第11話 失意の帰還
「おい見ろよ! 生活魔法しか使えない無能な令嬢が、すごすごと尻尾を巻いて逃げ帰るぞ!」
王都の巨大な石造りの門をくぐり抜ける際、背中に浴びせられたのは容赦のない嘲笑の嵐だった。
見送りに来た貴族たちは、私という人間がもう二度とこの場所へ戻ってこないことを確信し、
隠そうともしない醜悪な愉悦を浮かべている。
彼らは私を「お冷運びの役立たず」と呼び、嘲るように唇を歪めていた。
つい数日前まで、王太子アルドリックの婚約者として、
この国の次期国母となるべき存在だと持て囃されていたはずの私の居場所は、
この歪んだ軍事至上主義の国には、もうどこにも残されていなかったのだ。
「軍事魔法の一式も使えない女が、よくもまあ王妃の座を狙っていたものだ。
家柄だけで実力がないとは、笑い話にもならんな!」
「せいぜい辺境の泥の中で、泥水でも浄化して遊んでいるがいいさ。
我々の飲み水が足りなくなったら、一滴恵んでやるからな!」
野卑な罵声を物理的な遮蔽物で断ち切るように、私は馬車の窓を静かに、
しかし毅然とした動作で閉めた。
窓の外で、口々に罵詈雑言を並べ立てていた貴族たちの姿が遠ざかっていく。
馬車が向かう先は、父の治める北方の果て、アルヴェルト辺境伯領だ。
ガタゴトと重い音を立てて揺れる馬車の中、私はふと、
座席の脇に設置されている温熱の魔導具に目を向けた。
王都製の上質な、最新の術式が刻まれているはずのその装置は、
膨大な魔力を無駄に消費しながら、ひどく効率の悪い、
むせ返るような熱を放出しては時折不安定に明滅している。
この国の魔法技術の限界が、この小さな機械一つに凝縮されているようだった。
「――あまりにも、不合理だわ」
私は溜息を一つ吐くと、指先をそっと伸ばし、その魔導回路にわずかな魔力を流し込んだ。
私が積み上げてきた、究極の効率を追求した生活魔法の術式を重ね合わせる。
「温度調整」
意識するのは、空間全体の分子運動を完全に制御下に置くこと。
魔力消費量は、全魔力量のわずか0.01%以下。
そして、誤差0.01度以内の精密制御を全方位に展開する。
一瞬にして、馬車内の重苦しかった空気は、
まるで春の陽だまりの中にいるような、柔らかな心地よさに包み込まれた。
熱源から発せられていた不快な振動は消え、
回路は鏡のような静謐さをもってその熱を一定に保ち始める。
「……お嬢様、急に魔導具の調子が良くなったようですが。
何か魔法をお使いに? これほど安定した温もりは、
王宮の最奥にある特等室の暖房でも経験したことがありません」
御者台に座っていた騎士が、驚きを隠せない様子で小窓から中を覗き込んできた。
彼は王都で私に向けられていた蔑みの視線とは異なる、
純粋な驚愕と、どこか畏敬の混じった眼差しを向けている。
私はただ、静かに微笑みを返すにとどめた。
軍事至上主義に毒され、破壊の規模こそが魔法の価値だと信じ込んでいる彼らには、
この「効率」という概念がもたらす真の恐ろしさが理解できない。
敵を穿ち、街を焼き尽くす一過性の力だけを尊び、
日々の営みを維持し、人の暮らしを支える技術を「卑俗なもの」と切り捨てる王国。
だが、このわずか0.01%の魔力がもたらす持続的な恩恵が、
やがて国家の物流を根底から変え、農業を活性化させ、
そして歴史という名の不可逆な流れを塗り替えることになるのだ。
「今は、好きなだけ笑わせておけばいいわ」
私は膝の上で、白手袋に包まれた拳を強く、強く握りしめた。
爪が手のひらに食い込み、微かな痛みとともに決意が滲み出す。
この失意の旅路こそが、アルヴァレード王国が犯した最大の、
そして致命的な失敗を証明するための、壮大な逆転劇の幕開けなのだから。
馬車は夕闇が支配し始めた街道を、王都の煌びやかな景色を背にして、
凍てつく風の吹く北の果てへと突き進んでいった。




