第十一章 10.自分の道、守るべきもの
山崎さんはじっと一点を見つめて動かない。
土方さんと同い年だと聞いたけど、いつも軽口をたたいているからずっと若く見えるのだけれど、ただ眉間にしわを寄せてじっとしている様子は年相応の落ち着きと渋みがあった。
「…なんでなんや。」
山崎さんが言葉を発したのはそれからしばらくたってからのことだった。
「え?」
「なんで幕府はこないにもくさってんねや!幕府の中から倒幕の動きがあるなんてもう…!
近藤さんも、土方さんも真の武士や。幕府の連中なんかよりもよっぽど日本を憂いてる。
なのにあの人らをつぶして、どないしよういうんや!」
山崎さんは幕府への怒りをあらわにして畳を拳で叩いた。
その表情は新撰組への忠誠と、近藤先生や土方さんへの信頼と敬愛の深さを物語っていて今更ながらそれを実感した。
そして同時に思う。
やっぱり彼らはこの国に必要だと。
この先そう遠くない未来に彼らは散る運命にあるのかもしれない。
でも彼らが血を吐く思いで、貫き通す誠の痕跡を後世に残さねばいけないと。
そう思うと、心が落ち着いてくる。
悲しいけれど、苦しいけれど、あたしは裏切ろう、みんなを。
たとえ、そのことで、新撰組の誰かに斬られる日が来ても、あたしはみんなの誠を、志を後世に遺すための道になるのだと覚悟を決めて笑って逝きたい、と思う。
「…させません。」
「?」
山崎さんがあたしの言葉に怪訝そうな顔をする。
「あたし、桂のところに行きます。」
あたしはまっすぐに山崎さんを見据えて言った。
「あかん!罠かもしれんねんで。そしたらそれこそ犬死や。」
山崎さんは見たこともないくらいに狼狽していてあたしの肩をつかんで揺さぶった。
「でも、この事態を収拾するにはきっと誰かの犠牲がいる。
そしたらそれはあたしがやります。
みんなは誠の武士として走りぬくことが天に定められた運命です。
そしてあたしはそれをきちんと全うさせることが使命です。
…だからあたしは新撰組を裏切ります。
桂のところに寝返って、妾になります。
だから刺し違えても、切腹なんて…解散なんてさせません。」
口に出すことでそれはどんどん事実になっていく。
でもこれがあたしの進む道なのだと思う。
「水瀬…お前…。
わかってんのか?
この前の密偵の時や、除隊の時とはわけが違うんやで。
もしお前がどんな理由があれ倒幕派に身を置いたら俺らとはもう決して同じ場所には立てん。
俺らはお前を裏切り者として、敵として斬らねばならん。
倒幕派に寝返った裏切り者、スパイとして殺されるんやで。」
「もとより覚悟の上です。
あたしが裏切ることで、死ぬことで新撰組が誠を貫き通せるなら喜んで行きます。
もしかしたら、あたしはこうするために…みんなの後押しをするために、ここまできたんじゃないかと思うんです。だから今結構誇らしいんですよ?」
あたしは無理やり口の端を引き上げて笑おうとした。
うまく笑えているだろうか?
「水瀬…」
「…1つだけ、お願いがあります。この事は絶対に新撰組のみんなには言わないでください。後ろめたさなんて一ミリも感じて欲しくないから。あたしは新撰組のあの志が、好きだから。あの志のために全力で走っていって欲しいんです。」
「水瀬、それではあまりにも…」
「いいえ、人は憎しみさえあればそれを力に変えることが出来ますから。
事実を知ったところで覆す絶対的な手段がなかったら苦しいだけでしょう?
どうすることもできずに指をくわえて人の死を見送る辛苦はみんなが嫌ってほど味わってます。
ならばいっそ憎んでくれたほうがまだいい。
だからそれでいいんです。
それに、桂たちのの思惑はどちらにしろ幕府の力を削ぐことでしょう。
あたしはできる限り中に入ってそれを防ぎます。新撰組は絶対にこんなことで崩れてはいけないんです。
だからお願いします。あたしを憎んでください。恨んでください。
それを力に変えて走って行ってください。
そしてあたしに会ったら斬ってください。
勝手な言い草だとは重々承知です。
でも、お願いします。」
あたしは前を向いてキッパリ言った。
「…承知した。」
山崎さんは拳を握りしめて、震える声で言った。
「ごめんなさい。山崎さんにだけ、こんなこと…。でも、おかげで心が決まりました。
本当にありがとうございました。」
あたしは畳に手をついて頭を下げた。
「…阿呆…!」
山崎さんはあたしににじり寄ると、やおら腕を引いてあたしを抱きしめた。。
山崎さんの腕は見た目よりもずっと力強くて骨が軋むくらいにきつく抱きしめられて少し痛かった。
鼻の奥がつんとして目の前の景色が揺らぐのを感じたけど、あたしは無理やり口の端をあげて笑った。
今泣いたらきっと止まらなくなる。
だから笑おう。
泣くことはすべてが終わってからでいい。
絶対に下を向きたくは無かった。
これはあたしが選んだことだもの。
これはあたしの闘いだ。
一世一代の勝負。
裏切ってやろうじゃないか。憎まれてやろうじゃないか。
みんなが前に進む原動力に少しでもなれるように。
あたしが未来から来たのはこの為なのかもしれないと思う。
あたしは妙に落ち着いている自分にびっくりした。
これがここに来たばかりの頃なら納得できなかったと思う。
でもあれから2年たって、人を失う痛みを知り、人を殺す痛みを知り、志という熱いものの為に翔け、そして散っていくことを選ぶことを知った。
今なら分かる。
彼らは決して犠牲になったのではない。
自ら選んだんだ。
だから彼らはこんなにも凛と美しく一分の揺らぎも見せずに散っていったのだ。
何が正しいのか間違っているのか、そんなものは知らない。
ただあたしはあたしのこの熱い想いの為だけに走っていくだけだから。
あたしは自分で選んだんだ。
だから最期までこのみちを貫こう。
みんな、ごめんなさい。
こんな風にみんなを裏切って傷つけて、本当にごめんなさい。
でも、みんなならきっと走っていけると思うから、だから行ってください。
武士の道を。
そして、次に会うときは、裏切りものとして斬ってください。
願わくは、みんなが少しでも傷つかずにいられますように。