第25話:雪はいずれ溶ける
70年前、ネオトピアシティの北端から切り離されるように生まれた村――ツンドラヴィレッジ。一年のほとんどを吹雪が支配するその村に、雪のように透き通った肌のウルフの少女がいた。母親は少女の弟を産んだ後に亡くなった。少女は生まれつき氷雪を操る権能を持っていた。
「不気味なんだよ!消えろ!」
「やだねぇ……。大雪が止まなくなったのもあの子のせいに決まってるよ……。気味が悪い。」
「雪女の末裔じゃ!出ていけ!」
毎日、石が彼女の元に降り注ぐ。それが少女の日課。彼女はもはや涙を流すことすらできなかった。でもそんな彼女にとって唯一の安らぎがあった。それは人間である弟の存在。彼女は弟に「テラ」という名前をつけ自分もティエラと名乗ることにした。
「おねぇちゃん……。寒いよ……」
「大丈夫よ、テラ……。おねぇちゃんが守ってあげる。寒いのなんてすぐ無くなるわ……」
ティエラは雪の降る中、テラを抱きしめた。
「ほんとだ……あったかい……。ねぇ、おねぇちゃん。ずっと一緒にいてくれるよね?」
その言葉を聞いた瞬間、ティエラは罪悪感に苛まれた。
自分がウルフとして産まれたばかりに人間であるテラを巻き込んでしまったこと。そして、人を食べずに生きてきた自分が、あとどれほど理性を保ち、どれほどテラの側にいてやれるのか。
(あぁ、テラ……。ごめんね。おねぇちゃんのせいで……私がいなければあなたは今頃温かい布団で眠れていたのに……)
ティエラはテラを優しく、冷たい風がテラに当たらないように抱きしめた。ティエラとテラ。二人は種族は違えど血のつながった姉弟。空腹と寒さが襲ってもティエラは決して弟を食べようなどとは思わなかった。そしてテラは、たとえ姉がウルフであっても、少しも恐れず姉を慕っていた。
そこには確かな愛があった。しかし、この日々も終わりを遂げる。
「……いや!……テラ!お願い……。目を覚まして!」
空腹と寒さ。ウルフであるティエラよりも人間であるテラの方が限界を迎えていた。
「誰か……お願い……!私はどうなってもいいから……!テラだけは助けて……この子は人間よ……!」
ティエラがどれだけ叫ぼうとも村人は誰も救いの手を差し伸べない。絶望したティエラは冷たくなったテラを抱きしめながら村の外れを歩いていた。
「……テラ。おねぇちゃん、もう、そっちに行こうかな……」
ティエラが自分の胸に手を当て、核を凍らせようとした時、
「おやまぁ……。可哀想に。誰も助けてはくれなかったのね……」
ティエラが振り返ると、そこには漆黒のドレスを身に纏った美しいながらも恐ろしい雰囲気を纏った女性――イレーネが慈愛の表情を浮かべながら立っていた。
「……誰ですか。」
ティエラが女性に威嚇するように吹雪を降らせる。
イレーネはその権能を見て微笑んだ。
「美しいわね……その権能……。」
ティエラは驚いた。自分の権能を美しいと言ってくれる存在はテラ以外にいなかったから。ティエラはこの女性ならテラを救ってくれると感じたのだろう。ティエラは振り絞るような声でイレーネに言った。
「……お願い……します……この子だけでも……助けて……」
イレーネは哀れみを帯びた表情でティエラに言う。
「えぇ……この子だけとは言わずあなたも助けてあげる……。ただこの子は人間の姿ではいられなくなるかもしれないわ……」
ティエラはテラを見つめる。
「この子と一緒にいられるなら……」
そう言ってイレーネにテラを差し出す。イレーネは微笑んでテラの首筋に青色の液体が入った注射器をゆっくりと静かに押し込む。テラのまつ毛がわずかに震えた。青い液体が体内へ流れ込む。ティエラはそれを止めなかった。
「……許さない。こうなったらみんなここで眠らせてあげる……!」
ティエラは両手を広げ、次の攻撃を仕掛けようとする。地面が地響きをたてる。
「……まずい!」
全員が次の一手を考えようとする中、激しい光の中から、一人の小さな少年の幻影が現れた。
ウルフの力に飲み込まれる前の、純粋な人間の瞳をした「弟・テラ」だ。
テラは、醜く変わり果てた自分の巨体(雪だるま)から抜け出し、泣きじゃくる姉に向かって、優しく手を差し伸べる。
「おねぇちゃん……もう、いいよ。……もう、お腹は空いてない。ほんとだよ。……おねぇちゃんがいてくれたから……」
ティエラの瞳から、灰色の冷たさが消え、温かな涙が溢れ出す。
「行こう、おねぇちゃん。今度は二人で、本当の綺麗な景色を見に行こう。……」
「……テラ……」
ティエラは、震える手でテラの小さな手を握り返した。
彼女の体もまた、テラと共に光の中へと溶け始めていく。
崩壊の霧が立ち込める中、ティエラは最後に一度だけ、エルの方を振り返った。
その表情には、もはや飢えはなかった。
ただ、同じ宿命を背負ったエルへ送る、穏やかで美しい、本物の姉のような微笑みだった。
「……ありがとう、エル。その『温かさ』を、離しちゃダメよ」
その言葉を最後に、ティエラとテラは一条の光となって、夜明け前の空へと溶けていった。




