第十五章 5.風、想いのままに。
近藤先生の手当てを終えて外に出た瞬間、不意に涙がこみあげてくる。
それは近藤先生が助かったことへの安堵と、一歩間違えば命を落としていたかもしれない恐怖。
あたしは濡れ縁に腰掛けると、膝を抱えて座り込み、瞼を膝に押し付けた。
神様、どうか新撰組の仲間の命をこれ以上奪わないで。
月だけが憎らしいくらいに美しく輝いている。
「水瀬」
不意に声をかけられて振り返ると、斉藤さんが立っている。
斉藤さんは油小路事件後、改名、山口二郎として新撰組に帰ってきた。
それに動揺している隊士もいたけれど、あたしはただ生きて戻ってきてくれたことがうれしかった。
「斉藤さん…」
「もう斉藤じゃない。」
斉藤さんは苦笑している。
「いきなり山口さんなんて呼べないです。あたしにとっては斉藤さんですし。」
「まあ、いい。好きに呼べ。
局長はどうだ?」
斉藤さんはあたしの隣に腰掛けて言った。
「ええ、落ち着いて眠っています。」
「そうか。
…もうすぐ戦が始まるな。」
「ええ…。」
「怖いか?」
「また皆が傷つくかと思うと、怖いです。
自分はただ指をくわえてみているしかできないことが。」
「お前は、お前にしかできぬことがあるだろう。
何もせずに黙って待つのはお前には似合わん。」
「!」
あたしにしかできないこと…。
あたしはどうすればいい?
みんなを助けるために、できることは何?
総司や近藤先生を守ってここにいることだけか?
「お前は風だ。自由に自分の思うままに走っている時が一番輝いている。」
あたしの望み、それはみんなを守ること。
そのためにまだあたしは何もしていない。
泣く前に、崩れる前にまだまだできることはあるはずだもの。
できないことを嘆く前に、できることを探そう。
「…斉藤さん、あたしも戦に行きます。
みんなを手当てする救護班として。行かなければあたしは一生後悔する。
力の限り、助けたい。」
「止めたとしても、お前は聞かんだろうな。」
斉藤さんはあきれたように小さく笑った。
*
あたしは戦に行きたい旨を土方さんに伝えた。
土方さんには反対されたし叱られたけれど、後悔したくないと伝えたら「勝手にしろ。」と呆れられた。
死にに行くんじゃない、守るために行く。
ここに残る総司や近藤先生の看病を屯所に残る隊士に引き継ぐ。
総司はあたしがそばにいることを望まない。
顔を出すことも許さないくらいだから。だから、せめて、陰でもできるように遺せるものを、残そう。
総司や近藤先生の療養メニューの献立。
傷の手当の仕方。
包帯の巻き方。
薬の飲み方。
そんなことを細かく書き留めていくと、土方さんの小姓をつとめる市村君に頼む。
市村君はまだ16、でも素直でやんちゃでかわいい弟みたいな存在だった。
「水瀬さん、副長が荒れてましたよ。」
市村君に引き継ぎの書類を渡すと、市村君は苦笑していった。
「新撰組のために自分の力を有効に使える場面を進言しただけよ。
土方さんもきっとわかってくれる。」
「水瀬さんは意外に頑固なんですね。」
「うん。頑固でわがまま。
自分のしたいように、後悔のないように生きる。」
「かっこいいなあ。そんな生き方。
俺はまだまだ剣も未熟だから、戦には行けない、それが悔しいです。
自分の能力に自信をもって行動できるってすごいです。」
そんなんじゃない。
あたしはもう誰も失いたくないだけだ。
自分にできることは少なすぎる。
でも、何もしないで泣いていることはもうできない。
「近藤先生と総司に挨拶してくるね。」
そういって踵を返す。
もう迷っている時間はない。
あたしはあたしのできることを、あたしはあたしのすべきことをする。
そのためには、言うべきことをきちんと伝えよう。
後悔なんてしないように。