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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十一章 2.動揺:沖田総司

まことと組んで盆屋に密偵なんてどんな顔をすればいいんだ。

だいたい私は嘘をつくのも演技もましてや夫婦の真似事なんてできるはずがないのに。

まことは平気なんだね。こんな風に好きでもない男と夫婦の真似事をする事も。

そう考えたらしばらく会わぬうちにまことが遠くなってしまった気がして、それが無性に焦らせた。


そんなふうに考え事をしていたら、まことを置き去りにしてしまっていた。

どうやら草履の鼻緒が切れて難儀をしているらしい。

私は自分の事ばかり考えてまことを顧みていない。

まったく未熟だ。しっかりしろ!


あのあとまことが私と向き合ってくれたおかげで、自分の腹を据える事ができた。

そして盆屋についてまったく知らなかったようで、そこについては絶句していた。

なんだ、何も変わらないじゃないか。

どんなに美しい若妻姿になっても、どんなに辛い体験をしても、きっと彼女の中には何も変わらぬ真がある。何を恐れたのだ、沖田総司、武士ならば、きちんと人の真を見極めよ。

あの時、山南先生を介錯したときに誓ったはずだ。

決して揺らぐ事なく、武士としてあの人のように潔く生きると。


それから私たちは会えなかった時間を埋めるようにたくさんの話をした。

そしてこの任務を成功させようと誓った。

そうこうしているうちに遂に例の盆屋の手前まで着いた。

ここではまことが急に具合が悪くなってどうしようもなくなり、やむなくへやを貸してもらうという筋書きで潜入する事になっている。

まことは目を伏せて苦しそうに浅い息を繰り返した 。

なるほどずっと監察の仕事をしていただけあって、なかなかの演技だと思う。

私はまことの膝と背中に手を差し入れ抱き上げる。

まことは小声で「重くてごめん」と言ったけど全然重くなんかない。

確かにおなごにしては背も高いけど、冬物の厚い着物越しでも私の手に華奢だけど柔らかな輪郭が伝わって来て心臓が跳ねた。

私は動揺を押し隠して、盆屋の前までくると、戸の向こうに向かって声をかけた。

「すまぬが誰かおらぬか。」

ぱたぱたと走ってくる足音。

ガラリ

木格子の戸が開くとそこには、恵比須顔の人の良さそうな女が立っていた。

「どうなさいました?」

私は努めて平成を装い、打ち合わせした通りの事を言った。

「拙者は水瀬総司と申す者ですが、子宝祈願の道中妻の倫が持病の癪に倒れてしまい難儀をしておるのです。どうか床を貸していただけないでしょうか?」

私は切羽詰まった様子で一気にまくし立てた。

腕の中ではまことが胸に手を当てて浅い息を繰り返している。

「そらあ、えらい難儀ですなあ。はよ入りやす。」

女将は細い目を目一杯見開いて私たちを招き入れた。

「恩に着ます。」

私はすこしだけ頭を下げると盆屋の中に入った。

女将は離れの方に私たちを案内すると、襖を開けた。

そこには、広めの布団に枕が二つ並んでいた。

「今日はお客さん居てはらんさかいにゆっくりお休みやす。奥様の帯緩めて浴衣に着替えさせて差し上げてください。あとでお腹にええもん作りますさかい。」

「お言葉に甘えます。ありがとうございます。」


女将の気配が遠のいたのを感じて私は小さく息を吐いた。

「第一段階成功だね。ほかにお客さんがいないってホントかな?調べてみる価値ありだね。」

まことがほとんど声を出さずに言った。

私は小さく笑って頷く。

女将に嘘をついた様子はないが調べてみる価値はあるだろう。


「にしても…エロい…この布団。」

まことは呆れたように蒲団の端をつまんで眉をひそめた。

「えろい…?」

まことが発した言葉がわからなくて繰り返す。

「え…!ああ、なんていうか扇情的だなって…だって真っ赤な布団に枕が二つなんて…。」

まことは無意識に未来の言葉を発したのか顔を赤くして恥ずかしそうに笑った。

私も無意識にその行為を連想して赤が移った。

確かに緋色の布団は扇情的だ。

私は恥ずかしくなって顔を背けた。

「さてと、着替えますね、総司様。」

まことはわざと明るく言って着物の帯を解きだした。

私は慌てて後ろを向いた。

衣擦れの音がへやの中に妙に大きく響いた。

「総司様。」

まことの声に振り向くとそこには、白の襦袢一枚になったまことがいた。

「!」

白い肌が襟元から覗き、薄い布のせいで、身体の線までがくっきり見て取れた。

ドクン

私は顔に血が上るのを感じたけど、まことは少し眉を寄せただけで後ろを向いて言った。

「申し訳ありませんが髪紐を解いてくださいませんか?」

病人だから、髪を下ろすのは自然なのかもしれないけど、正直勘弁して欲しい。この姿でうろうろされたら心臓がもたない。

私は黙って髪紐を解くと長船に結い上げていた髪が扇の様に背中に落ちた。

髪…こんなに伸びたんだな。

まことの髪は背中の半ばまでを覆うほどに伸びていた。

「ありがとうございます。」

そう言うと、不意に私ににじり寄って耳元に口を近づけて言った。

「(夫婦なんだからいちいち動揺しないでよ、あたしだって恥ずかしいんだから。)」

「!」

まことは茶目っ気たっぷりに目を細めて恥ずかしそうに顔を赤らめて言った。

確かにそうだ。こんな事で動揺していたら、この先の任務は務まらない。おなごにこんな事をさせてるんだから私が揺らいだらまことがかわいそうだ。

「じゃあ、あたしはちょっと休むから情報収集よろしく。」

まことは髪を横で結びながら小声でいうと病人らしくそのまま緋色の布団に入って少し立つと規則正しい寝息が聞こえた。


私は女将に会うためにふすまをそっと開けて、廊下に滑り出た。

ため息を一つつく。

動揺せずにはいられない。

しばらく会わぬうちにまことはますますきれいになっていて、目を奪われずにはいられないのだから。

この気持ちは恋なのだろう。

どこまで行っても報われない虹を追いかけるような恋なのだ。

まことと離れているとき、彼女を愛おしく思うことはあっても、こんなに激しい衝動を覚えたことはなかった。なのにいざ再会したら、胸を締め上げるような熱い感情がこみあげてきてどうしようもなくなる。

ただ同じ空の下にいられればいいと、そう思っていたのに。

私はこんなに未練たらしい男なのだな。


私は自嘲気味に口の端をあげて盆屋の女将のもとに急いだ。


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