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勇者の陰に英雄あり ~手柄をすべて譲った俺は、悪神の加護を手に理不尽な世界を叩き潰す~  作者: 日向ぼっこ
第三章:理想郷の胎動と魔王の戴冠

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031.氷の揺籃

 大陸中央、クロス共和国。

摩天楼の影に深く沈んだ地下廃棄区画は、かつて都市の排熱が籠もり、鉄の錆びた臭いと汚泥が支配する「見捨てられた吹き溜まり」だった。

しかし今、その一角は、ガルシアの放った圧倒的な魔力によって塗り替えられ、淡い蒼光を放つ静謐せいひつな氷の聖域へと変貌を遂げている。


 氷で作られた分厚いドーム状の区画内。

そこには、地上から「不要なゴミ」として掃き出された数百人の難民たちが身を寄せ合っていた。

他国で住処を追われた者、人身売買から逃げ延びた亜人の子供、そして計算と効率の街クロスにおいて「価値なし」と判定された老人たち。


「……今日から、ここがお前たちの家だ。

 これ以上、外の連中に怯える必要はねえ」


 俺が氷の壁を補強しながら告げると、怯えた目をした群衆が静かに顔を上げる。

彼らにとって、赤髪の魔人と恐れられる俺の姿は、恐怖の対象であると同時に、初めて自分たちのために牙を剥いてくれた「希望」そのものだった。


 俺は彼らに、氷の魔法を応用して作り出した堅牢な住居や、生活に必要な熱源となる魔導具の使い方を一つずつ教えて回った。

これまでの旅では、目の前の悪を凍らせ、理不尽を砕けばそれで済んでいた。

だが、こうして大勢の「生活」を維持し、明日を保証し続けることは、想像を絶する労力と精神的な重圧を伴うものだった。

俺が魔法を解けば、あるいは俺がここで倒れれば、この数百人の命は一瞬にして絶たれる。

心臓を締め付けるようなこの重苦しい感覚が、「守るべき大勢」を背負うということなのだと、俺は生まれて初めて骨身に染みて理解しつつあった。


「ガルシアさん、少しだけ休んでください。

 皆さんの傷の手当ては、私が引き受けますから」


 傍らで、ノエルが柔らかな声をかけた。

彼女は自分も深い心の傷を負っている身でありながら、獣人に対する偏見を持つ人間さえもいるこの場所で、嫌な顔一つせず働いている。

彼女が包帯を巻き、優しく語りかけるたび、荒んでいた難民たちの瞳にわずかながらの色彩が戻っていく。

ノエルの存在だけが、凍てつく魔力に飲み込まれそうになる俺の心を、かろうじて「人間」の側に繋ぎ止めていた。


『――くふふ。殊勝なことよな、ガルシア。

 だがお前は気づいておるか?

 お前が連中を救えば救うほど、地上との歪みは修復不能なほどに肥大していく。

 この穏やかな「揺籃」はやがて、世界を飲み込む氷の檻へと変わるだろうよ。

 その時、お前が誰を殺すことになるのか、今から楽しみでならんわい』


 脳内で響くロキの不吉な嘲笑を、俺は力任せに意識の底へと押し込めた。

今は、この静寂を守ることだけが、俺のすべてだ。


 ◇◇◇


 一方、シトラス王国の王宮ガイア。

クロス共和国から「入国拒否」という前代未聞の屈辱を味わわされ、帰国を余儀なくされた勇者カイルは、焦燥の中で玉座の前に跪いていた。


「陛下、納得がいきません!

 なぜ我が国の、そして神に選ばれし勇者の入国が拒まれるのですか!

 あの街のどこかに、ガルシアがいるはずなのです。

 彼を探し出す許可を……!」


 カイルの切実な訴えを、ルイン・シトラス国王は冷ややかな、しかしどこか傲慢な笑みを浮かべて遮った。


「カイルよ、自身の立場を弁えよ。

 貴殿が拒絶されたのは、他でもない。

 貴殿という『勇者』の名と威光が、まだ大陸全土を平伏させるに足りないからだ。

 経済の民は、利益をもたらさぬ名声など歯牙にもかけぬ。

 クロス共和国が我が国の勇者を門前払いしたのは、貴殿を単なる『一国の騎士』程度にしか見ていない証拠なのだ」


「それは……」


「恥を知れ、カイル。

 神託の勇者が舐められることは、我が国の国威を損なうことと同義。

 もはや一兵卒のように個人的な友情を追いかける時間は終わった。

 貴殿にはこれから、大陸各地で猛威を振るう魔物どもの討伐を命ずる。

 北の帝国の深部から、南の秘境まで……

 その圧倒的な力を見せつけ、大陸中のすべての民に『勇者カイル』の名を骨の髄まで刻み込むのだ」


 王の言葉は、激励という名の呪縛だった。

カイルを一個の人間としてではなく、大陸を支配するための絶対的な「象徴」に仕立て上げようとする意志が透けて見えた。


「……勇者の威光を轟かせれば、共和国も私を認め、入国を許すということですか」


「当然だ。

 誰もが跪く存在となれば、扉は自ずと開く。

 行け、勇者カイル。

 私情を捨て、世界の救世主という器を完成させるのだ」


 カイルは唇を血が滲むほど噛み締め、「……御意」とだけ答えて深く頭を下げた。

親友に会いたいという純粋な願いさえも、最強の「象徴」となるためのガソリンとして利用されていく。

王城の冷たい廊下を一人歩くカイル。

彼の左手の甲にある「太陽のあざ」は、その主の絶望的な決意に呼応するように、黄金の輝きを放ちながらも、その中心にはどす黒い影が混じり始めていた。


 地下に築かれつつある、偽りの安寧に満ちた「理想郷」。

地上で、強すぎる光(威光)を強制され、心を削りながら戦場へ赴く「勇者」。

二人の歩む道は、誰にも、そして彼ら自身にさえも止められぬ速度で、決定的な破滅へと向かい始めていた。



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