第十三章 2.君を斬る覚悟:土方歳三
総司のやつ果たして大丈夫なのか…。
ここ最近あいつはおかしな咳をする。
顔色もよくない。
そして何より、笑わなくなった。
否、常に微笑を浮かべていて、でもその笑みは冴え冴えとした冬の月の様で、何者も寄せ付けようとしない、昔の総司に戻ったようだった。
それもこれも水瀬がいなくなったことが原因だということは火を見るよりも明らかだった。
水瀬はあいつにとって太陽なのだ。
水瀬がいるからあいつは、新撰組の鬼の沖田総司ではなく、ただ一人の男としての沖田総司でいられた。
それは俺も一緒だが。
まったく…ここまで俺らを揺らがせるなんて…あいつはなんて女なんだ…。
水瀬が消えて三月、行方は杳として知れぬ。
ただ、初めはその裏切に心を揺らしたが…今となってはこの空の下どうにかして、元気でいてくれればと思うのみだ。
否、むしろあいつの生まれ育った平成という世に戻り幸せに暮らしていてほしいという幻想さえ抱くようになっていた。それでもいいとすら思うようになった。
ここまで甘くなったなんて俺も焼が回ったもんだぜ。
俺は小さくため息をつき、自嘲気味に笑うと、夜風にあたるため、ふすまを開けた。
夏の夜風は昼間と違い、心地よく頬を撫でる。
ふと庭先に目をやると、白い影のようなものがよぎった気がした。
俺は瞬間的に柄に手をやり、人影に目を凝らす。
庭木の間でぼんやりと空を見上げるのは…
総司だった。
俺は柄から手を離し、嘆息する。
まったく人騒がせな野郎だ。
「総司!」
総司は一瞬目を見開き俺に視線を向けて弱弱しく笑った。
「土方さん…」
俺は庭先へ降りて総司の頭を軽くはたく。
「まったくおめえは…調子悪いのなら寝てろ!!」
「やだなあ、大丈夫ですよ…。」
「その顔が大丈夫って面か。」
「ふふふ、心配性ですね。昔と変わらず。」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。」
俺たちはひとしきり、いつものようなやり取りを繰り返すとそのあとは縁側に腰掛けてずっと空を見上げていた。
天の川がけぶって見える。
鏡を砕いてちりばめたようだ。
そんなことを言えばまた総司や勝ちゃんは俺を風雅人と笑うだろう。
「…ねえ、土方さん…。」
不意に声をかけられて俺は総司の横顔に視線を向けた。
「なんだ?」
空から視線を外すことなく真剣な横顔は、俺の知らない男の顔になっていた。
「…もし…まことを見つけたら、貴方は斬ることができますか?」
「!」
総司は少しやせて目だけがぎらぎらと異様な光を放っていた。
「私はね、ずっと考えていたんです。
自分はあの子を斬れるのだろうかと。
もし近藤先生や土方さんの介錯だってつとめる自信はあるのに…あの子を斬るには…どうしても心が揺らぐんです。
それは…私が弱いからなんでしょうか?」
「総司…。」
「土方さん、私は…まことが…まことのことが好きです。でも…だからこそ、まことを斬るのは私でありたいんです。
ふふふ、矛盾ですね。」
もうこいつは初恋に悩む小さな弟じゃねえ。
真剣に一人の女を一途に想う男の顔をしていた。
不意に総司が全く知らない男に見えた。
ガキだガキだと思いながらも、こいつはいつの間にか23になったのだ。
俺らが出逢ってから干支が一回り以上しちまったわけで、そりゃあ、俺も年を取るわけだな。
「…総司、いつか言ったよな。
己の気持ちから逃げるなと。
俺も惚れてるさ、あいつに。
あいつのことは命を懸けて守りたいのに、そうはさせてくれねえんだ。
俺の武士としての誠が。
あいつが望むのは武士として俺が最期まで誠を貫いて走ることだから、俺はあいつのために、あいつが望む未来のために、必要ならば斬るさ。
あいつはそれを笑って受け入れるだろうから。
罪悪感も、恋情も、嫉妬も…全部自分の胸に納めて、墓に持っていけばいいだけだ。
誰に鬼と蔑まれても、あいつは俺たちの生きざまを見守っていてくれる。
その事実さえあれば十分だ。
お前だってそうだろう?」
「!」
「惚れた女を斬るのにためらわねえ奴がどこにいるよ?
ただ、あいつはそれ以上の苦しみをもって今もこの空のどこかで生きている。
総司、あいつとお前は、どこにいても、何があっても誠でつながってんだろ。
だったら進むしか俺たちには残されていねえんだよ。」
「土方さん、まことは私たちのために裏切ったんです…。新撰組を守るために…。」
「…だからこそだろ。
だからこそ、あいつが望むように、すべてを受け止めて、泥でもなんでもかぶってやることしかできねえだろ。」
水瀬が隊を抜けたのは何かの事情、すなわち俺らのためだろうということは落ち着いて考えれば容易に想像できた。
そしてその選択にあいつがどんな艱難辛苦をなめているかも。
俺らは水瀬のその想いを踏み台にして立っているのだ。
ならば進むしかあるまい…。
恋情も、罪悪感も、慟哭も…すべてを飲み込んですすむのだ。
あいつがそうしたように。
水瀬…俺たちは魂の記憶で結び付けられてているだろう?
だから大丈夫だ。
お前と想いを伝えずとも、体を重ねずとも、相生の約束を結ばずとも…
それにも勝る絆があると俺は信じている。
願わくはこのままどこかで幸せに生きてほしいが…
仮に敵同士として対峙しても、
俺はお前のために、お前が苦しんだ分だけ、俺も耐えるから。
「土方さんは強いですね…。
ホントに…新撰組の鬼だ。」
総司は遠くを見つめながら小さく笑った。
目に光るものが見えた気がしたが、俺は決して見なかった。