第十二章2.知らぬ苦しみ、知る痛み:斉藤一
俺は黒谷から屯所へ戻ると、監察の山崎さんのところへ走った。
極秘任務が多い中で直接訪れるのはご法度だが今は構っていられない。
「山崎さん!」
俺は戸を引きあけた。
入口に現われた山崎さんは驚いたように細い目を見開くと少したじろいだ。
「斉藤せんせ、困るわ、こんなところに来て…。」
「山崎さん、あんたなんか知ってるんじゃないのか?水瀬がなぜいなくなったのか。」
俺は山崎さんをまっすぐ見据えて言った。
「なんや…?」
山崎さんは特に表情を崩すこともなく静かに言った。
「俺の知っていることをすべて話す。だからあんたも言ってくれ!水瀬は新撰組のために、俺たちを救うためにあえて姿を消したんじゃないのか!?」
もどかしい。
水瀬を救えるものならその手だてがほしい。
「…」
無言はすなわち肯定か。
「沈黙は肯定ととっていいのか?」
「それが肯定かどうかあんたの応え次第や。
あんたはそんなことどこで聞いてきたんや?」
「…。」
俺が会津の密偵だということは誰にも知られてはならぬ事実。
俺が今度は押し黙る番だった。
先に我慢が出来なくなったのは俺のほうだった。
「俺はとある方から密命を受けておる。だがそれは新撰組を裏切るものではないと天に誓って言おう。
その方から聞いたことだ。」
「…ふん、あんたもきな臭いおもっとったがそういうことか。察する通りや。
水瀬は新撰組を助けるためにあえて裏切った。それが死を意味するもんでもな。」
山崎さんは腕を組んで目を細めた。
この男はまるで武士には見えぬ。
あるときは商人に、ある時は町人に、ある時は物乞いに、まるで百面相のようにその様相を変える。
だが今俺を見据えるこの目は物事の真を見極める武士のものだった。
「水瀬はどこに行った!?」
痺れを切らして詰め寄る。
「それを聞いてどうするんや!?水瀬を助けられるんか?あいつはどうにもならんことをしっとる。
どうしたって新撰組がこの先存続するためには自分が消えねばならんことをしっとるから…
だから消えたんや。そのことを知らせたところでどうにもならんことやから裏切ったんや。」
「…」
ぐうの音も出ぬ。
例えどんな事情があろうとも、水瀬を救う手だてなど、肥後の守様でも無理だったのだ。
たかが浪人風情の俺たちにできるはずがないのだ。
「水瀬がすべてを隠して裏切ったのはほかでもない、俺らのためや。自分が裏切ることで俺らを傷つけることも全部わかってのことや。せやけどそうすることでしか俺らを救えんから…血を吐く思いで離隊したんや。水瀬はそれを知られることを望んどらん。俺たちにできるのは水瀬の覚悟を無駄にしんように、務めるだけや。」
確かにそうなのだろう。
水瀬は自分のためには何一つ望まぬ。
それでもそのことに満足して凛として潔く笑える、そんな女だ。
だが…。
「山崎さん、あんたは知っているから…知っているが故の苦しみもあるだろうが、思い切ることもできるだろう。だがただ残された俺らは何も知らん。知らないということは何よりも苦しい。事実がわかっていれば皆それに向き合うこともできるだろう。水瀬がいなくなったことで、裏切られたことに皆苦しんでいる。何よりも真実を欲しているのだ。」
「確かに水瀬一人が苦しむ道理はない。ただあいつは覚悟を決めて何も言わんことを望んだんや。
あいつの想いを俺は受け取りたいと思うとる。」
「俺らが今以上に苦しむことになったとしても、それでも俺らは知るべきだと思う。自分たちが己の誠のために何を犠牲にしたのか知るべきだ。そうは思わないか?」
沈黙
そして山崎さんはおもむろに口を開いた。
「…水瀬は…桂小五郎のところにおる。
そして桂の裏には勝海舟が手ぐすを引いてる。長州と幕府は裏でつながっとるんや!」
「!」
山崎さんは観念して吐き捨てるように言い、俺はあまりの衝撃に言葉を失った。
なんだと!?
倒幕派と佐幕派が裏でつながっている?
こんなバカげた話があるのか?
では俺たちは何のために戦っていたのだ?
「…そして水瀬の秘密がばれた。」
「なぜだ?!っまさか、間者か!」
「清水新之助、らしい。
今は泳がしとるが…。いつでも締め上げるだけの用意はあるで?」
「くそっ!」
事態は思ったよりも深刻だ。
水瀬は…そんな状況もすべて飲み込んで死地に向かったのか?
「これで、満足か…?これを聞いて揺らがん人間はおらんやろ…。俺らの存在意義、根本そのものが揺らぐ。こんなこと言えるはずがないやろ…。」
「…。」
何も言えなかった。
複雑に糸が絡み合っていて…
でも見ないようにしていても何も変わらぬ。
時代の波がうねり、容赦なく俺たちを翻弄する。
俺たちは何のために戦ってきたのだ?
幕府を守る、そのために戦ってきたのではなかったか?
倒幕派と幕府の要人が裏で手を組んでいる。
これは何の茶番だ?
知らなければ何も考えずに走って行けただろう。
ただこれが未来のためにできることだと信じて行けただろう。
だがもう知らない頃には戻れぬ。
知らずに水瀬の裏切りを憎むことと、
知ってこの八方塞がりの状況に苦しむことと、どちらが辛いのだろう?
否、愚問か。
仮にも愛おしいと、惚れた女を憎まねばならないくらいなら、知ってこの状況を打破するために、血を流してでも己の誠を見極めるほうがきっといい。
水瀬…すまんな。
知られたくないことを無理やり聞き出して。
だが…お前ひとりに背負わせるわけにはいかない。
そんなことをすれば男がすたる。
お前はお前の戦いをしている。
ならば俺たちも俺たちの戦いをする。
お前の心、思い、確かに受け取ったぞ。