第15話 生活魔法の実力
アルヴェルト辺境伯領の北方は、深刻な干ばつに見舞われていた。
空は残酷なまでに晴れ渡り、領内の井戸は底を突き、農地は無惨にひび割れている。
作物の枯死が始まり、民の絶望が領内に満ちている緊急事態であった。
本来、王国においてこうした天災には、
軍事魔導師による大規模な「雨生成魔法」が投入されるのが通例である。
しかし、破壊を目的とした術式を転用した雨生成魔法は、
膨大な魔力を消費する割に、一時的な水分供給に留まる非効率なものでしかなかった。
「……軍事魔法で無理やり雨を降らせるには、
熟練の魔導師一人の魔力をほぼ使い果たしてしまう。
今の財政と魔力備蓄では、領内すべての農地を救うことは不可能なのだ」
父アルヴェルト辺境伯は、疲弊した領民を前に、苦渋の決断を迫られていた。
そんな父に対し、リリアは静かに、しかし断固とした口調で提案した。
自身が心血を注いで磨き上げてきた、
『生活魔法カタログ80』の技術投入を。
リリアが提示したのは、第1カテゴリー「水・衛生革命」に属する、
第1番『清浄水生成』と、第2番『水生成魔法』である。
リリアは領民が集まる干上がった井戸の前へ立ち、自身の魔力を練り始めた。
彼女の基本スペックは、もはや人の領域を超えている。
・魔力消費量:0.01%以下
・精密制御 :誤差0.01度以内
リリアはまず、生活魔法カタログ第2番『水生成魔法』を発動した。
周囲の空気中に含まれるわずかな水分子を抽出し、飲料水を直接生成する。
軍事用の雨魔法が、空へ向けて闇雲に魔力を散布するのに対し、
リリアの魔法は分子レベルで水分を収束させるため、極めて効率が高い。
井戸の底から、清らかな水が音を立てて溢れ出した。
間髪入れず、リリアはカタログ第1番『清浄水生成』を重ねて発動する。
これにより、底に溜まっていた泥水や不純物を含む水までもが瞬時に浄化され、
透き通った最高品質の飲料水へと姿を変えていく。
さらに彼女は、カタログ第40番『農地水管理』と、
第32番『雨生成魔法(生活魔法版)』を組み合わせ、広大な農地への供給を開始した。
魔力消費量は、軍事用魔法の百分の一以下という驚異的な数値を維持したままである。
ひび割れていた農地に、透き通った水が吸い込まれていく光景を、
農民たちは言葉を失って見つめていた。
「……嘘だろ。軍事魔導師様が何人もかりだされてようやく降る雨より、
お嬢様の魔法のほうが、ずっと安定して水が届いている……!」
農民たちの驚きは、単なる水の量だけではなかった。
リリアの魔法によって供給される水は、第9番『殺菌魔法』が自動付与されており、
細菌が完全に消滅している。
これにより、干ばつ時に発生しやすい疫病の予防という、
軍事魔法には不可能な副次的な効果も同時に達成されていたのである。
農民たちは次々とリリアの前に跪き、涙を流して感謝の言葉を口にした。
「リリア様、ありがとうございます! これで今年の収穫を諦めなくて済みます!」
リリアは彼らに対し、第4カテゴリー『農業革命』のさらなる適用を約束した。
第31番『土壌改良魔法』による作物成長の促進。
第33番『日照調整』による光量管理。
これらを組み合わせれば、収穫量を5倍以上に引き上げることすら可能となるのだ。
その光景を背後から見ていた父アルヴェルトは、
愛娘の振るう、その圧倒的な「実力」に改めて驚愕していた。
「破壊の力である軍事魔法では、井戸を真に潤すことも、民の腹を満たすこともできん。
リリア、お前の魔法はやはり『役立たず』などではない。
これこそが国家の基盤となる、最強の力だ」
父の称賛を受け、リリアは自身の魔法が持つ「産業」としての価値を再確認した。
彼女の頭脳には、カタログ80の全項目が、
社会インフラとして完璧に実装される図面が描かれていた。
■第2カテゴリー:料理革命
・第14番『魔法冷蔵』、第15番『魔法冷凍』
(作物を腐らせることなく、鮮度を維持したままの長期保存を可能にする)
■第7カテゴリー:物流革命
・第62番『保存輸送魔法』
(遠方の都市へ、採れたての新鮮な食料を供給する物流網を構築する)
王太子アルドリックが「卑俗なもの」と切り捨てた技術。
それは、飢餓を撲滅し、経済を爆発的に成長させるための『革命の鍵』であった。
リリアはこの干ばつの解決を通じて、自身の魔法が国家の運命を左右することを確信した。
しかし、リリアの心には一つの冷徹な事実が刻まれていた。
この圧倒的な技術を、腐敗したアルヴァレード王国のために使うつもりはない。
王国を去る際、貴族たちから浴びせられた言葉。
『泥水でも浄化して遊んでいるがいい』
今、リリアが実際に行っているのは「泥水の浄化」から始まる、
国家インフラの根本的な再構築である。
彼らが無価値だと断じた魔法が、自分たちの命を繋ぐ唯一の手段になる日が来る。
その未来を、リリアは冷酷なまでに予見していた。
「お父様、私はもう決めています。この力の価値を、世界に認めさせてみせます」
リリアの瞳には、一切の迷いはなかった。
隣国アルディナ王国の「魔法特許制度」と、技術を尊重する文化。
そこへ向かえば、このカタログ80のすべての魔法が、
世界標準の技術として、眩いばかりに花開くことになる。
井戸から溢れ続ける清らかな水は、
沈みゆく旧王国と、これから始まる新時代の対比を象徴していた。
リリアの魔法は、もはや一個人の特技ではない。
それは、世界を産業革命へと導く、抗いようのない「実力」であった。
リリアは静かに杖を下ろし、遠く東の空を見つめた。
そこには、彼女を待つ「新しい世界」と、
まだ見ぬ真の理解者が、必ず待っているはずだった。




