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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十二章8.貴方を変えたもの

「ところで話ってなんです?」

勝さんがあらかた膳を平らげたのを見てあたしは切り出した。

勝さんはあたしが淹れたオリジナルのお茶を飲みながら顔をあげる。

「ああ、今日は幾松にちと頼みがあってね。あってほしい人がいるのさ。」

「どなたですか?」

勝さんがあってほしい人なんて誰だろう?

「さるお方がね、あんたのことを偉く興味を持ったのさ。どうしても会いたいと。」

勝さんがぼかすなんてよほど身分の高い人なんだろうか?

「…でも…。」

でも桂はそれを許すだろうか?

あたしはちらりと桂のほうを見る。

「ああ、行って来ればよいさ。この子が無理をしないように…勝先生、頼みますよ。」

「承知しましたよ。」

「良いのですか?」

「ああ、これで少し静かになるだろう?」

桂は皮肉っぽく笑って見せた。

絶対ダメっていうと思ってた。

なのにこの人がこんなふうに言うなんて少し意外だ。



あのあと桂は席を外し、あたしは勝さんとそのさるお方とやらといつ会うのかなどを

話していた。

「…桂さんは変わっただろう?」

一息ついて、入れなおしたお茶を飲みながら、勝さんがいたずらっぽく言う。

「正直驚きました。今迄だったら絶対に許さなかっただろうから。」

合理的で理論派、でもどこかで人とは一線を引いて踏み込まないし踏み込ませない。

不確かな愛とか情とかそういったものは信じないそんな人だと思っていた。

だから危ない橋は渡らない。

他人を信用しない人だと思っていた。

なのにあたしを行かせるなんてどうしたんだろう?

「ははは、やはり桂さんほどの人でも恋には勝てなかったか。」

勝さんはおかしそうに顔を破顔させていった。

「恋っ!?ないないないない…!ありえないです。だってあの人とあたしは絶対に交わることのない対極にいるんですから。」

突拍子のないことを言う勝さんにあたしは首をぶんぶん振って否定する。

「恋も人の心も理屈じゃない、そういったのはあんただろう?」

「そんなこと言ったこともありましたけど…。」

「事実は小説よりも奇なり。ありえないことも起るもんさ。

あんたが桂さんを変えた。桂さんがあんたを変えた。

人は人に出逢い、惑い、揺さぶられ、時には苦しんで変わっていくのさ。

だから時代が、歴史が変わる。

それでいいじゃないか。」

あたしは飄々という勝さんを見つめた。

やっぱりすごい…。

この人はやっぱり時代の変わり目に現われる英傑だ。


「まあ、いいさ。俺もそろそろ戻らないと。

じゃあ、10日後頼んだ。

飯と茶ごちそさん。」

にこにこ笑いながら勝さんが立ち上がると呆然とするあたしをのこして部屋を出て行った。



夏の太陽は傾き、部屋を赤く染めている。

西日が当たったほうの頬が熱かったけれどそのせいばかりじゃない。

勝さんの爆弾発言のせいで心臓がどきどきする。

桂は間違ってもあたしに恋なんかしないと思う。

あたしをここに呼び寄せたのだって情報がほしかったからなんだろうし。

そんなこと言われても…というのがあたしの正直なところだ。

「はあ…」

あたしはごろりと横になる。

い草の香りが優しく香ってきて妙にものがなしい気分になる。

逢いたいな…。

土方さんに。みんなに。

あたしは目をつむると土方さんの笑顔が不意に思い出された。


あたしがこんなふうに出て行ったこと、あの人はどう思っただろうか。

やっぱり憎んでいるだろう。

みんなを裏切り、土方さんの真心を裏切ったのだから。

あの最後の夜、土方さんと結ばれなかったことはやっぱり運命なのだろうか。

でも、よかったと思う。

結ばれなくて。

きっとあれ以上進んだらあたしはここへは来れなかった。

どうあっても自分の幸せを優先してしまっただろうから。

きっと言わない。言えない。

この想いは口に出せば止められなくなってしまうから。

だから出逢えたことだけを感謝して心に刻んで生きよう。

なぜだろう…こんなふうにどうしようもないくらいに好きになってしまったのは…。

「…好き…か。」

ぽつんと天井に向かって口に出してみる。

本人にはきっともう一生伝えられないから…。

あたしを斬りに来るのでもいい。

だから…会いたい。

ただそう思う。


「誰を?」

え?

不意に上から降ってくる言葉に驚いて跳ね起きる。

桂があたしのあわてぶりをおかしそうに見ていた。

「愛しい恋人のことでも考えていた?」

「恋人なんかいないです。」

「君はいつでもまっすぐだから駆け引きとかは苦手だろうね。」

「ほっといてください!」

馬鹿にされたようでむっとしてぷいっと横を向く。

「…あはは。まるで鉄砲玉だねえ。」

くつくつと意地悪そうにでも楽しそうに桂は笑っていた。

ふと訪れる沈黙。

今迄は別に黙っていても別段気にすることはなかった。

でも…今はそれが妙に気まずい。

「…幾松。」

「え?はい?」

いきなり呼ばれて驚いてしまう。

「…夫婦にならないか?」

「は…?」

……

…はいっっ!?

今なんてっ?

「必ず守る。だから私と共に来てほしい。」

桂にこのセリフを言われるのは初めてじゃない。

でも、なのに、今までと全然意味合いが違うじゃん。

これは…プロポーズ?

「何言って…。」

何冗談言ってんの?と笑ってしまおうとしたけど、できなかった。

だって怖いくらいに桂は真剣だったから。

その眼が土方さんに似てたから。

「…あたし…好きな人がいるんです。

だから…あなたとは一緒にいけない。」

「…うん。そうだろうね。知っていたよ。それでもいいと言ったら?

君が誰のことをすきでも、それでもここにいてほしいと言ったら?」

桂はとても穏やかで、そして優しかった。

いつもの皮肉っぽい感じも、キザな感じもしない。

ただ真摯でまっすぐな気持ちしか伝わってこなかった。

でも…あたしは…

「それでもだめなんです。あたしは弱い人間だから、貴方のその気持ちに甘えてしまう。

それはあたし自身が許せなくなる。苦しくても、かなわなくても…あたしは今の自分の恋を最期まで貫くと決めているから。」

「…そうか。君ならそういうと思っていたよ。」

桂はそれきり黙ってただ静かに笑っていた。


すっかり日が落ちて夏の夜風が頬を撫でた。

ただ沈黙だけがあたしたちを覆っていた。


不意に桂が噴出した。

あたしは驚いてそちらを見る。

「まったく…3度も私を振るなんて、本当に本当にこんな女冗談じゃないなあ。」

さも楽しそうに笑って言った。

「だって…。」

「さあ、食事にしよう。もう用意させてるから。」

桂はあたしを促して部屋を後にした。

きっとこの人は器用に見えてたまらなく不器用なのだ。


夏の夜。

ただ虫の声だけがあたりに響いていた。

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