第20話 運命の提案
隣国アルディナ王国の宰相エリオットは、私が施した冷却魔道具の精密な魔力回路を、
瞬きも忘れたかのように凝視したまま、静かに、しかし重みのある口調で口を開いた。
「リリア様。先ほど、あなたはこれを『生活魔法』と呼びましたね。
しかし……私の目には、決してそのようには映りません」
エリオットは、周囲に集まった商人たちを一度、慈しむような眼差しで見渡し、
彼らが手にする腐敗を免れた瑞々しい食材と、
井戸から溢れ出した水晶のように清浄な水を指し示した。
「魔力消費量0.01%以下。誤差0.01度以内の神業とも言える精密制御。
そして『殺菌魔法』による完璧な衛生管理。
これらはすべて、国家を維持し、繁栄させるための最強の兵器――
いいえ、文明そのものを支える『社会インフラ』そのものです」
エリオットは私の手にある『生活魔法カタログ80』の写しを、
まるで伝説の聖遺物か国宝でも扱うかのような、震える手つきで恭しく受け取った。
そこには、私がこれまでの17年間の研鑽で積み上げてきた術式が、
血の通った論理によって完璧に体系化されている。
・第1番『清浄水生成』:汚水を一瞬で聖水へと変える。
・第2番『水生成魔法』:虚空(空気)から無限の飲料水を生み出す。
・第3番『魔法水道』 :都市全体の末端まで、枯れることのない潤いを届ける。
「リリア様。我がアルディナ王国は、あちらのような軍事国家ではありません。
私たちは『人を傷つけるための力』よりも、『人を豊かにするための知恵』こそが、
国家の真の価値を決めると、心の底から信じているのです」
エリオットの瞳には、冷徹なまでの合理的知性と同時に、
未知の技術に対する少年のような純粋な敬意が宿っていた。
「この国では、技術こそが至高の力です。
あなたの0.01%という究極の効率化魔法があれば、農業の収穫量は5倍に跳ね上がり、
物流は停滞を知らず、民の生活は……その根底から黄金色に塗り替えられるでしょう」
エリオットは私の真っ正面に立ち、迷いのない所作で右手を差し出した。
「提案があります。リリア様。
あなたの持つその80件以上の『魔法特許候補』を、我が国の国家プロジェクトとして実装しませんか?
あなたの魔法で、この国を、そしてこの閉塞した世界を、変えていただきたいのです」
「……国を、変える……のですか?」
「はい。私たちは世界初となる画期的な制度、『魔法特許法』を設立します。
あなたの発明を、誰にも侵されない正当な権利として、国を挙げて保護するのです。
あなたは世界最大の魔法特許所有者となり、その対価として……
歴史に名を刻む莫大な富と、揺るぎない名声を得ることになるでしょう」
私は、自身を「役立たず」と罵り、ゴミのように切り捨てた王都の光景を思い出した。
軍事魔法至上主義のアルヴァレード王国では、予算の八割が破壊の魔力に注ぎ込まれ、
民の命を繋ぐインフラ研究は「卑俗な余興」として、唾棄されるように軽視されてきた。
王太子アルドリックは、「軍事魔法が使えない女は王妃に相応しくない」と、
あの大広間で公開婚約破棄という、これ以上ない侮辱を私に叩きつけた。
しかし、そのあまりにも愚かな独断こそが、
アルヴァレード王国が辿るべき『国家崩壊ロードマップ』の、決定的な第1段階だったのだ。
その頃、アルヴァレード王国の王宮では――。
王太子アルドリックが、ふかふかの椅子に身を預け、不敵な嘲笑を浮かべていた。
「ふん、生活魔法しか使えぬ無能な女が、隣国へ亡命しただと?
せいぜい、あちらの泥水でも浄化して遊んでいるがいい。
そんな『お冷運び』、我が国には一秒たりとも必要ないからな!」
周囲の貴族たちも、アルドリックの機嫌を取るように、醜い追従の声を上げる。
「その通りです殿下! 軍事魔法の天才であるミレイナ様こそが、王妃にふさわしい。
あんな『役立たず』、今ごろ隣国の路地裏で野垂れ死んでいることでしょう」
彼らは、まだ微塵も気づいていない。
リリアという「国家最大の資産(国益)」を自らの手で捨て去ったことが、
やがて訪れる絶望的な経済停滞、底なしの財政危機、
そして……愛する国家の無惨な崩壊を招く、唯一の、そして最大の原因であることを。
アルディナ王国へと戻り、エリオットと共に馬車を走らせた私は、
王都近郊に広がる、広大な更地の一角に到着した。
そこには、私の想像を絶する規模の巨大な建設予定地が広がっていた。
中心部には、天を衝く高さ200メートルに及ぶという「魔法特許塔」の基礎が築かれ、
予定地の入り口には、燦然と輝く巨大な看板が掲げられていた。
『世界初・魔法発明都市ルミエール 建設予定地』
「リリア様。ここは、世界中の英知が集まり、あらゆる魔道具が工場で量産され、
特許という新しい血液によって富が循環する、世界の中心となる都市です」
エリオットは、未来への希望に満ちた、眩いばかりの笑顔で私を見た。
「魔法水道(第2位特許)、魔法街灯(第13位特許)、魔法暖房(第12位特許)……。
あなたの特許技術が、この都市のすべての細胞を構成し、
何万、何十万という民を、飢えと寒さと病から救うのです」
私は、看板に誇らしく刻まれた「ルミエール」という名を見つめた。
光。知識。そして、新しい文明。
かつて「お冷を運ぶだけの魔法」と蔑まれた私の力が、今、
一つの国家を、そしてこの世界そのものを、産業革命という名の光へ導こうとしている。
「……謹んでお受けいたします、エリオット様。
私の生活魔法で、真に価値ある力とは何かを、世界に知らしめましょう」
私は静かに、しかし鋼のような断固とした決意を口にした。
王太子アルドリックが捨て去った一人の少女は、今、自らの強固な意志によって、
世界最大の魔法特許都市の「創設者」としての覇道を歩み始めたのだ。
馬車が「新しい世界」の重厚な門をくぐる。
そこには、魔法特許制度によって守られた発明家たちが、
自身の知恵を誇り、形にするための、光り輝く未来が待っていた。
旧きアルヴァレード王国の終わりの始まりと、
新しいアルディナ王国の、そしてリリア自身の壮絶な「逆転劇」が。
ここから、本格的にその幕を上げるのであった。




