第十四章 6.油小路事件、闇に散る緋
平助君を助けるのだ。
そして誰よりも愛おしいあの人の鬼としての生きざまを見届けるのだ。
月も星もない闇夜。
あたしは山崎さんと共に息を殺してその時を待った。
伊東参謀は監察の大石さんに暗殺されたらしい。
その亡骸は白い布にくるまれて今油小路に放置されている。
あたしはその亡骸を見てはいない。
あの人が来てからいろいろなことがあった。
あの人の策略で襲われかけたことも、
山南先生が死を選んだことも…。
恨みの気持ちがもっとあるかと思ったけれど、
人が死んだのにおかしいくらいに何も感じない。
ただ、心の中を隙間風が通り過ぎるだけ。
むなしい
ただその気持ちしか無かった。
小さく息を吐くと、
隣で山崎さんが言う。
「水瀬、ゆらぐなら、帰りや。
邪魔になるだけや。」
昏くて表情はわからないけれど驚くほどに冷たい声だった。
そうだ、今は個人的な感情に浸っている場合じゃない。
迷いは揺らぎは弱さになる。
「大丈夫です。
武者ぶるいだから。」
「しっかりしいや。」
「はい。」
山崎さんに顔を向けて頷いたその時
小路のほうで人の気配がした。
「伊東先生!
なんとおいたわしい!!」
「おのれ!!新撰組!」
「下郎が!!許せん。」
隊士たちが伊東参謀の遺体を見つけたらしい。
その声に、潜んでいた新撰組の隊士たちが飛び出し、途端に金属のぶつかり合う音が聞こえ始めた。
始まった。
あたしのここでの仕事はけがをした隊士の治療と、逃げ出す御陵衛士の捕獲。
そして平助君を無事に逃がすこと。
どうか、無事で。
その時、永倉さんと左之さんの声が聞こえた。
「「平助!!」」
あたしは、走って声のほうへ駆け出す。
小路の陰には左之さんに抱えられた
血だらけの平助君が力なく横たわっていた。
なんてこと!!
「平助君!」
「水瀬!」
「平助を頼む。このバカ逃げなかったんだ。」
左之さんと永倉さんの言葉にあたしは頷いて平助君の顔を覗き込む。
暗がりでも血の気のない顔が見て取れて、あたしは唇をかみしめた。
傷は深く、とめどなく血が流れていく。
傷口を抑えてさらしをまく。
息を浅く繰り返す平助君は、もう誰の目に見てもその命の炎を消そうとしていた。
こんなことのために送り出したんじゃない。
なのに、なんで逃げなかったのよ。
「水瀬…」
応急処置を終えると、平助君が意識を取り戻したのかうっすらと目を開ける。
「平助!」
「平助君!!」
あたしたちはいっせいに覗き込むと浅い息を繰り返す平助君は口元に花のような笑みを浮かべた。
「みんな…そろってどうしたのさ。ひどい顔だな…。」
「平助!!なんで逃げなかった!!」
永倉さんが見たこともないほど取り乱して言う。
「敵前…逃亡は…切腹だから…。
それに…俺は……武士…だから…。」
どこか得意げに笑って言う平助君は昔と少しも変わらなかった。
「わかった。わかったから、何も言うな。平助。」
左之さんが声を震わせていうのを平助君は笑って制した。
「二人…とも…俺が…いなくても、
ちゃんと…サボらないで…稽古…しなよ。」
「馬鹿野郎。お前が心配することじゃねえ!」
「まったくだぜ。ガキはガキらしくしてろ!」
永倉さんと左之さんはことさら明るく怒ったように言う。
この三人の掛け合いが好きだった。
いつもふざけてる左之さん。
それに真面目につっこむ平助君。
横から茶々を入れる永倉さん。
屯所を明るくしていて、大好きだった。
でも今この掛け合いはどこまでも切ない。
視界が揺らぐ。
胸がちぎれるくらいに痛い。
なのに今この光景はなんなの??
神様はどうしてこんな歴史を選ぶの?
「ふふ、もう…一度…新撰組に…もどりたい…。」
平助君の小さなつぶやきに涙があふれる。
「ふふふ…水瀬…泣くなよ………水瀬の…笑顔は…太陽だから…笑えよ……。」
平助君はあたしの手を握って笑った。
どこまでも澄み切った優しい笑顔だった。
「…うん。」
あたしは涙でぐちゃぐちゃで、唇を引き上げたけれど少しもうまく笑えずに顔を覆った。
「益荒男の…七世をかけて…誓ひてし……ことばたがはじ大君のため
…後悔は…ない。
こうして…伊東先生に…ついてきたことも……
でも……この…人生…の、中で…一番の…幸福は…皆に…出逢えて…新撰組に…い…られ…た、こと…
ありがたき…幸せ……。」
一瞬平助君の視線が虚空をさまよい、ゆっくりと目を閉じた。
浅い呼吸はもう見とめられなかった。
「平助!!」
「平助!!」
「平助君!!」
あたしたちは名前を叫んだけど、平助君が目を覚ますことはもう二度となかった。
助けられなかった、大好きな仲間なのに。
絶対に助けたかったのに。
”益荒男の七世をかけて誓ひてし ことばたがはじ大君のため”
報国と忠信を誠にして魁とあだ名されたまっすぐな平助君にふさわしい辞世の句だった。
藤堂平助、享年24歳。
星も月もない夜、闇に緋が散り、命が消えた。