけど、小柄で色白、猫目な感じはすごく可愛くて、女の子みたい。背はあたしより小柄なのを本人は気にしているらしいので言えないけど。

でも、真面目で一本気、竹を割ったみたいな性格で、思い込んだらとことんみたいな一途な情熱家だ。


斎藤さんは無口でまだあまり話したことがない。というか誰かと話しているところも聞いたことがない。挨拶をしても無視されることがほとんどで正直よくわからない。

背が高くて、がっしりと鍛え抜かれた背中は私を拒絶している。切れ長の一重の目は鋭くて、その目で睨まれると動けなくなってしまう。いつと不機嫌そうにキリッとした眉をひそめて私を睨んでいる。

にらまれると石にされてしまうギリシャ神話のメデューサみたい。

何もかもを見透かされてしまうような深い深い瞳が印象的で、誰とも関わろうとしていない孤高の狼だ。


そして土方さん。

土方さんは…正直よくわからない。

初めて会ったときの強烈な憧憬は何だったのか、

今だに自分でも理解できないのだ。

ただ、厳しくて冷徹というのは隊の中でも評判らしくて、隊士たちはみんな緊張するらしい。


まだまだあたしは彼らを知らない。

彼らもあたしを知らない。

私たちの日々はまだ始まったばかり。

これからいろんなことが知れるといいな。




そんなことを考えているうちに洗濯が終わった。

何かをやり終えるのは気持がいい。

青空の下に洗濯物が風にはためいている。

腰に手をあてて満足げに眺めていると、後ろから声をかけられた。


「洗濯終わった?」

振り返るとそこには稽古終わりの総司がいた。

よほど白熱したのか稽古着が汗で色が濃くなっている。

「稽古お疲れ様です。」

「あんまり黙々とやってるから終わるまで声かけそびれちゃったよ。」

「見てるなら手伝ってくれればいいのに。」

「洗濯するとおなか痛くなるんだ。」

「なにそれ。変なの。」

総司は頬にえくぼを見せていたずらっ子みたいな笑顔を浮かべた。

この笑顔憎めないなあ。

すごいかっこいいってわけでもないんだけど、すごく人を引き付けるいい笑顔だと思う。

人当たりもいいしもてるんじゃないかなあ。


「これから暇?」

「ううん、今から夕食の準備。今日はいろいろ作るから準備が大変なんだって、おトキさんが言ってたから。」


おトキさんは八木邸の台所を任されている女中さんで、かまどすら見たことがなかったあたしを見て「あんたはどこぞのいとさん(お嬢様)かいな」と呆れてびっくりしていた。

あたしはお母さんの記憶はないから想像でしかないんだけど、トキさんは優しくてあったかくて「おかあさん」みたいな人だ。


「なんだ、せっかく甘味にでも行こうと思ったのに。

でも今日は真実の歓迎会だからおトキさんも張り切ってるんだよ。」

「あたしの歓迎会?」

なにそれ?

「あれ、のびのびになってた歓迎会が開かれるって言わなかったっけ?」

「知らないよ、そんなの」

「まあ、今日は芹沢先生の一派も来るから十分気をつけてね。」

「…うん。」


芹沢鴨…新撰組筆頭局長。

酒乱による狼藉で大和屋を焼き討ちにしたり力士を切ったりやりたい放題だったらしい。

会津の密命により暗殺される…


どんな人なんだろう??

芹沢鴨…

なんか怖いな。


あたしの不安はその夜的中することになる。

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