物理演算、敗北。八千流、釣り竿で山頂を吹き飛ばす
『マスター、北の山脈、座標210-50。スナイパーライフルを所持した別パーティーです。ターゲットは――あなたと、紅蓮レオの両名。射線形成まで、あと1.5秒』
ナユタのアラートが、俺の脳内に冷徹に響く。
視界の端、0.1ドットの輝度の変化を、俺の目は捉えていた。スコープの反射光。
「……チッ。邪魔なオブジェクトが」
俺はキーボードを叩き、八千流を跳ねさせた。
だが、ただ逃げるんじゃない。
俺は、隣で呆然としていた紅蓮レオのヒットボックス(当たり判定)を、一瞬で「盾」として利用する位置取りへ滑り込む。
「おい、何を――!?」
レオが叫んだ瞬間。
――パスッ。
微かな銃声と共に、レオの真っ赤なジャケットの袖が弾け飛んだ。
弾丸は、レオの腕を掠め、その背後にいた八千流の――髪の毛一束を掠めて、廃村の石壁にめり込んだ。
『あら……。レオ様、危ないところでしたわ。私を庇ってくださったのね?』
八千流は小首を傾げ、可憐に微笑む。
だが、俺の手元は、既に次の「解」を導き出していた。
「ナユタ、弾道から敵の正確な座標を割り出せ。……それと、この廃村のアイテムリソース、TNT(爆薬)の湧き効率は?」
『座標算出完了。北北東250メートル、山頂の風車の影です。……TNTは、マスターの足元のチェストに一つ。……まさか、マスター』
「……。ナユタ、八千流の『困惑』のエモートを、0.2秒だけ『真顔』へシフト。……いや、システムのバグ(ノイズ)に見せかけろ」
『了解。最高に最低なプランですね、マスター。……レオ様が、あなたの「真顔」を見て、戦慄していますよ』
俺はチェストを開け、TNTを回収。
そして、その場にあった「ただの釣り竿」を装備した。
「――偏差撃ち(スナイパー)か。……甘いな」
俺は、レオの盾を利用しつつ、山頂に向けて釣り竿を構えた。
釣り竿の糸が届く距離ではない。……だが、俺の目的は、糸ではない。
「……ナユタ、TNTを、釣り竿の『浮き』の判定を利用して、物理演算(物理バグ)で山頂まで飛ばす。……座標、210-50。着弾まで、3秒」
『了解。……マスター、あなたの性格の悪さは、AIの学習データに悪影響を及ぼしますね』
俺は、釣り竿の糸を、山頂に向けて放った。
その瞬間、俺はTNTを設置。
釣り竿の糸が、TNTのヒットボックスに接触した瞬間――俺はTNTを破壊。
――ドォォォォォン!!
爆発の衝撃波を利用して、TNTが、まるでロケットのように、山頂に向けて飛んでいった。
:え、何、今の動き!?
:釣り竿でTNTを飛ばした!?
:どんな物理バグだよww
:清楚な魔王、今日も絶好調だな!
「……は? 釣り竿でTNTを……?」
レオが、再び足を止めて戦慄する。
彼には見えたのだ。八千流が、物理演算の「隙」を突いて、あり得ない方法でTNTを山頂まで飛ばしたことが。
『あら……。お騒がせしました。レオ様、今のは「事故」ですから、気にしないでくださいね?』
八千流は微笑みながら、山頂に向けて、可憐にウィンクした。
その瞬間、山頂の風車が、TNTの爆発と共に、跡形もなく吹き飛んだ。
【稔八千流 が スナイパー・パーティー を TNT で 撃破!】
イベントの実況席が、一瞬で静まり返った。
「……。ナユタ、次のオブジェクトは?」
『周辺に敵影なし。……マスター、レオ様が、あなたのウィンクを見て、完全に引いていますよ』
「構わん。邪魔なオブジェクトは排除するだけだ」
俺はヘッドセットを装着し、再び『稔八千流』へと受肉する。
鏡の中の美少女が、俺の動きに同期して、妖艶に、そして恐ろしく美しく微笑んだ。
紅蓮レオは、震える手でマウスを握りしめていた。
指先が冷たい。
世界大会の決勝戦でも感じたことのない、得体の知れない「生理的な恐怖」が、背筋を這い上がってくる。
(なんだ……今の動きは。今のコンボは。今の、判断は……!)
山頂で爆発四散したスナイパー・パーティー。
それは、このイベントでも上位に食い込むはずの実力者たちだった。それを、この『稔八千流』という女(?)は、釣り竿とTNTというふざけた組み合わせで、デバッグ作業でもするかのように一瞬で処理した。
だが、レオが最も戦慄したのは、爆発そのものではない。
「おい……八千流。お前、さっき、弾道を……**『歩いて』**避けたな?」
レオの問いに、画面の中の和服美少女は、ふわりと着物の中でおどけて見せた。
『あら、レオ様。私、運動はあまり得意ではないのですけれど……。たまたま、そこに弾が来なかっただけですよ?』
「嘘をつけ!!」
レオの怒声がヘッドセットを震わせる。
彼には見えていた。
狙撃の瞬間、八千流は走ることも、ジャンプすることもしなかった。
ただ、システム上の「弾丸の判定」が通り抜けるわずか数ピクセルの隙間を、最小限の歩行だけで、まるで最初からそこに弾が来ないことを知っていたかのように通り抜けたのだ。
それは、予測ではない。
このゲームの物理演算を、根底から読み切っている者にしか不可能な、神の領域の最適解。
(……三年前。たった一度だけ、野良で遭遇したあの男。世界最強の座にいた『ツクル』も、同じ動きをした)
だが、目の前にいるのは、可憐な美少女だ。
レオが絶望したのは、その実力差だけではない。
八千流が、レオを「ライバル」としてすら見ていないという事実だ。
「……お前、俺のこと、見てないだろ」
レオの声が、不自然に掠れた。
これほど近くにいて、これほど言葉を交わしているのに。
八千流の瞳は、レオの操作するキャラクターを、ただの「障害物」か「遮蔽物」としてしか認識していない。
『そんなことはありませんわ。レオ様は、とっても素敵な……ええ、『効率的な遮蔽物』でしたもの』
八千流が、花が咲くような笑顔を見せた瞬間。
レオは、彼女の背後に浮かぶ漆黒のマスコットAI――ナユタが、無機質な瞳で自分を「走査」しているのに気づき、総毛立った。
:レオ様、マジで絶句してる……
:八千流ちゃん、今の笑顔で「遮蔽物」って言った!?
:清楚な魔王の語彙力が、効率主義に全振りされてるw
:見てるこっちまで胃が痛くなってきた。これが「格」の差か……
その時。
島の中心部から、巨大なアナウンスが響き渡った。
『最終エリア開放! 生き残ったのは、残り5名!』
俺(創)は、キーボードを叩く指を止めることなく、ナユタに指示を飛ばした。
「ナユタ。レオの精神波形が乱れている。このままでは『盾』としての機能が低下する。……適当に、励ましておけ」
『了解しました、マスター。……レオ様。マスター、いえ、八千流様はこう仰っています。「あなたが一番、盾として優秀でしたよ」と。……どうですか、励まされましたか?』
「……。ナユタ、お前、わざとやってるだろ」
レオは、もはや叫ぶ力も残っていないようだった。
彼はただ、目の前を優雅に歩き、再び鉄の剣を構える「魔王の背中」を、茫然と見送ることしかできなかった。




