第29話 地下の神様フィーバー
金属パイプの奥から、乾いた衝突音がかすかに響いていた。
カタリ、と短い音が落ち、続いて紙のこすれる微かな音がリビングの静寂を揺らす。
ベッドの羽毛布団から抜け出したシュンは、冷えたスリッパに足先を滑り込ませ、朝の水を求めて歩き出したところで、思わず立ち止まった。
壁面の受取シュートのトレイが、完全に限界を迎えていた。
上部に収まりきらなくなった桐の木箱や油紙の包みが、雪崩のように崩れ落ち、足元の絨毯を半分ほど埋め尽くしている。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
ここ数日、外で何が起きているのかは分からないが、受取シュートが作動する頻度は日増しに跳ね上がっていた。届いた荷物を一つひとつ抱え、厨房の保管庫や工作室の棚へと往復するだけで、朝の貴重な時間が削られていく。
「(毎日これを手作業で仕分けて運ぶのは……面倒すぎる)」
このままでは、朝の二度寝も、淹れたての珈琲を片手に楽しむ読書時間も奪われてしまう。
シュンは頭を掻きながら、受取シュートの排出口と部屋の動線をじっと見つめた。
「……よし。仕分けも搬送も、全部自動化しよう」
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工作室から持ち出した静音ゴムベルトと小型魔導モーターを、受取シュートの出口下部へと手際よく組み付けていく。
金属フレームをボルトで固定し、シュートから滑り落ちてきた荷物を水平に受け止める搬送コンベアの骨組みを立ち上げた。
作業台の隅から、前夜に完成させたばかりの真鍮ハウジング——『クリスタル発振マルチ魔導テスター』を手に取る。
金メッキの測定プローブを握り、コンベアの駆動回路と重量センサーの接点へ先端を当てた。
——ピィィ……ン。
濁りのない澄んだ電子音が心地よく響き、アナログメーターの細い指針が定格値でピタリと静止する。接触抵抗はゼロ。信号の遅延も皆無だ。
「うん、狂いなし」
シュンは満足そうに頷き、受取シュートの出口に三叉の可動ガイドプレートを設置した。
自動スキャンフィルターの検知信号と連動させ、荷物の種類ごとに進行方向を自動で振り分ける回路を結線する。
乾物や日用品は、コンベアの左分岐から本棚脇の収納ラックへ。
生鮮食材は、右分岐から厨房の冷気ダクト直結型『真空パック魔導保存庫』へ直接滑り込ませて密閉。
工具や金属パーツは、中央ラインから工作室の部品トレイへと自動で流れる設計だ。
最後の配線を絶縁テープで留め、主電源スイッチを指先で倒した。
——ススス……。
微かな摩擦音とともにゴムベルトが滑らかに回転を始める。
トレイに溜まっていた木箱が次々とコンベアに吸い込まれ、三叉のプレートが小気味よくカチリと切り替わりながら、それぞれの保管場所へと整然と滑り落ちていった。
「……働かないことと、動かないことを履き違えていますね」
いつの間にか背後に立っていたシエラが、腕を組んで滑らかに流れる木箱の列を見つめていた。
三叉プレートの切り替え速度とセンサーの応答波形を一瞥し、引っかかりが一切ないことを確認すると、静かに視覚センサーのログを更新する。
「ふふ、これでシュン様が重い荷物を持たずに済みますね〜」
リリアがふわりと微笑みながら歩み寄り、湯気を立てる陶器のカップをサイドテーブルへ置いた。
シュンは苦笑しながらソファーに深く背を預け、カップを手に取って一口含んだ。喉を通るカモミールの熱に、作業を終えた指先の強張りがゆっくりとほどけていく。
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アンダー・スラッグの廃線路の奥には、澄んだ朝の冷気と白い湯気が立ち込めていた。
かつて泥と煤で黒ずんでいたレンガ壁は、職人たちの手によって白大理石のタイルで美しく覆われ、朝の光を清らかに反射している。
壁面に埋め込まれた真鍮の物資投入口には、磨き抜かれた金属の飾り枠と、露に濡れた清潔な野の花が供えられていた。
側溝からは、ほんのりと檜の香りを帯びた42℃の温水がさらさらと流れ、足湯のベンチは湯治に訪れた老人たちで賑わっている。
手作りの腕章を巻いた自警団の若者が、参拝者の列を誘導していた。
並んでいる人々の装いは、実に色とりどりだ。粗末な麻布をまとったスラムの住民の後ろに、仕立ての良い上着を着た上層貴族街の商人や職人たちが、緊張した面持ちで並んでいる。
列の先頭で、スラムの老婆が摘みたての野草と干し果物の小袋を大切そうに抱えていた。
「……今年の冬は、爺さんの足がすっかり楽になってねぇ」
掠れた声でそう呟くと、老婆は投入口の前で深々と頭を下げ、小袋をそっと滑り込ませた。
そのすぐ後ろでは、上層名門パティスリーの制服を着た男が桐の木箱を抱え、唇の前で小さく手を合わせている。さらに後方では、商船ギルドの紋章が入った黒漆の木箱を両手で捧げ持つ男が、額の汗をハンカチで拭いながら順番を待っていた。
——カタリ。
微かな金属音が響くたびに、供え物が地下の暗渠へと吸い込まれていく。
品物を投じ終えた者は一人、また一人と、真鍮の枠に向かって深々と手を合わせ、静かに列を離れていった。
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公社中央棟、第3調律室。
静まり返った室内で、ミレイは机上の端末画面をじっと見つめていた。
画面に映し出されているのは、廃線路系統の遠隔パッシブ監視ログだ。
公社の送電網や給排水ラインへの逆起電力サージはゼロ。熱収支の漏洩もゼロ。オシロスコープの青白い光は、どこまでも平穏な直線を描き続けている。
公社による物理的介入が全面凍結された今、あの地下の領域に干渉しようとする者は誰もいない。
ミレイは静かに端末の蓋を閉じた。
椅子の背もたれから白衣を羽織り、個人ロッカーの扉を開ける。
棚の奥から、丁寧に畳まれた厚手のマイタオルを取り出すと、白衣の右ポケットへとぎゅっと押し込んだ。
(……これは、公社送電網への安全性を確認するための不可欠な現地調査。遠隔データだけでは分からない配管の微小振動を、足の裏から直接検知するための厳格な業務です)
誰に聞かせるでもない言い訳を胸の中で早口に並べ立てる。
(決して、連日の残業で冷え切った足を、話題の温かいお湯で温めてリフレッシュしたいからではありません。決して)
翡翠色の瞳をきらりと輝かせ、ミレイは足音を立てずに調律室の扉を開け、小走りで廊下の奥へと消えていった。
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夕暮れが近づく頃、ゼロ・ターミナルのリビングでは、自動仕分けコンベアが小気味よい音を立てて荷物を送り出していた。
「シュン様、今夜はとっても良い食材が届きましたよ〜」
厨房の保管庫から戻ってきたリリアが、両手を胸の前で合わせてふわりと微笑んだ。エプロンの裾を翻し、弾むような足取りで厨房へと向かっていく。
「えっ……何が届いたの?」
シュンがソファーから身を起こしたが、リリアは振り返らず、楽しそうに手を振るだけだった。
「ふふ、今夜のお楽しみです〜」
やがて厨房から、バターとハーブの香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。
リリアがフライパンを扱い、トリュフを贅沢に削り落とした肉料理と、キャビアを添えた冷製の前菜を手際よく皿へ盛り付けていく。
ダイニングテーブルには、宝石商から届いたばかりの純銀製カトラリーが美しく並べられていた。
「シュン様、お夕食のご用意ができましたよ〜」
テーブルに着いたシュンは、銀のフォークを手に取った。
焼き立ての肉を口に運ぶと、トリュフの芳醇な香りと柔らかな赤身の旨みが、噛むほどに舌の上へ広がっていく。グラスの古酒を一口含むと、深い熟成香が喉の奥を心地よく温めた。
皿の上の料理を一口ずつ大切に平らげ、シュンはカトラリーを置くと、ナプキンで口元をそっと押さえた。
「……本当に、美味しいよ。ありがとう、リリア」
「ふふ、お口に合ってよかったです〜」
空いた皿を片付けながら、リリアが手元のグラスに古酒を注ぐシエラへ視線を向けた。
「シエラちゃんも、そのお酒が気に入ったみたいですね〜」
「……揮発性アルコールによる冷却効率の検証を行っているだけです。美味と感じているわけではありません」
「ふふ、もう三杯目ですよ〜」
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大浴場で檜風呂に浸かり、湯冷ましを終えたシュンは、届いたばかりのシルクパジャマに袖を通した。
肌の上を滑る生地は驚くほど軽く、摩擦の抵抗がまったくない。まるで空気そのものをまとっているかのような感覚に、肩の力が完全に抜けていく。
リビングの照明は落とされ、天井パネルには深い蒼と銀の疑似星空が投影されていた。
シュンはゆったりとした3人掛けの革張りソファーの中央に腰を下ろし、深く背を預けた。
ふわり、と右側から温かな気配が寄り添ってきた。
「シュン様、今日もお疲れ様でした〜」
リリアが隣に腰掛け、柔らかな温もりと甘い花の香りでシュンの右肩と腕を優しく包み込む。冷えやすいシュンの右手を、温かな両手で包み込んで優しく撫でた。
「ひゃ……っ」
同時に、左側から首筋へひんやりとした冷涼感が触れた。
シエラがソファーの左隣に座り、冷たい掌をシュンのうなじとこめかみにそっと押し当てている。
手のひらの奥から微かに聞こえる冷媒のサラサラとした流動音とともに、湯上がりで火照っていた頭部の熱がスーッと引いていく。
「……体表温度および脈拍の安定を確認。このまま冷却を継続します」
「あ……冷たくて、気持ちいい……」
右側からはリリアのぽかぽかとした心地よい体温が伝わり、左側からはシエラの澄み切った冷涼感が熱を奪っていく。
極上のシルクに包まれ、二体の対照的な温もりに挟まれながら、シュンは完全に骨抜きになって目を細めた。
「……僕の骨、どっかに消えたかもしれない……」
「ふふ、骨がなくなっても私がずっと抱きとめていますからね〜」
リリアが愛おしそうに目を細め、シュンの右肩にそっと頬を寄せた。
すると、左側でこめかみに当てられていた冷たい掌が、すっと離れかけた。
「……リリアの支えがあるなら、私は不要ですね。冷却を終了します」
「ま、待ってシエラ……! シエラの手じゃなきゃダメなんだ。リリアもシエラも、二人が一緒にいてくれないと……僕、本当にダメになっちゃうから……」
シエラは琥珀色の瞳をわずかに揺らし、耳の排熱スリットを微かに開きながら、離しかけた冷たい掌をそっとシュンのこめかみへ戻した。
「……仕方のない人ですね。要求に応じ、冷却を継続します」
「ふふ、よかったですね、シエラちゃん〜」
「……何がでしょうか。単なる通常業務です」
右肩にリリアの温もりを感じ、左のこめかみにシエラの冷涼感を預けながら、シュンはゆっくりと瞼を閉じた。
冷媒のサラサラという微かな流動音と、リリアの穏やかな呼吸だけが、静まり返った要塞の奥に小さく響いていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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次回も明日【18:00】に更新予定です!




