第十章 8.男の志、女の愛
明里さんから永倉さんを通してあたしのもとに手紙がとどいたのは山南先生の切腹から一週間経った時で、新撰組が西本願寺に屯所を移転することが決まった頃のことだった。
土方さんが移転を強行採決したらしく、幹部のなかでも時期尚早なのではないかという意見があったくらいだと永倉さんが言っていた。永倉さんは試衞館派 の幹部の中でも近藤先生に対して批判的な目をもって苦言を呈したりできる人で、こういう人はすごく大切な存在だと思う。
ともすればトップに権力が集まりがちな組織において、自分たちの行動を客観的に見られることは腐敗を防ぐ為に絶対に必要だと思うから。
永倉さんはいつもは無精髭の無頼姿でお酒と女が大好きで完全なる俗物だとおもうけど、たまにさらりといい事を言う。
しかもそれはたいてい物事の本質をついていて、それがこの人の本当の姿なんだなと思う。
どんなときでも的確に相手に真実を言う、でもそれは決して冷たいわけじゃ無くて信頼と敬愛に基づくものなのだ。この人を見ると、ああ、大人だなって思う。
「あの明里って女がお前と話がしたいって言ってたぜ。会いに行ってやれよ。」
永倉さんは手紙を渡しながら言った。
「そうですね。そうします。」
あたしは手紙を開けると、女らしい繊細で流麗な文字が書かれていた。
水瀬真実様
山南さんの最期の時に引き合わせていただき誠にありがとうございました。
貴女のおかげで、ようやくあの人の真の姿に近づけた様なそんな気がしています。
もしご都合がよろしければ貴女に再びお会いしたいのですがいかがですか。
明里
ぱたり
涙が一粒こぼれ落ちて手紙に当たり、薄墨色に滲む。
明里さん、どうしてこんなにも穏やかに、先生の死を受け入れることができたんだろう。
大好きだったはずなのに。
否、受け入れられた訳ではきっとない。
でもそんな風に見えるのはやっぱり明里さんが凛として潔いからなのだろう。
*
あたしはそれから一週間後、明里さんと清水寺で待ち合わせていた。
清水寺は春を待ちわびる木々の中に幕末でも、現代でも変わらずその重厚な佇まいで京都の街を見守っている。
なに建築って言うんだっけ?
釘を一本も使わないんだっけな?
修学旅行で行ったのに全然おぼえちゃいない。あの頃は全然歴史とか興味なかったし。
清水寺っていつから建ってるんだろう?
もっと昔は清水の舞台から屍体を投げ捨ててたっておじいちゃんが言ってたけど本当だろうか?
あたしはそんな取り留めもないことを考えながら、春めいてきた浅葱色の空を見上げた。
この空の何処かにきっと山南先生がいらっしゃる。
そう思うと穏やかで優しい気分になれる。
「おまたせしました。」
そこには略装姿の明里さんが微笑んで立っていた。
薄い黄緑、それは芽吹きの色で、目になんとも鮮やかで瑞々しかった。
喪服とはいかないけれど、地味な色の着物の方がいいのではないかとチラリと思ったのだけれど、そんなあたしの表情を読み取ったのか、小さく笑って言った。
「山南先生とうちは表立ってはなんのつながりもあらへんかったから、客と遊女やゆうだけで。
せやから悲しむことも許されへんのや。」
「!」
その笑顔は儚く、涙一つ零さなかったけれど、笑えば笑うほどに心から血を流しているのが見える様だった。
好きな人が亡くなっても、そのことを表立って悲しむことすら許されないなんて…そんなの、たまらないよ。
「水瀬はん、今日は有難うね。お礼が言いたかったんや。」
「お礼だなんてあたしなにも…。」
あたしは口ごもる。
だってこんなにつらい思いをしている明里さんに何も言うことができない。
結局これが正しかったのか分からない。
山南先生を救うことはできなかったのだから。
「あの人と最期に会えて気持ちを言えたこと、ほんまに嬉しかったんよ。
山南はんが死ぬつもりやゆうことはなんや薄々気づいてた。でもあの人は何も言わんし、なんの約束をした訳やないから、うちも知らんふりするしかなかったんや。
もう道を決めてはるから、うちは笑って送り出すしか無いやん。だって笑顔だけを覚えていてほしかったから。
せやから最期に会えてよかった。
笑ろた顔見せられて良かった。
おおきに…。」
明里さんは染み入るような優しい笑顔を見せた。
その横顔は穏やかで柔らかくて、ただ哀しいくらいに儚くて今にも消えてしまいそうだった。
武士は感情を殺して涙を殺して生きねばならないの運命。
そんなのなんて辛いんだろうって思ったけど、その武士を愛す女性は、自分の想いや苦しみの他に、更にその武士の運命の全てを受け止めるのだ。
男たちは辛い思いをさせないように、何も知らせず、愛する女を遠ざける。
でも女たちはそんな男の志も不器用な思いも全部受け止めて、全部知った上で、それでも気づかないふりをして、どこまでも鮮やかに笑って死への旅路へと送り出す。
女の人はこんなにも強い。
「ほんまに武士っちゅう生き物は阿呆やなあ。
誠っちゅう訳の分からんもんのためにやせ我慢ばっかりして、死ぬ為に生きてるんかって言いたなるわ…。
でも…そんな人やなかったらきっとここまで惚れてへんかったんやろな。
うちも相当の阿呆やっちゅうことやな。」
明里さんは春の空を仰いで自嘲気味に茶化すように笑って言った。
でもその笑顔は引きちぎられる程に痛々しくて、やりきれなくてあたしは思わず明里さんの肩を抱きしめた。
「明里さん、泣いてください。
もう、大丈夫ですから…。
山南先生はきっとわかってくださいますから。」
「ほんまに…?山南はん…もう泣いても…ええの…?」
声が震えたと思ったら、あたしの着物を掴む手に、涙の雫が明里さんの形の良い頬を伝ってこぼれ落ちた。
「先生は本当にお幸せだったと思います。だって愛した人に最高の笑顔をもらって逝けたんだから…。これ以上の幸せはなかったはずです。」
明里さんは一瞬目を見開き、みるみる内に目に涙を溢れさせると、そのあと子供みたいに泣き出した。
「なんで…死んでしまったんや…!!山南はん…!山南はん…!山南はん!!」
きっと明里さんにはこういう時間が必要だったんだ。
あたしはただ黙って背中をさすり続けた。