序章
よろしくお願いします
世界が静まり返った夜があった。
フルダイブ型MMORPG『アステリズム・オンライン』。
全世界で一億人が熱狂したその仮想世界において、頂点に君臨した一人のプレイヤーがいた。
プレイヤーネーム、『ツクル』。
彼は神だった。
一億の頂点に立ち、数々のレイドボスをソロで屠り、国家間戦争ではたった一人で戦況を覆した。彼の振るう剣は、常にシステムの限界を超えた「正解」を叩き出し続けた。
だが、三年前。
世界大会の決勝直前、彼は一切の言葉を残さずログインを止めた。
チート疑惑、病死説、あるいは国家による徴兵説――ネットの海に無数の憶測が流れたが、真実を知る者は誰もいない。
ただ一つ確かなのは、最強の座が空席になり、ゲームの歴史に「巨大な空白」が生まれたことだけだった。
――そして、現在。
「……ふぅ。これで論理構造は完璧か」
築三十年のアパートの一室。
御坂創は、青白いモニターの光に照らされながら、キーボードから指を離した。
画面に映っているのは、彼が心血を注いで組み上げた**『自律学習型・次世代アバター制御システム』**。
プロのゲーマーとしての情熱は、三年前の「あの事件」で燃え尽きた。
今の彼は、ただの冴えないプログラマーだ。
だが、彼の中にある「効率」への執着と「勝利」への渇望は、形を変えて生き残っていた。
「ボイスチェンジャーじゃない。学習データに基づいた『理想の少女』の最適解……。よし、テスト稼働を始めよう」
彼はヘッドセットを装着し、マイクに向かって静かに呟く。
その瞬間、スピーカーから返ってきたのは、鈴を転がすような、あまりにも可憐で、どこか神秘的な少女の声だった。
『――はじめまして。皆様、ご機嫌よう。稔八千流です』
御坂創は、冷徹なゲーマーの目でその波形を確認する。
「声の出力は正常。……あとは、この『ガワ』が今の配信界隈でどこまで通用するかだ。適当なサンドボックスゲーム……マイクラでいいか。少し歩き回って、システム負荷を確かめるとしよう」
伝説のゲーマーが、美少女の皮を被って再臨した瞬間だった。
彼(彼女)自身、まだ気づいていない。
その「デバッグ作業」が、死に体だった配信界を根底から破壊し、新たな伝説を創り出すことになるなど。
「……さて、やるか」
安物のワークチェアに深く腰掛け、俺――御坂創は、自作システムの最終チェックを終えた。
画面の隅では、配信プラットフォーム『StreamArk』の配信開始ボタンが、血のように赤く点灯している。
三年前、『アステリズム・オンライン』の頂点で燃え尽きた俺にとって、ゲームはもはや娯楽ではない。ただの数値の羅列であり、効率を測定するための試薬に過ぎない。
今回の目的は、俺が開発した「自律型AIアバター・システム」の負荷テストだ。
ボイスチェンジャーのような安っぽい誤魔化しじゃない。
俺の思考、呼吸、わずかな感情の揺れをリアルタイムで解析し、最適化された「美少女の言動」へと変換・出力する。
いわば、俺という人間を燃料にして動く、究極の「仮想の偶像」だ。
「タイトルは……『和服美少女のまったりマイクラ建築』。これでいいな」
クリック一つで、世界に向けて扉が開く。
モニターの中には、銀髪を揺らし、上品な和装に身を包んだ『稔八千流』が降臨した。
『皆様、はじめまして。稔八千流と申します。今日はこの箱庭の世界で、のんびりと過ごしてみたいと思います』
スピーカーから流れる声を聞きながら、俺は手元の数値を追う。
ラグは0.02秒以内。変換精度は99.8%。完璧だ。
画面上のコメント欄が、微かに動き出す。
:え、新人?
:顔良すぎんか……?
:和服美少女きたー!
:声がめちゃくちゃ癒やし系。これ、ガチの神引いたか?
「順調だな。リスナーの反応も、設計したアルゴリズムの想定範囲内だ」
俺は無表情のままマウスを握る。
さて、テストを始めよう。まずは生存に必要な拠点作りだ。
マイクラは『ツクル』時代に遊び倒した。座標計算、リソースの湧き効率、クラフトの最短手順。その全てが脳内にマッピングされている。
『まずは、木を切りましょうか。自然の恵みに感謝ですね』
八千流が可憐に微笑み、手近な木を叩き始める。
だが、俺の意識はすでに「いかに最短で鉄装備を揃え、全自動施設を作るか」にシフトしていた。
一ミリの無駄もないカメラワーク。最短距離での素材回収。
コメント欄が少しずつ、妙な方向に加速し始める。
:ん? 今の木を倒すスピード、おかしくない?
:一切迷いがないんだが……。
:初心者の動きじゃない。座標を直進してるぞ。
「……少し集中しすぎたか。いや、デバッグには負荷が必要だ」
その時だった。
画面外から、武装した四人のプレイヤーが近づいてくるのが見えた。
プレイヤー名の上には、このサーバーで悪名高い「PKギルド」のタグがついている。
「……チッ。障害物か」
俺の思考が、反射的に『戦闘モード』へ切り替わる。
彼らは、逃げ惑う新人VTuberの悲鳴と、その「ガワ」が剥がれる瞬間を狙っているのだろう。
だが、俺にとって彼らは、ただの移動するオブジェクトに過ぎない。
『あら……。お客様でしょうか?』
八千流は首を傾げ、可憐に問いかける。
相手の先頭が、不敵なエモートを返しながら、ダイヤの剣を振り上げた。
――その瞬間。
俺の脳内で、全ての「正解」が繋がった。
フレーム単位の回避。地形を利用したノックバック制御。
「……デバッグの予定を変更する。対人戦におけるシステムの応答速度を確認する」
俺は冷たく呟き、鉄の剣をクラフトした。
殺伐としたデスゲームの、幕開けだった。
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