第2話 役立たずの魔法
「――不合格。話にならんな、これは」
試験官が突き放すように放ったその一言は、
静まり返った試験会場の空気を物理的な質量を持って押し潰した。
羊皮紙に無造作に書き込まれた「不可」の文字。
羽ペンが立てる不快な擦過音さえも、今の私には鼓膜を刺す凶器のように感じられた。
私の目の前には、今しがた生成したばかりのグラスが置かれている。
そこには、この世界のどの名水よりも澄み渡り、
一切の不純物を排除して完璧に温度管理された清浄な水が満ちていた。
だが、王宮魔導師を自認する試験官たちにとって、
それは魔法試験の回答としては、あまりに「無価値」で、
あまりに「矮小」な演じ出しとして切り捨てられた。
「魔力消費量、わずか0.01%以下……。
水温の誤差にいたっては、0.01度以内、ですか」
私は、自分の声が震えないよう細心の注意を払いながら、
自らが積み上げてきた技術の「精度」を報告した。
それは魔法の構築理論を極限まで突き詰め、
魔力の無駄を一切排除した結果到達した、一つの究極の形。
魔法効率という観点から見れば、歴史に名を刻むべき偉業のはずだった。
しかし、私が心血を注いで磨き上げた魔法の成果は、
この閉鎖的な評価基準の中では、一欠片の価値も見出されない。
「リリア・フォン・アルヴェルト。
いいか、貴様のその魔法は、戦場では何の役にも立たんのだ」
試験官は、まるで汚れた雑巾を眺めるような視線を私に投げた。
その言葉を皮切りに、周囲に控えていた貴族たちから、
隠そうともしない冷ややかな失笑が漏れ伝わってくる。
ここは「力」こそが唯一の正義とされる、アルヴァレード王国。
隣国との小競り合いが絶えないこの国において、
魔法とは「敵を効率的に殺戮するための道具」でしかなかった。
数千の敵を焼き尽くす広域殲滅の炎。
堅牢な城壁を一撃で打ち砕く、空からの雷撃。
それこそが、この国における「本物の魔法」の定義であり、
王族やその配偶者に求められる唯一絶対の資質だったのだ。
「試験官殿、お待ちください。この魔法の真価は、そこにはありません……」
私は、喉の奥から絞り出すように声を上げた。
私の生活魔法は、単に優雅なティータイムのために
心地よい温度の「お冷」を用意するための手段ではない。
「この魔法を応用し、魔導回路を組み替えることができれば、
遠征中の兵士たちの衛生環境を劇的に、かつ持続的に改善できます。
清浄な水の確保が容易になれば、疫病のリスクは最小限に抑えられ、
食料の保存期間も、既存の魔法の数倍以上に延ばすことが可能なのです!」
それは、補給線という軍隊の「生命線」を支えるための、
最も効率的で、最も合理的な提案だった。
だが、試験官は私の言葉を最後まで聞くことすら拒絶し、鼻で笑った。
「ふん、馬鹿馬鹿しい。
兵士の喉が渇けば、水系統の魔導師に雨を降らせれば済む話だ。
食料が腐り、足りなくなれば、敵国から奪い取ればいい。
略奪と破壊こそが、我が軍事国家の歩むべき覇道なのだよ」
あまりに短絡的で、あまりに非効率。
長期的な視点を欠き、現場の疲弊を顧みない傲慢な考え方。
生活魔法を、ただの「軟弱な女子供が嗜む家事の補助」だと
根底から侮り続けている彼らにとって、
私の必死の訴えは、負け犬の遠吠えにすら聞こえていなかった。
私は、せめて誰か一人だけでも理解者がいないかと、
縋るような思いで婚約者であるアルドリック王太子を見つめた。
しかし、そこに私を救い出す光はなかった。
彼の氷のように冷たい瞳に宿っていたのは、
かつての親愛の情など微塵も感じさせない、深い失望と軽蔑だけだった。
「リリア、いい加減に見苦しい真似はやめろ。
王国の母となるべき者が、そのような卑俗で矮小な術に固執するなど……。
我が王室の面汚しも甚だしいぞ」
アルドリックは、鋭いナイフのような視線で私を射抜いた。
その言葉には、婚約者としての情けなど一滴も含まれていなかった。
「断言しよう。王国の輝かしい未来において、
君が誇るその『役立たずの魔法』が必要になることは、
万に一つ、いや、億に一つもあり得ない」
冷酷なまでに断定された、最終宣告。
それが、私の愛した祖国が出した、あまりに無慈悲な結論だった。
私は奥歯を噛み締め、指先が白くなるほど強く拳を握りしめた。
そして、これ以上醜態を晒さぬよう、深く、深く頭を下げた。
溢れ出しそうになる悔し涙を、まぶたの裏で必死にこらえる。
彼らはまだ、何も分かっていない。
今、目の前で「役立たず」と切り捨てたこの魔法こそが、
国家という巨大な構造物を下から支える、最強の基盤になることを。
そして、この日の愚かな、あまりに愚かな判断こそが、
盤石に見えるアルヴァレード王国の崩壊を招く、
決定的な引き金になるということを――。




