第10話 新しい世界
「……さようなら、アルヴァレード王国。
そして、私を必要としなかったすべての人たち」
国境を分かつ巨大な石造りの門を抜け、私は一度だけ馬車の小窓から振り返った。
背後に広がるのは、私が生まれてから十七年間、その土を踏みしめて過ごしてきた故郷。
美しくも厳しい、白銀の山嶺に囲まれたアルヴェルト辺境伯領の景色。
そして――私の魔法を「役立たず」と嘲笑い、ゴミのように切り捨てた場所だ。
私の手元には、父から手渡された一通の古い封筒――隣国に知己を持つという父からの紹介状と、
着替えや魔導書を詰め込んだわずかな荷物だけがある。
御者が馬に合図を送ると、車輪が軋んだ音を立て、
ゆっくりと、しかし確かな足取りで隣国アルディナ王国へと進み始めた。
国境の緩衝地帯を抜けた瞬間、肌をなでる空気の「重さ」が変わったような気がした。
それは物理的な気圧の変化ではなく、その土地が持つ精神性の違いだったのかもしれない。
「……あ、あれは……」
最初の街に入った瞬間、私の目に飛び込んできたのは、驚くべき光景だった。
軍事拠点や要塞ばかりが立ち並び、街全体が刺々しい緊張感に包まれていた故郷とは、
その成り立ちからして、根本的に異なっていた。
そこには、目に眩しいほどの色彩と、活気ある商業の熱気が満ち溢れていたのだ。
「あれは……すべて魔道具なのですか?」
思わず、独り言が漏れる。
アルヴァレード王国において、魔力はすべて「破壊」と「殺戮」のために捧げられていた。
高純度の魔石は軍が独占し、貴重な術者は前線へ送られるのが常識。
だが、ここでは魔法がまったく別の姿をして、街の一部に溶け込んでいた。
重い荷物の運搬を、滑らかな動きで補助する昇降装置。
夕暮れ時、道行く人々を優しく照らすために等間隔で並ぶ魔導灯。
噴水広場では、魔力を動力源とした複雑な仕掛けが、子供たちを喜ばせている。
それらはすべて、軍事用でも示威用でもなく、
ただ純粋に「人々の生活を便利に、豊かにする」ために稼働していた。
その光景を見ているだけで、私の胸が期待で大きく高鳴るのを感じる。
ここなら――この国なら、きっと。
魔力消費量0.01%以下という、究極まで無駄を削ぎ落とした私の精密な魔法を、
「貧乏くさい」と笑う者は一人もいないはずだ。
誤差0.01度以内の執拗なまでの温度調整も。
一滴の汚れも残さず、あらゆる病原を断つ清浄な水を生み出す術も。
この「新しい世界」においては、何物にも代えがたい福音となり、
未知の可能性を秘めた宝になる。
私は、馬車の窓から流れる見慣れぬ景色を、目に焼き付けるようにじっと見つめた。
アルドリック王太子が、最後に私に投げつけた言葉が、今も耳の奥にこびりついている。
『生活魔法など、我が王国の発展には一片たりとも不要だ』
『何の価値もない、路傍の石ころと同じだ』
その冷酷な宣告を、私は一生忘れない。
いや、忘れることなどできはしないだろう。
「……生活魔法は、本当に無価値なのかしら」
私は馬車の中で、自分自身に問いかけるように小さく呟いた。
その答えは、もうすぐ出る。
私のこの手が、この指先から紡ぎ出されるささやかな魔法が、
やがてこの国に、世界を揺るがす「産業革命」という名の嵐をもたらすこと。
そして、かつて私を無能と呼び、国を追放したアルヴァレード王国を、
剣も魔法も使わずに、経済という圧倒的な力で屈服させる日が来ることを。
この時の私は、まだ誇大妄想の類だと自分を律していたが。
運命の歯車は、すでに私を捨てた王国を破滅へと導くための回転を始めていた。




