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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十二章4.桂邸、格子窓の空

新撰組を抜けて一か月。

いつの間にか桜が終わってしまった。

あたしがここにきて三度目の桜の季節が過ぎた。

桜の時はいつも感傷的な気分にさせられる。


あたしは土方さんとの一夜を過ごしたあと山崎さんの家に戻り荷造りをしてすぐに隠れ家を後にした。

山崎さんにあてた手紙と、みんなへ向けた置手紙を残して。

もう限界だった。

こんな選択しかできない自分も、こんな選択を迫ってくる桂も、こんな状況を作り出したあの役人も、全部に腹が立って、でも、一番悔しいのは、土方さんと近づいてしまったことで自分がどうしようもなくあの人に未練を持ってしまったことだった。

もともと無ければ諦められる。

否、自分の気持ちに折り合いをつけられるはずだった。

でもいったんあの優しさに触れてあの腕を知ってしまった今ではどうしようもなく恋しくて、愛おしくて、あの幸せがほしかった。

あたしはわがままになってしまった。

同じ誠を見て、志を胸にして、共に走っていければ幸せだった。

なのに土方さんと共にご飯を囲み、その腕のぬくもりと、優しさを知ってしまったから…。

一緒に居たいと、離れたくないと望んでしまった。

…結ばれたいと望んでしまった。


馬鹿すぎる。

あたしは自分で裏切る道を選んだのに。

そして決して土方さんとは結ばれない運命なのに。

なのになんでわざわざ自分で自分の首絞めたんだろう。

未練だけが残って…

辛いだけじゃん。


家を出た後、あたしは西本願寺の近くに行って遠くから懐かしいみんなに心の中でごめんなさいとさよならをした。そしてその足で桂の屋敷に赴いて、予定よりも早いけれど、あたしは桂の家に世話になれるように頼み込んでおいてもらった。

桂は驚いていたようだったけれど何も言わずにあたしを部屋に案内してそのあとに、名前を変えろと言った。でも正直どんな名前でもよくて、あたしは偶然庭にある松の木が目に入ったから、「松」とだけ言うと、

そんなあたしを見て桂は、遊女を身請けしたことにするから、「幾松」と名乗れと言い、あたしは同意した。

本当の名前はもう二度と名乗れないだろうから、どうでもよかった。

思えばあたし、名前ばっかり変えていて、その度にどんどんあたしは自分を失っている気がする。

前はもっとまっすぐでいられた。

自分の気持ちに。

自分の信念に。

それが当たり前だと思っていた。

でもそうじゃない。

自分の気持ちに正直で居られること、自分の大好きな人がそばにいることは、とんでもなく幸せなことだったんだ。

”大切なものはなくしてから気づく”なんて、あまりにもありきたり過ぎて笑ってしまうけど、本当にそうだ。

今ある幸せが明日もあるとは限らない。

今の自分の気持ちが明日も真だとは限らない。

こんなにも物事は移ろいやすくて、足早にめまぐるしく変わっていく。


最近、見張り付の自室で格子戸越しの窓の外に見える瑞々しい若葉を見ながら、ぼんやりと思いをはせる。

この時代に生まれ普通に育っていたらあたしはどんなふうに今を迎えていたのだろう?

もしかしたら土方さんと夫婦になったりするようなこともあったのだろうか?と。

けれどそれは一瞬のことですぐに自嘲してそんな妄想を打ち消す。

この時代に育ったら、今みたいな価値観をあたしは持たなかった。

きっと新撰組に入ることなんてできなかっただろうし、みんなに出逢うこともなかったはずだ。

だからあたしはこんなふうにタイムスリップしてきたことを幸せに思うのだ。

家族と会えないことも、好きな人と結ばれなくても、大好きな仲間と最愛の人の生き様を見届けられるのだから、これを幸せと呼ばないでなんと呼ぶのか。と。

そうしなければ立っていられないから。

居場所も、仲間も失くしてしまった今、自分のこの思いが、行動が無駄ではないと、自分の幸せは確かにあそこにあり、今に続いているのだということを確認して奮い立たせなければ、自分の存在が崩れてしまいそうだった。



不意に優しい春の風があたしの耳を掠めた。

もうすっかり散ってしまったはずの桜の忘れ形見をどこからか運んできた。

ハート形の桜の花びらが一枚やってきてあたしの膝に落ちた。

あたしはそのひとひらをそっとつかむとしっかりと胸に抱いて目と閉じた。

目を閉じていてもいつかみんなで行った壬生寺の枝垂桜がありありと見える。

みんなの笑顔が思い出せる。

過ぎし日の想い出はどうしてこんなにも泣きたくなるくらいに幸せで、輝いているのだろう。

あたしは瞼が熱くなってくるのを感じた。

新撰組という居場所も、仲間も、家族も、好きな人と共にあるという幸せも失くしてしまった。

でも大丈夫。

この想い出があれば、あたしはまだ走っていける。

離れていても幸せのかけらを拾うことができる。

だからせめて思い出だけは消えませんように。

あたしの記憶に、ううん、できることなら魂に刻み込んで永遠に忘れることがないように、あたしを形作る一部として息づいてほしい。


ねえ、みんな、

きっと走ってくれるでしょう?

志のために、鉄よりも固い結束をもって。

そしてあたしを斬りに来てくれるでしょう。

待ってるからね。







ここにきてから桂はあたしに毎日未来について聞き出そうとして他愛ない話や、時に日本の未来について目を輝かせながら語った。

その屈託のない笑顔は武士への夢を語る近藤先生とダブって見えてあたしはうっかり気を許してしまいそうになった。

桂邸では座敷牢みたいになったところに入れられていて、外にはいつも見張りがついていた。

何をするにでも見張りが付きまとってきたけれど、ある程度の自由は許されていてたまに外に出ることもあった。

まぶしい太陽と萌える新緑の空気は爽やかであたしを浄化させてくれるような気がして少しだけ気が晴れた。

見張りは男女問わず、あからさまにあたしのことを侮蔑の目で見ていたけれど、それすらもあたしにとってはどうでもいいことだった。

毎日することはなくて、ただ格子のはまった窓から見える四角い空を見て過ごした。

四角い空からでも季節の移ろいは見て取れて最近ではもはや初夏の濃い青が目に染みた。

桂は毎日あたしからそれとなく未来の話を引き出そうとしていることが感じられたけれど、あたしは意地でも何も話さなかった。あたしはどのみち詳細な未来を知っているわけではないし、新撰組についても話せることなんて何もなかった。新撰組を裏切ったあたしだけど、でもそれでも彼らに不利になることなんて絶対話したくなかった。

桂が時折あたしの関心を引こうとして新撰組の名前を出したけれど、逆効果だった。

罪悪感が増すばかりで、あたしは俯くことしかできなかった。



「幾松」

音もなくふすまが開いて桂が入ってきた。

あたしは振り向くこともなく窓を見て黙ったままだった。

「強情な御嬢さんだ。

邪魔な将軍はもはや死の床だ。君の協力が必要だ。

今日こそは話してもらおうか。」

桂の声色がいつもより怒りを含んでいる。

あたしは振り向いて桂の目を見据えて言った。

「あたしは何も知らない。未来から来ても歴史を全部知っているはずないじゃない。」

あたしは何度繰り返したかしれないそのセリフを言い終わったその時、

桂はあたしの腕をとり、畳に押し倒した。

「!」

あたしはとっさのことで体を硬直させ、なされるがままになり、目を見開いた。

畳のい草の香りが濃くなった。

「知っていることをすべて話せ。今が我々にとっても、君にとっても正念場なのだから。」

あたしを覗き込む桂の表情は、桂はいつもの余裕たっぷりのそれではなくて、ぎらぎらと血走った目からは殺気があふれていて雄特有の征服者の気配が感じられて、あたしは本能的に身をすくめた。

あたしは背筋に冷や汗が伝うのを感じた。

殺される…。それは本能的な恐怖だった。

「…知らないって言ってるでしょ!!離して!!」

あたしは桂を手で押しやろうとしたけれど、いともたやすく片手で両方の手首をつかむと空いたもう片方の手であたしの顎をつかみあげ息がかかるくらいに顔を近づけて言った。

「君にだけは手荒な真似はしたくない。新撰組の内部情報と、未来の情報を話すんだ。」

桂の声は静かだったけど、低くて殺気に満ちたものだった。

手荒にしたくないが聞いてあきれる。

笑顔でぎりぎりと手首を締め上げてくる。

今世の中では何が起きているのだろう?

この人は何をこんなにあわてているのだろう?

「…」

「…」

あたしたちは長い間目をそらさずに見つめあっていた。


「あたしは何があっても貴方に協力なんてしない。」

「…!」

殴られる。

そう思った。


とその時。


「桂先生、お待ちのお客様がいらっしゃいました。」

ふすまの向こうから声がした。

「わかった。今行く。」

答えた桂はいつもと変わらない穏やかな調子だった。

「…君も来るんだ。支度をしなさい。」

あたしは怪訝に思いながらも有無を言わせない様子の桂の言葉にうなずくしかなかった。


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