第十章 9.恋の形、星の数だけ
夕焼けで朱に染まった空が徐々に紫色から夜の群青に覆われるまで明里さんはずっとさめざめと泣き続けた。心の澱を洗い流すように、ただずっと泣き続けていた。
凛としていて芯の強い女性だと思っていた。
でも、それは本当に割り切っていた訳じゃなくて、大好きな人の為に、ただ笑顔だけを心に刻んでもらう為に、全てを心に封じ込めて我慢していたんだ。
愛していたから泣かなかったんだ。
だから逝くのを止められなかった、否、止めなかったのだろう。
山南先生の全部を、そういう武士としての不器用で馬鹿馬鹿しいくらいの潔い生き方も全部含めて愛していたから。
あたしはそんな風にはなれない、やっぱり大好きな人が志の為であっても、死ぬことがわかってしまったら、全力で止めてしまう。無駄だとわかっていても、決めていても、やっぱり死んで欲しくないから。
明里さんみたいに我慢してあんなに綺麗に笑うことなんて出来ないよ…。
あたしはやっぱり中途半端なんだろうな…。
明里さんは泣きつかれて目を腫らしていたけれど、不思議とつきものの落ちたようなすっきりとした顔をしていた。
もうすっかり日が落ちて空には一番星が輝いている。
明里さんはその夜空に顔をあげ、そして言った。
「もう大丈夫や。山南はんはここに居てる。」
明里さんは自分の左胸を一度軽くトンと叩いた。
「明里さん…。」
「また泣いてしまうかもしれんし、まだまだやっぱり会いたいと思うけど…彼岸までの辛抱やな。」
明里さんはそう言って花が綻ぶように笑った。
その笑顔は凛としていて一点の曇りもない、その人の死を超えてもなお愛す覚悟を決めた人のそれだった。お梅さんの強さとも、華香太夫の強さとも、違うけれども凛としてつよい美しい女性。
「うち、ほんまは山南はんの後を追おう思うててん。」
「!」
「山南はんのおらん世界に生きる理由がないって思ってたんよ。
…でもうちは生きる。山南はんの分までとか、そんなんやない。
ただ生きなあかんなあと思うただけや。
うちはこれから幸せになる。
どれくらい先か分からんけど、必ず幸せになる。
山南はんを好きになった自分に恥んように、きっと生きて、生きて、生き抜いてみせる。」
ああ、山南先生、明里さんは大丈夫です。
きっと眩しいくらい、凛と美しく幸せになります。
「明里さん、きれい…。」
あたしがポツリと言うと、明里さんは一瞬目を見開き、すぐに吹き出した。
「なんなん?藪から棒に。うちは天神なんやからきれいで当たり前や。」
勝気に少し鼻をつんと上げて冗談めかして言った。
これがきっと本来の明里さんなんだと思った。
あたしはこの芯の強い勝気な女性がだいすきだと、嬉しくなる。
「水瀬はん、ほんまありがとうな!!」
明里さんはあたしに向き直り、どきりとするくらい艶やかで輝く笑顔を見せた。
*
明里さんを送るともうすっかり夜になって街の人通りも少なくなっていた。
あたしは島原大門をくぐって外に出ると、そこには見慣れた人影。
「よう、水瀬。こんなとこで会うなんて奇遇だな。」
永倉さんが軽く手を上げる。
「永倉さん!来てくれたんですか?」
「偶然、遊びに来たらお前が山南さんの女と連れ立って歩いてたからな。」
嘘ばっかり。
きっと心配して見ていてくれたんだろう。
この人のこんなさりげないところがとても好きだと思う。
あたしたちは暗い夜道を提灯の灯りを頼りに山崎さんの自宅へと向かって歩いていた。
「永倉さん、明里さんは大丈夫です。きっと幸せになりますよ。」
「ああ、そうだな。」
永倉さんはいつになく穏やかに、笑った。
!
あたしはその時気づいてしまった。
永倉さんのその笑顔には明里さんへの気遣いと優しさに満ち溢れていて…
ああ、明里さんを好きなんだと、そう思った。
「永倉さんは…」
あたしは話しかけて口をつぐんだ。
だってそんなこと聞いたところで、あたしはなにも出来ないし。
自分の好奇心を満足させるために、そんなこと聞くべきじゃない。
「水瀬は意外に鋭いんだよなあ。俺も総司や斎藤のこと言えねえな。」
永倉さんは少し笑って続けた。
「別にどうこうなりたい訳じゃねえんだ。
何か言うつもりもねえしな。
まあ、山南さんを思い出にできるくらいまでになって、そんときまだ俺がおっ死んでなければ…な。
今はただ穏やかに居てくれりゃあそれでいいのさ。」
永倉さんはあっけらかんと笑っていたけれど、やっぱりさみしいだろうな。
あたしたちは山崎さんの家の近くまでくると、ここでという感じで離れた。
「永倉さん!応援してますからね」
あたしは永倉さん の耳元にこっそり耳打ちした。
「おめえみたいなガキに応援されたくねえよ。きちんと自分の恋のけじめつけやがれ!!」
永倉さんは一瞬びっくりしたような顔をしてからその後は顔を赤くしてあたしの頭をワシャワシャとかき混ぜて、背中を向けて去っていった。
この世には人の数だけ恋がある。
きっとみんな同じように虹を掴む思いで恋をしている。
武士も、農民も、女も…みんなみんな苦しい思いとつらい思いをしながらそれでも恋をし続けるんだと思ったら、そんな当たり前なことがひどく愛おしく感じた。