第6話 生活魔法の否定
「生活魔法など、この国においては何の価値もない。
それは魔法という神聖な力の、最も卑俗で、最も無意味な成れの果てだ」
王太子アルドリックの言葉が、冬の氷雨のように冷たく広間に響き渡った。
婚約破棄を正式に宣告された直後、彼は私の足元に置かれた、
先ほどの試験の残り香を湛えるクリスタルグラスを忌々しげに指さした。
「リリア、よく覚えておくがいい。
魔法とは、敵の心臓を穿ち、外敵から国を守るための絶対的な『力』だ。
大気を震わせ、山を動かすほどの威容こそが魔法の本質なのだ」
彼は一歩、私の方へと歩み寄り、グラスの中の澄んだ水を覗き込んで鼻を鳴らす。
「水を生成し、その温度を微調整するだけの児戯に、誰が期待するというのだ。
そんなものは魔法ですらない。ただの不器用な手品に過ぎん」
私のすぐ隣では、新しい婚約者の座に収まったミレイナが、
刺繍の施された扇で口元を隠し、くすくすと上品な、しかし猛毒を含んだ笑いを漏らしている。
「本当に、殿下の仰る通りですわ。
そのような瑣末な雑事は、魔法の素養すらない下民や使用人にやらせればいいのです。
高貴なる血を引く者が、生活の匂いが染み付いた術に現を抜かすなんて。
……考えただけでも、肌に鳥肌が立ってしまいますわ」
広間に集まった貴族たちも、主君の意を汲み取ったかのように一斉に嘲笑の声を上げた。
その罵声は重なり合い、巨大な濁流となって私を飲み込もうとする。
「そうだ! 魔法使いという誇り高き職種の面汚しだ!」
「王宮魔法試験という神聖な場で、お茶の準備でもするつもりだったのか?」
「辺境伯令嬢という立場を忘れて、メイドの真似事とはな!」
私は、彼らの罵詈雑言を逃げることなく、ただ静かに見つめ返した。
悲しみも、怒りも、もはやここには存在しない。
ただ、目の前に並ぶ「権力者」たちの、救いようのない無知に対する憐憫だけがあった。
彼らには、この魔法の真の価値が、一欠片も理解できていないのだ。
全魔力量の、わずか0.01%以下という極小のエネルギーで発動する超効率。
そして、0.01度という、世界の法則さえも御するような精密な温度制御。
これは、彼らが蔑むような単なる「生活の知恵」などではない。
汚濁にまみれた都市の水を一瞬で清め、
凍てつく冬の夜から数万の民の命を救い、
兵站の要である食料の腐敗を、永久に近い時間食い止める。
国家という巨大な装置を、一秒の狂いもなく動かし続けるための、
世界で最も美しく、最も最強の基盤なのだ。
しかし、アルドリックは私の思考を、汚物でも切り捨てるかのように吐き捨てた。
「生活魔法など、我が王国の発展には一片たりとも不要だ。
今日を限りに、その無駄な研究もろとも、我が国から消え去るがいい」
徹底した、完全なる否定。
人を豊かにし、明日への希望を繋ぐための魔法を、彼は「ゴミ」として扱った。
私は、何も言い返さなかった。
盲目であることに酔いしれている人間に、言葉を尽くす時間は、
今の私にとって何よりも無駄な資源でしかなかったから。
「……承知いたしました、アルドリック殿下」
私は優雅に、そしてこれが最後となる決別の礼を捧げた。
背後で止むことのない嘲笑を、初夏の訪れを告げる心地よい風のように受け流す。
彼は言った。生活魔法など無価値だと。
だが、その傲慢な一言こそが、
栄華を極めたこのアルヴァレード王国の終わりを告げる、
後戻りのできない最大の「伏線」になるとも知らずに。
私は、この瞬間に決意した。
この「無価値」と蔑まれた魔法が、
やがて国境を超え、あらゆる常識を塗り替え、
世界を新たな秩序で支配する光景を、必ず見せてやろうと。
私の足取りは、王宮を出る時、驚くほど軽やかだった。




