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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十二章 6.天使の梯子、自分に恥じぬ生き方

勝さんと坂本さんは帰って行くころ、空には満月が浮かんでいた。


あたしは自室に戻ると窓辺によってそれを見詰めた。

月の光は優しくて、雲の間から地上に差し込む光は神秘的で神々しいくらいに美しかった。

あんな風に雲間からさす光を天使の梯子だと言ったのは誰だったろうか。

あれを登れば本当に月にも行けるような気がした。

「天使の梯子…なんてきれい…。」

誰にともなくつぶやくとあたしは窓べりに額を押し付けた。


「天使の梯子とは何のことだい?」

不意にかけられた声に驚いて振り向くと入口に桂が立っていた。

「入ってもいいかい?」

桂は昼間とは打って変わって穏やかに言った。

この人は本当につかめないなあと思う。

したたかで油断ならない政治家かと思えばどこまでも純粋に未来を語る少年の様で…。

「どうぞ。」

どうしてだろう。

あたしは素直にこの人と向き合えると思った。


桂はあたしの横に腰かけると並んで窓から月を見た。

「で、天使の梯子とは何のことだい?」

桂は再び繰り返す。

あたしは窓の外の空を見ながら記憶をたどりながら答えた。

「西洋には聖書っていうキリスト教…っとキリシタン?の経典みたいなものがあって、それには古事記みたいに伝承とかを集めているんだけれど、その中で天使っていう神様の使いが地上に降りたのを見たって言われてる話が残っているんです。そのとき天使はあんな風に雲間から地上に伸びる光を梯子にして降りてきたって言われていて、だからああいう風に雲間から伸びる光を天使の梯子とか、天使の階段っていうらしいんです。うろ覚えですけど。

完全に伝説ですけど、あんなに神々しくて美しいとそれも納得だなあと思ってみてたんです。」

桂があたしを見ているのを感じたけれどあたしは雲間の光を目で追い続けた。

「…ああ、確かに雅だ。

この地上で同じ日本人が斬りあっていることがバカバカしくなるくらいに神々しいな。」

桂は嘆息してしみじみという。

この人がこんなふうに言うなんて少し意外で、思わず今度はあたしが桂の整った横顔をまじまじと眺めてしまう。

あたしの知ってる桂はエネルギッシュで合理主義の現実主義者、そんな人だったから神様とか自然とかそういうものに心を動かされる人だとは思わなかった。


桂は不意に思い出したように吹き出して言った。

「にしても、幾松がそんな風に情趣を解する女性だと思わなかった。いつも山猫みたいに毛を逆立てて私を

にらんでばかりいたからね。」

あたしはその言い様にカチンとくる。

「いきなり脅されてこんなところに来るしかなかったんだから当たりたくもなるでしょう。

…あたしはもう二度と会えないんだから。」

不意に思い出された事実に言葉の最後が震えた。

胸に鈍い痛みが走る。

この選択をしたのは自分なのに。

桂はそんなあたしを見て向き直ると真剣なまなざしを投げかけた。

「幾松…幕府は沈みゆく船…新撰組はその泥船と共に最後まで運命を共にしようとしている。

それは未来からきた君が一番わかっているだろう?」

「やめて!そんな話したくない。」

あたしは桂を遮って耳をふさいだ。

知ってる。

大政奉還があって江戸時代が終わって、明治維新があって…それがあるから平成にまで続いていくんだもの。

「君は、私たちの未来に共感している。だからこそ、昼間あんな風に言ったのだろう?

幕府の今を存続させることがこれからの日本にとって本当に良いことだとそう思うのか?

幾松、何度でも言うがこれは私の真実だ。

君と共に行きたい。

新しい日本を共に創ろう、君の未来につなげるために。」

桂はあたしの両手を、その大きな手で包み、あたしをまっすぐ射抜いた。

「…。」

あたしは言い淀んだ。

あまりにも桂の目がまっすぐだったから。

逃げることなど許されない。

そんな厳しい目だった。

「今の君が長年身を置いた新撰組を裏切れないのはわかっている。でもそれは情だろう?

君は温情を感じ、感情的になっているだけだ。

そろそろその情から離れて君自身の誠を見定めるべきじゃないのか?」


情…。

あたしが今迄新撰組に固執したのは情なのか…?

前にもこんなふうに悩んだことがある。

あれは華雪として密偵に入った時のことだ。

でも今はもっと別の次元。

あたし自身の誠はいったいどこにあるのだろう?


不意に浮かんだのはお梅さんと芹沢先生の顔だった。

”自分が日本の未来の礎になれるのならば喜んで死んでいける。”

進んで汚れ役をかぶった芹沢先生。そして芹沢先生と魂の底で結びついていたお梅さん。

二人はきっと先の世では悪党とののしられようと、きっと気にしない。

そこには二人の誠があるから。

二人の生きざまを思い出すと、胸につかえていたもやもやがすとんと自分の中で、消化されたような気がした。


ああ、そうなんだ。

正しいとか正しくないとかそんなものでは測れない。

後の世が、世間がなんと言おうとも、自らが自分に恥じぬ生き方をすることこそが誠なのだから。

あたしは今自分に恥じない生き方ができているだろうか?

少しでも未来に向かって進めていただろうか?

あたしは進まなければいけない。

どんなに苦しい未来が待っていたとしても。

この選択に後悔しない為に最善を尽くさなければならないのだ。


「あたし…」

あたしはゆっくり言葉をかみしめて桂に向き直って言った。

「あたしは、貴方とは一緒には行かない。」

「!」

「情だっていうかもしれない。沈む泥船と心中するなんて馬鹿げているっていうかもしれない。

でも…それでも、あたしの誠はやっぱり新撰組なの。」

「なぜだ!?幾松!君は誰よりも近代文明の恩恵を受けて、その豊かさを身に染みて知っているはずだろう?それなのになぜ旧体制にそうも傾倒する?」

桂はあたしの肩をつかんで詰め寄った。

「幕府とかそんなのは関係ない。

正しいとか、正しくないとかそんなふうには測れない。

ただ、あたしは新撰組と生きることが魂の記憶で決めれられてるの。

だからどんなに離されても、あたしの心はあそこに戻っていく。」

目を閉じれば見える。

あの旗印が、あの浅葱の羽織が。

みんなが。

だから前を向くのだ。

誰に裏切り者とののしられても、あたしはあたしに恥ずかしくない生き方を最期まで貫きたい。


「そんな不確かな感情に揺り動かされて、君は…それでいいのか!」

桂が珍しく声を荒らげた。

「いつかそう遠くないうちに、彼らがあたしを殺しに来る。裏切り者として。

その時あたしは自分の選択を誇りに思って胸を張って死んでいきたい。

誰になんと言われようともあたしは自分に後悔なく、この選択をしたから。

だからみんなを傷つけたことも、裏切り者として殺されることも全部受け止める。

あたしは自分に恥じない生き方をしたいから。

みんなが志を全うできるように少しでも後押しをすることがあたしの誠なの。」

心は驚くくらいに静かだった。

この美しい月夜があたしの心の澱を溶かしてくれたみたいに。

「…。」

桂は目を見開いてあたしを見つめていた。

「理屈じゃないよ、人の心は。

損得とか合理とかそんなんじゃ測れない。

古臭くて堅苦しくて…でもすごく大切なものだと思う。

あたしはそれを未来につなげたい。」

あたしは静かに笑って言った。

そう、あたしが新撰組に固執する理由はきっとそれだ。

きっと魂の奥底で新撰組とあたしは結びついている。

だから惹かれてやまないのだろう。

理屈では語れない、得も言われぬ何かがあたしの魂を幕末によこしたのだから。

「…なんというか…愚かで…でも君の生き方は震えるほどに潔い。

私たちは決して交わらぬ岸にいるのだね。

…まったく私のことを二度も振った女は後にも先にも君だけだよ。」

桂は小さく笑って呆れたように言った。

心なしか少しさみしげに見えたのはきっとあたしの気のせいだと思う。

「世の中の女が全員貴方を好きになると思ってるなんてうぬぼれすぎだし。」

あたしは顎をあげてわざとつんとして見せると桂はたまりかねたように吹き出した。

あたしも笑ってしまった。


強さがほしかった。

虚勢でもいい、揺らがない凛とした強さを持ちたい。

これから前を向いて進むために。

自分に恥じない生き方をするために。

新撰組を失くした今、あたしにできるのはその矜持をもつことだけだから。


空には神々しいくらい美しい月。

そして雲間から伸びる天使の梯子。

それは優しくあたしたちを包んでいて、これまでになく優しい穏やかな時間が過ぎていた。

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