缶コーラの中の線香花火
帰りがけに、何とはなしに目についた自販機で缶コーラを買った。夜道を照らしていたから目についたのか、ちょうど喉が渇いていたのか。
そんなわけで、冷たい缶コーラを手にすることになった。読み物をしながらそれを半分ほど飲んだところで、何やら缶の中から音がすることに気づいた。
炭酸ガスの小さな気泡が弾けてアルミ缶の内側を叩く音だ。それはまるで、雨粒が屋根を叩くように、あるいは、線香花火が例の微細で複雑な稲妻を四方八方に吐き出すときのように、パチパチ、パチパチと静かな音を響かせる。
落ち着く音だ。
しばしコーラを飲むのを止め、目を瞑る。
その音は、アルミ缶に監禁されている。耳を澄ませば金属的だと分かる音が、水面とアルミ缶との間で反響している。
ふと、缶の中で線香花火が、あのジリジリと真っ赤に怒る線香花火が火花を散らしながら煌めいているような気がした。
昏い缶の内側で、ゆらゆら揺れながら小さな花火が咲いている。その様子を幻視した。
缶コーラの中の線香花火は、その中に太陽のように浮かんでいる。缶を傾けてもその位置を保っている。だから、本当の線香花火のように、水面に墜落してジュッという音と共に燃え尽きたりすることもない。
むしろ冷たい液体の中で超然と激しく燃え続けている。缶の中を仄かに照らしながら、自分を閉じ込めるアルミの壁を荒々しく連打している。
惨めにも見えるし美しくも見える。儚いといえば儚く、無駄なことと思えば無駄な事だ。落ち着く音と思っていたそれが、次第に苛立たしく感ぜられてきた。
いっそ、この鈍い色の液体をシンクにぶち撒けて終わりにしてしまえ。そういう衝動が起こった。その球体は遂に日の目を見ると同時に墜落死するのだ。
自分の力で達成することもなく与えられて死ぬのだ。
そして私は、その血溜まりを見てきっと笑うだろう。満足からでも快感からでもない。つまらぬ考えから食べ物を粗末にするなという規範を踏み越え、にも関わらず何もなかったことに笑うしかないからだ。
何かが溢れるというより無理矢理に、消極的にある種の義務として笑うのだ。
しかし、結局、その行為は棄却される。規範には従わねばならない。
考えるのを止めて、コーラをもう一口飲んだ。
随分と甘い。
美しいものを壊したいと思うようになったのはいつからだろう。それとも最初からか。
けれども、その行為は不可能だ。
美しいものは害されない、害することができない。そういう拒否力をもつから、絶対的に切断され手の触れ得ない場所にあるから美しいのだ。
私がコーラをぶち撒けても、考えてもみろ、線香花火の死体がシンクの上に転がったりはしない。当然だ。そんなもの、最初から無いのだから。コーラをひっくり返して自嘲する私を、缶の中から自由になった線香花火が頭の上からクスクス笑って見下すだけだ。
もう何も考えない事にしよう。
コーラの甘味と清涼さが、最後、そういう屈曲した連想を綺麗に洗い流していった。
※コーラは作者が美味しくいただきました。




