第十一章 11.約束、戻れぬ道を…
あたしは翌日桂に会いに行った。
早いほうがいい。
決心が鈍らないうちに。
出かけるとき、山崎さんは最後まであたしを止めようとした。
でもあたしはそれに何も答えずに出てきてしまった。
これ以外にどうすればいいのだろう?
どっちをとってもつらいけれど、どちらかを選ばねばならない。
それならば、あたしはこちらを選びたいと思う。
世の中はどうにもならないことばかりだ。
でもそれでもどうにかしなければいけないからこんなに苦しいんだろうな。
桂の隠れ家に着くとあたしは玄関扉を静かに開けた。
「早かったね、もっと時間がかかるかと思ったよ。」
桂はあたしを見ると言葉とは裏腹に静かに言った。
「貴方はわかってたでしょう?あたしがこうすることを。」
この男は抜け目がないくらいに鋭い男だもの。
あたしがあらがえないのを知っているはずだ。
「そうだね。君ならこうするだろうと思っていたよ。
でも…君はなぜそこまで新撰組にこだわるのかは私には意味が分からないがね。
彼らの行動は時流にはそぐわぬだろう。幕府は遅かれ早かれもう終わる。
これからは刀の時代ではない。
経済力、豊かさこそが日本を救う道なのだ。
君が一番よく知っているんじゃないのか?」
この人は確かに平成の世にいてもおかしくないくらいに柔軟で近代的な考えをする。
きっとこの人がこの先明治維新を迎えた日本を近代国家に導いていくのだろう。
「貴方の言うことは確かに正しいし、きっと日本を未来に導く。
でもあたしの魂は新撰組にある。そう定められてるの。
だからあたしはこの時代に導かれたんだと思ってる。」
「君は…。」
桂は何かを言おうとしてそのまま口を閉ざした。
「もういいでしょう。約束を守って。
新撰組と近藤先生と土方さんの安全が守られたのが確認できたら、あたしはあなたのところへ行く。
それまでは行かない。」
あたしは無理やり話を終わらせて目を伏せた。
「ああ。約束は守ろう。
君の幸せも守るから新しい日本をともに作って行こう。」
幸せって何?
あんたが奪ったんじゃないか。
あたしは桂の言葉に思わず目を見開いて睨み付けた。
「勝手なこと言わないで!あたしの幸せはあたしが決める!
少なくともあたしの幸せはここにはない!!」
「…」
桂はあたしをまじまじと見てたじろいだ。
あたしは急に冷や水を浴びせられたように冷静になり気まずくなって下を向いた。
こんなことこの人にあたっても仕方のないことだ。
幕府を倒そうとするのも抗い様のない時代の波であり、その幕府の中にすらそういう動きがあるのだ。
それが新撰組を追い込んでじりじり首を絞めていく。
誰のせいでもない。
思想を縛ることはできないから。
ただ、いろいろなことが積み重なって起こるべくして起きたことだ。
左之さんや平助君の行動が招いたと桂は言ったけれどそれは違う。
こうなると知ってあの時に戻れたとしても、二人ならやっぱりあの女性を助けたと思うし、そうであってほしいと思う。
あのタヌキおやじの行動は腹立たしいし、卑怯なやり方だと思う。
でも…このやり方をおかしいといえない悪しき身分の因習があたしたちを縛りつける。
自分の思い通りに生きれないのは…苦しい。
でもどんなに苦しくても選らんだんだ。
あたしはこの道を自分で選んだ。
だから桂に八つ当たりしても何の意味もない。
「…ごめんなさい。私も約束は守ります。新撰組解散の命はいつ解かれますか?」
あたしは黙っている桂を見据えて言った。
「…ああ、十日以内には解かれる。
勝海舟殿と君を引き合わせるから、十日後にここに来なさい。」
「承知しました。では…失礼します。」
あたしは小さく頭を下げると桂に背を向けて屋敷を後にした。
もう戻れないところまできた。
進むしかないのだ。
雨が降ってきた。
春先の冷たい雨は徐々に強くなり、みるみるうちにあたしの着物を濡らしていく。
氷みたいに冷たくて、吐く息が白くなった。
でも瞼だけは熱くて自分が泣いていることに気付いた。
ああ、あたし泣いてるんだ。
悲しいとかそんな言葉では言い表せない。
ただ胸をつぶされそうなほど、苦しかった。
道行く人が突然の雨に足早に走り去るのを横目で見ながらあたしはどこに行くともなしに歩き続けた。
こんな顔のまま山崎さんのところには帰れない。
山崎にはただでさえ負担をかけているんだから。
笑わなきゃ。
全部が終わるまで、泣くのを我慢しなきゃ。
でもいったん流れ出した涙はなかなか止まってくれなかった。
気が付くとあたしは壬生寺の近くまで歩いてきていた。
ここは始まりの地。
あたしが倒れていた木は確かこれだ。
境内の中には一際大きな桜の木がある。
今はまだ時期が早くて花が咲いていないけれど、つぼみはだいぶ膨らんで色づいている。
あれから三年。
いろいろなことがありすぎて…
頭がぐちゃぐちゃだ。
あたしは誰もいない境内に入りそっと腰を下ろした。
もう着物の中まで雨は浸みていてぐっしょり濡れていた。
寒くて冷たくて歯の根が合わない。
ただ瞼だけが熱くて痛かった。
あたしは膝を抱えて座ると瞼を膝にじっと押さえつけた。
ただ今だけは何も考えたくなかった。
ザク、ザク。
濡れた砂利を踏みしめる足音。
ふとあたしの前で足を止めた気配がして、あたしは顔をあげ、思わず息をのんだ。
そこには…
土方さんが
立っていた。