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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十六章 2.海のような人

鳥羽伏見の戦いで敗戦の辛苦をなめた旧幕府軍のありさまは本当に目を覆うものだった。

新撰組は全体の三分の一が戦死したため、京から江戸へと移動して力を蓄えることになったので、大阪で、総司と近藤先生と合流、船で江戸へ向かうことになった。


あたしはけが人を収容した船のほうに乗って手当てをしていたのだけれど、何分医療器具も、薬もなくて病気になって死んでいく隊士たちに何もできなかった。

そしてもう一つあたしたちを悩ませたのは船酔いと食事のひどさだった。

船酔いで体力を消耗する中、まずい食事はさらにあたしたちの気力をそいだけれど、船旅ではできるものも限られていて、皆ただ耐え続けた。


甲板の隅に倒れかかるように座り込む。

冬の刺すように冷たい空気が逆に心地よい。

船酔いに吐き続けて、体力もいい加減なくなってくるのだけど、けがをしている人たちはさらに苦しんでいる。

そう思ってけが人の見回りを終えたところだった。

膝を抱えて寝不足の目を膝に押し付ける。

総司や近藤先生は大丈夫だろうか?

きちんとご飯は食べられているだろうか?

橋本の戦いでけがを負った山崎さんは?

どうにか江戸まで持ってほしい。

そうすれば松本先生がいる。

神さま、どうかお願いします。

皆を助けて。



「水瀬さん!大変です。山崎さんの容体が!!」



あたしはふらつく足に鞭をうって船室へ駆け出した。


部屋ははいると、全身に包帯を巻かれて横たわる山崎さんが目にはいる。

橋本の戦いで全身に傷を負った山崎さんには薬が無くて簡単な応急処置しかできていなかった。

山崎さんは震えが止まらないらしく、目の焦点が合っていない。

かつかつと歯の根もあわず震え続けている。


「!

だれか、気つけの焼酎持ってきて!!あと暴れないように男手を!!」


どうすればいいかわからない。

ただショック状態に暴れる山崎さんを押さえつけてその手を握って名前を呼び続けることしかできない。


「山崎さん、大丈夫、側にいるから!!」


しばらくたつと、震えが収まり、少し症状が落ち着いたようだった。

あたしの手には山崎さんの爪の跡がくっきり残っていた。


その夜遅く、不意に山崎さんが目を覚ました。

さっきショック症状で暴れた人とは思えない穏やかで落ち着いた表情だった。


「山崎さん、わかる?あたしだよ。」


「水瀬…か。」


「うん。寒くない?」


「なんや、痛くはないんやけど…少し寒いなあ…。」


顔は紙のように白くなっていてまるでもうこの世のものではないみたいだった。

あたしは山崎さんの命を引き止めるように手を握り頬にあてる。

そうしないとすぐにでも彼岸に逝ってしまうような気がしたから。


「女子に…手えにぎられんの悪くないな…。」


小さく笑った山崎さんに思わず泣きそうになる。


「その減らず口閉じてさっさと治してください。」


「ふふ…なつかしいなあ。お前と監察の仕事できて…おもしろかったで。」


「まだこれからです!まだまだ教えてほしいこといっぱいあるんだから。」


「危なっかしくてみてられんかったわ。でも…お前のそのまっすぐさに救われとった。

せやから、おおきに…。

局長や副長にもお世話になりましたて伝えて…な。」


山崎さんの目はもうここではない遠いところを見ている。

その命の炎を消そうとしているのが見て取れて、あたしは一層手に力を込める。


「そんなの自分で伝えてください!!逝っちゃダメです。

一人だけ一抜けなんてずるいです。」


「次は…別の形で…お前に、逢いたい…。」


別の形…

山崎さんの目があたしをとらえる。

黒い瞳にあたしの泣きはらしたひどい顔が写っている。


一瞬手に力がこもり、そして手が滑り落ちた。


「山崎さん、山崎さん!!だめです。

逝っちゃダメ、お願い…!嫌です。いや…逝かないでください…。」


あたしは山崎さんの肩を揺さぶり続けたけれど、山崎さんが目覚めることはなかった。

あたしの手にはさっきまで生きるために必死にもがいていた山崎さんの爪の跡が痣になって残っている。

その痕跡を手でなぞりながら、さっきまで生きていた人が今はもう彼岸にたたずんでいることへの不条理さにしばらく動けずに、土方さんが入ってくるまで、ずっと泣き続けた。




山崎さんの遺体は海に流されることになった。

忍びの流れをくみ、決してひとところにとどまらない山崎さんにふさわしい最期だと思う。

土方さんや近藤先生、そして新撰組の隊士たち、総司も病を押して葬儀に参列した。


白い布にくるまれた山崎さんの遺体が波間を揺蕩いながら海に沈んでいく。


「山崎は良い奴だった あいつはァこんなに大勢の人に見送られて幸せだ」


遠くなる白を見つめながら土方さんが隣でつぶやく。


「お前が看取ったんだろう。

山崎を…。礼を言う。

あいつも水瀬に看取られて幸せだったさ。」


視界が揺らぐ。

泣かないと決めていたのに、いったんあふれ出した涙は止まらない。


「見事な男だった。」


正装した近藤先生が肩をかばいながら声を震わせた。


もう波間に隠れて山崎さんの遺体は見えない。

でもこの雄大な太平洋に山崎さんは揺蕩う、それでいい気がした。

あの人は海みたいな人だから。

優しくて、厳しくて、すべてを包み込むそんな人だったから。



山崎さん、あなたは海みたいでした。

優しくて、でもすごく厳しくて…

あたしあなたのおかげで、ここまでこうして生きてこれたんです。

だからありがとうございます。

怒られ続けたけれど、パートナーって言っていいですか?

あたし水瀬は、新撰組一の監察の相棒だったって胸を張ってもいいですか?

「別の形で逢いたい」って最後の最後にそんな告白ずるいです。

大好きでしたよ。その厳しさも、優しさも…。

また逢いましょう、この時空のどこかで。

きっと。



深い濃い群青に雪が解ける。

それは際限なく永遠を思わせるものだった。

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