第十二章7.夏バテ、進みゆく世界
季節が過ぎ、夏になった。
じりじりと焼けつくような暑さともわっとした湿り気のある空気が不快な気分にさせる。
京都は盆地だから夏は焼けつくほどに暑くて冬は凍えるほどに寒いと、おじいちゃんは言っていた。
当たり前だけど、クーラーなんてないから、常に内輪でパタパタ仰いで、過ごしていた。
ここにきて4回目の夏だけれど、今年の暑さは異常とも言えるくらいだった。
あたしと桂はあれからこれまでのぎすぎすした関係がうそのように穏やかな関係を続けていた。
取り留めもない話をしに毎日桂はあたしのもとを訪れ、桂はあたしをからかったり茶化したりして過ごした。
ただ世間の情勢は日に日に不穏になっているらしく、長年にらみ合っていた薩長が倒幕のためについに手を組んだらしいことがうわさに伝わってきた。
それを仲介したのが、坂本さんらしく、桂は珍しく興奮した様子で話していた。
夢がもうそこまで来ている、と。
あたしはその様子を見ながら、少し複雑な気分だった。
桂も、坂本さんも、勝さんも、嫌いじゃない。
むしろ熱く夢を語れるそのまっすぐな姿は尊敬する。
でも、江戸時代が着々と終わりに向かっていることは、つまり、新撰組が滅びの道を進んでいるということであり…、あたしはそのことに胸がつぶれるほどの焦燥を感じていた。
あたしが今彼らのためにできることは何一つないのだと、いやというほど思い知ったから。
そんな折だった。
勝さんが不意に訪ねてきたのは。
何でもあたしに話があるとかで、忙しい仕事の合間をぬってやってきたらしい。
「すまないね、幾松。突然。」
勝さんは額に浮かぶ珠の汗を手拭いで乱暴に拭くと、薄い唇をきゅっと引き上げて笑った。
以前逢った時よりもずっと痩せて、心なしか顔色も悪い。
「いえ。お疲れ様です。
顔色悪いですが、大丈夫ですか?」
あたしは心配になって言った。
「ああ、今年の夏は特に蒸すからなあ。ちょいと中暑にやられたのさ。食い物がのどを通らなくてねえ。」
中暑とはいわゆる夏バテのことだとここにきて知ったことばだ。
「暑いからって冷たいそばやそうめんばかり召し上がってると本当に体力を奪われますよ。
お食事用意するので召し上がって行ってください。」
あたしは少し優しい気分になって言った。
「ああ、ありがとう。
じゃあ、いただこうかな。」
「支度してくるので、少しお待ちください。」
あたしは勝さんに言うと、部屋を出て台所に行った。
台所は居室よりも更に蒸し暑くて体に生暖かい空気がまとわりつく。
あたしは額の汗をぬぐうと、いつものようにお米や野菜を準備し始めた。
桂と並んで月を見たあの日から、あたしは炊事や家事なんかを引き受けるようになった。
初めは監視役の男に毒でも入れないかと睨まれていたものだけれど、あたしがあまりにも普通にしていたので今ではそんなこともなくなった。
ただ監視は彼の仕事らしくて、そばで見ていることは続いていたけれど。
京都の夏は暑くて、でもヒートアイランド現象で40度近くまで上がったあの平成の世の中を思えば、あたしはまだ我慢できていた。
ただ、もともと京の人間ではない人にとってその酷暑は体力を奪ってしまうらしくて、来たばかりの時、夏バテで、体調を崩し、そのまま寝込んでしまう人を何人も見て驚いたものだ。
壬生で新撰組にいた時から賄い方はあたしのテリトリーで、夏バテ対策メニューを考案して、総司や永倉さん、左之さんに試食してもらっていた。
もっとも、あの人たちは異常なくらいに元気だったから何でもうまいって言って食べてくれたものだけれど。
それでも平隊士の人にはかなり評判は上々で、体調を崩す人も居なくて、あたしにもできることがあるんだと思ってうれしくなったのを覚えている。
賄い方の人には屯所を出るときに、夏バテ対策メニューや、病気の人用の療養メニュー、個人の好き嫌いなんかをリストにして残してきたけれど、以前に総司に会った時に、「まことの味をみんな恋しがっているよ」なんて言われてほっこりした気分になった。
あたしは小半時、つまりは30分くらいで簡単な夏バテメニューを作って勝さんのもとへ持って行った。
部屋に入ると桂もいつの間にか座っていて浴衣をゆったりと着て内輪で風を送っていた。
桂は彫の深い整った顔立ちで、こんなふうに浴衣を着ていると、大人の男の色気が漂ってくる。
「お待たせしました。」
あたしはいったん座って頭を下げてから膳を勝さんの前に持っていく。
「ほお、これはなんだい?」
勝さんは珍しそうに膳を覗き込んだ。
「特製の夏バテ対策メニューです。」
「なつばて…めにゅー?幾松はまたわけのわからない言葉を使うね。メリケンの言葉かい?」
勝さんは目をぱちくりさせて言った。
「はい。中暑対策の献立っていう意味です。」
「はあ、あんたと話してると飽きないよ。」
勝さんはその細いつり目の目じりをきゅっと下げて笑った。
「にしてもなんだか色とりどりだね。これはなんだい?」
「これは梅しそ粥です。こっちは大根やニンジンやごぼうを細切りにしてかつおだしであんかけにしたのをかけたゴマ豆腐と卵豆腐、それから薄味の菜っ葉のおひたしです。冷たくしてるので食べやすいと思いますよ?」
「へえ。まるで精進料理だな。町医者なんかは精のつくもの食えっつって肉や魚なんかを勧めてきたが。」
「水やお酒ばかりだと胃が弱って食べ物を受け付けなくなるんです。だから初めは胃に優しいもので体を慣らして、悪いものを体の外に出すんです。ガッツリしたものを食べるのはそれからです。」
未来にいた時も炊事は得意だった。
お母さんが死んでからずっとやっていたのだから。
それになんだかんだ言ってもお父さんは医者で、食事療法は一番の薬だって言っていつもいろいろこの病気には何がいい、あれがいいって言って教えてくれたものだった。
あの時は話半分にしか聞いていなかったけれど、それが今こうやって役に立っているのだから人生何があるかわかんないものだ。
勝さんは恐る恐るあたしの料理を口に運ぶ。
「うん…!こりゃあ具合がいい。」
細い目を線にして破顔した勝さんはなんだかお父さんに似ている気がした。
「幾松は料理に関してはなかなか才能を持っていましてね、私も今年の夏は調子が良いのです。」
桂も笑って言った。
「ああ、それも納得の味の良さだ。それも江戸風だからどうしても懐かしくなる。
これは坂本君にも食わせてやりたいものだよ。彼ならきっと三杯も四杯も食うんだろうなあ。」
「お口にあったみたいでよかったです。」
あたしはほっこりした気分で言った。
人が自分の作ったものをおいしそうに食べてくれるのは気持ちがいい。
あたしはここで自分のできることをしっかりやろう。
そう思った。