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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十六章 1.鳥羽伏見の戦い、源さんの死

新政府は徳川幕府の名残を一切許さないらしい。

徳川慶喜出兵の報告を受けて政府に緊張が走り、3日から緊急会議が召集され、政府参与の大久保利通は旧幕府軍の入京は政府の崩壊であり、錦旗と徳川征討の布告が必要と主張したが、政府議定の松平春嶽は薩摩藩と旧幕府勢力の勝手な私闘であり政府は無関係を決め込むべきと反対を主張。

ついに徳川を賊軍として討伐が決定したのだ。


慶応四年、一月三日


ついに歴史上あまりにも有名な鳥羽伏見の戦いの幕が切って落とされた。

元日に、徳川慶喜は討薩表を発し、1月2日から3日にかけて「慶喜公上京の御先供」という名目で事実上京都封鎖を目的とした出兵を開始した。旧幕府軍主力の幕府歩兵隊は鳥羽街道を進み、会津藩、桑名藩の藩兵、そして新選組は伏見市街へ進んだ。

3日夕方には、下鳥羽や小枝橋付近で街道を封鎖する薩摩藩兵と大目付の滝川具挙の問答から軍事的衝突が起こり、鳥羽方面での銃声が聞こえると伏見(御香宮)でも衝突、戦端が開かれた。

新政府軍の新式の銃や大砲の威力はすさまじく、次々に人が死んでいく。

弾幕射撃によって前進を阻まれ、伏見では奉行所付近で幕府歩兵隊、会津藩兵、土方さんの率いる新選組の兵が新政府の隊に敗れ、奉行所は炎上した。


血と、悲鳴と怒号、鉄の玉が矢となって飛び交い、救護所はけが人と遺体ですぐにいっぱいになった。

地獄とはまさにこのこと。

くすりも包帯も一瞬で尽きる。

片手や足が無くなって、それでもなお泣きわめく人。人。人。


「いてえよ。」

「母ちゃん!!」

「死にたくねえ!!」


吐きそうなくらいの血の匂いの中、あたしはずっと動き続けた。

傷口を洗い、包帯を巻く。

際限なく増え続けるけが人、手当てしたそばから死んでいく人。

麻痺する感覚。

自分が怖かった。


救護班の人に教えたのは簡単な応急処置。

そして災害時の救護の基本トリアージ法。

手当ての優先度を決めて色の布を体に付けて判断するのだ。

緊急性の高い人は赤、軽度の人は青、そして手の施しようのない人は黒。

黒の布を巻くとき、無力感と申し訳なさと、罪悪感で頭がおかしくなりそうだった。

でも、少しでも多くの人を助けること、それが自分の戦いだから、そう言い聞かせてただひたすらに動き続けた。


「!」


不意に手首をつかまれて驚く。

まだ若い会津の兵士だった。

額や目元に、幼さが残っている。

腕には黒の布。

片腕がなく、お腹からもどくどくと血があふれていてもう誰の目に見ても、助からないことは明らかだった。


「…ゆ…き…、いま…かえ…る…」


かすれた声が聞こえる。

あたしは彼の横にしゃがんで肩からかけていた竹筒の水筒から水を飲ませ、血だらけの手を握る。


「ゆ…き、あ…い…して…る…」


この人は今夢を見ているのだ。

大切な人に抱かれている夢を。

だったらせめて幸せな夢のままに逝かせてあげたい。

あたしにはそれしかできないから。


「うん、お疲れ様。頑張ったね。」


あたしは笑顔でその人に笑いかけると、彼は至福の表情でゆっくりと瞳を閉じて、そのまま動かなくなった。

彼の手を重ね、顔を拭いて血をぬぐうと、きれいな顔立ちをしていることがわかった。


一瞬黙とうをささげ、すぐに踵を返して戦場の中へ飛び込んでいく。

野戦病院という名の命を救うための戦の中へ。

以前の自分ならこんな状況に泣きわめいていただろう。

なのに今は泣けない。


何十人、何百人もの人がたった一日の中で死んでいく。

家族や恋人に逢うこともかなわず、無念の中で。

だからせめて、黒の布を巻いて運ばれた人には末期の水を飲ませたり、手を握ったりしてその命を看取った。

それが単なる気休めで、自己満足でしかなくても、泥にまみれて、孤独に死んでいかせるのは耐えられなかったから。



泣いている暇なんかない。

ただ必死に手を動かし、手を握り、声を掛け合い、自分のできることをするしかなかった。





一月五日。

新撰組は淀まで退却し、みな疲弊していた。

隊士のかなりの人数がけがをしたり、中には亡くなったりしている人もいる。


その時だった。


「水瀬!!」


血だらけの永倉さんに連れられてまだ若い男の子が呆然とした様子でたちつくしていた。

一緒にいたのは井上泰助君。源さんの甥っ子で、まだ12、3だった。


「永倉さん!泰助君、けがは!?」


あたしが駆け寄ると、永倉さんが沈痛な面持ちで口を開いた。


「水瀬、源さんが…死んだ…。」


「!!」


一瞬音がすべて消えた。

源さんが、優しくて控えめで、みんなをお父さんみたいに見てくれていたあの源さんが…。

”自分には何のとりえがあるわけじゃないからねえ”と笑っていた源さん。

でも本当は知っている。

あの控えめだけど暖かくて優しい源さんがいたから、みんな馬鹿ができた。鬼になれたことを。


「立派な…最期でした。私にとっては…誰よりも、あの人は武士でした。」


絞り出すように泰助君が声を震わせる。

あたしはたまらなくなって泰助君を抱きしめた。

小さくてまだ細い肩だった。

瞼が熱い。


「首は…重くて持って帰れませんでした…。

だから、近くの寺に埋めました…。

おじさんを一人にするのは…かわいそうなんです。でも…どうしても持ち帰れなくて…

結局持って帰れたのはこの髪だけです。」


そういって差し出したのはぎざぎざに斬られた源さんの遺髪だった。

決して泣くまいとする泰助君が痛ましくて、あたしは泰助君を抱きしめて泣いた。

これまでの我慢が堰を切ったように溢れ出し、熱い涙となって流れ落ちる。


「泰助君、源さんも君も、誰よりも立派な武士よ。

源さんはここで泰助君を見てくれてる。よくやったって。

だからもう我慢しなくてもいいのよ…。」


泰助君の肩を抱きながら目を見て言うと、澄んだ美しい目で見返した。


「水瀬さん、私は、泣きませんよ。

だって、私も…武士ですから。」


そういって泰助君は澄んだ笑顔を浮かべた。


あたしはそんな泰助君がいじらしくて、痛ましくて、源さんの死がつらくて、戦いの理不尽さに涙が止まらなかった。

どうしてこんなにも血が流れ、命が散るのか。

皆家族があり、誰かにとっての大切な人で、簡単に奪われていいはずがないのに…。

あたしは永倉さんや泰助君の見守る中涙が枯れるまでずっと泣き続けた。


いつの間にか夜の闇があたりを多い、空には輝く星が瞬いていた。

この三日間で多くの人の命が散った。

その人たちの魂がどうか、救われますように。

あたしは星に祈るしかできなかった。



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