馬の沓
――武蔵は、ついに巌流の屋敷に噂が届くほど、同じ土地に姿を現した。
武蔵は数日前に赤間ヶ関に到着していたようだったが、誰も彼が武蔵と気づく者はいなかった。また、武蔵自身もどこかに隠れて静かに身を休めていたらしい。
その日、十一日には門司ヶ関から小倉の城下へと入った武蔵は、藩老である長岡佐渡の屋敷を訪ね、到着の挨拶とともに試合の場所や時刻について了承の意を伝え、一礼して帰るつもりであった。
取次に出た家士は、彼の言葉を受け止めつつ、これが噂の武蔵かとじっと観察し、そして言った。
「丁寧なお言葉、ありがとうございます。主人はまだ城から戻っておりませんが、すぐにお戻りになるかと存じます。どうぞお上がりになり、しばしご休息を」
「お気遣い、痛み入りますが、どうかお伝えだけいただければ、それで十分です」
しかし、家士は帰してしまうには惜しいと感じたのか、丁寧に引き止めた。
「しばらくお待ちください。佐渡様には不在を伝えましたが、一応奥でお待ちいただければ」
そう言うと、家士は奥へ急いで知らせに行った。
すると、廊下の方から突然、足音が響き――
「先生!」
式台から勢いよく飛び降りて武蔵の胸に飛び込んできたのは、少年の伊織だった。
「おお、伊織か」
「先生……」
「元気にしているか」
「はい」
「大きくなったな」
「先生」
「なんだ?」
「先生は、僕がここにいることを知っていたのですか?」
「長岡様からの手紙で知ったのだ。それに加え、廻船問屋の小林太郎左衛門の家でも聞いていた」
「それなら、驚かなかったんですね」
「うむ。お前が長岡様にお世話になっているなら、これ以上の安心はない」
「……」
「何を悲しんでいる?」
そう言って、武蔵は彼の頭を撫でた。
「世話になった恩を忘れてはならないぞ」
「はい」
「武道だけでなく、学問も学ぶのだ。普段は控えめにして、いざという時には人が避ける役目も率先して引き受けるようにな」
「……はい」
「お前には母も父もいない。肉親がいない分、世の中を冷たく感じ、ひねくれやすいものだ。だが、そんな心持ちになってはいけない。温かい心で人の中に生きろ。人の温かさは、自分の心が温かでないと感じられないものだ」
「……うん、うん」
「お前は利発な分、ついかっとなると、荒々しい一面が顔を出す。そこは慎まなければならない。まだ若木のお前には長い人生が待っているが、その命を大切にするんだ。――命はただ守るためでなく、国のため、武士道のために捨てるべき時に備えるものだ。だから大事に、清らかに、潔く持っていなければならない」
武蔵は伊織の顔を両手で包みながら、まるで最後の別れのように切実に語った。その真剣な言葉に、伊織の胸はいっぱいになり、無意識に涙がこぼれ出した。
「先生……」
長岡家に世話になってから、伊織は小綺麗な身なりをしていた。前髪はきっちり結われ、白い足袋まで履いている。その姿を見るだけで、武蔵は彼の身が安定していることを確信した。
「泣くな」
武蔵がそう叱ったが、伊織は泣きやまなかった。武蔵の着物の胸元が、彼の涙で濡れていく。
「先生……」
「人が笑うぞ。何を泣く」
「でも、先生は明後日には船島へ行くんでしょう?」
「行かねばならん」
「勝ってください。これっきり会えなくなるのは嫌です」
「はははは。伊織、お前は明後日のことを考えて泣いているのか」
「でも、巌流殿には敵わないと言う人が多いんです。皆が、武蔵が良くない約束をしたと話しています」
「そうだな」
「本当に勝てるでしょうか? 先生、勝てるでしょうか?」
「心配するな、伊織」
「本当に大丈夫ですね?」
「たとえ負けたとしても、潔く負けたいと思うだけだ」
「勝てないと思うなら、先生、今のうちに遠い国へ行ってしまった方が」
「世間の声には真実がある。確かに、お前が言う通り、良くない約束だったかもしれん。――だが、ここまできて逃げることは、武士道を失わせてしまう。それは、私一人の恥ではなく、人々の心を堕落させてしまう」
「でも先生、命を大事にしろと、私に教えてくれたじゃないですか」
「ああ、そうだったな。――しかし、お前に教えたことは、すべて私の短所だ。自分の至らぬところ、できないこと、悔いていることばかりを、お前にはそうならぬようにと教えてきた。もし私が船島の土になったとしても、命は無駄にせず、しっかり守れ」
果てしない思いに囚われそうになり、武蔵は伊織の顔を押しのけて、きっぱりと言った。
「取次に頼んでおいたが、佐渡様がお戻りになったら、どうかよろしくお伝えしてくれ。船島でまたお目にかかるとな」
門の方へ向かって歩き出すと、伊織は武蔵の笠をつかんで離さなかった。
「先生っ……先生」
言葉にならない思いで、ただうつむきながら片手で師の笠を握りしめ、もう片方の手で顔を覆って、肩を震わせていた。
その時、中門の木戸が少し開いて、一人の若党が顔を覗かせた。
「宮本先生でございますか。当家の若党、縫殿介と申します。伊織殿が名残惜しそうにされており、無理もないと感じます。――他にお急ぎのご用もございましょうが、せめて一晩、お泊まりいただけませんでしょうか」
「これは――」
武蔵は一礼し、
「ありがたいお言葉ですが、船島での決戦を控えた身に、どこかに宿を取って縁を残してしまうのは、かえって自分も周囲の方も煩わせることになりましょう」
「ご配慮が過ぎます。お帰ししては、私どもも主人に叱られるやもしれません」
「後ほど書面にて、佐渡様に改めてお礼を申し上げます。――今日は到着のご挨拶だけに参ったもので、どうかお伝えください」
そう言って、武蔵は門を出て去っていった。
「おーいっ!」
誰かが声をかけた。少し間を置いて、また別の誰かが呼ぶ。
「おーいっ……」
今しがた長岡佐渡の邸を後にし、侍小路を抜けて伝馬河岸から到津の浜へと向かう武蔵の後ろ姿に、その声の主たちが手を振っている。武士が四、五人。見るからに細川家の藩士たちで、皆、年配のようだった。白髪の老武士も混じっている。
だが、武蔵はその声に気づかない。黙然と波打ち際に立ち、遠くを見つめている。
夕陽が薄れかけ、灰色の漁船の帆が昼霞の中で静かに浮かび上がる。その向こう一里ほどの海上には、試合の場である船島が、近くの大きな彦島の陰にぼんやりと見えていた。
「武蔵どの!」
「宮本氏ではないか」
年配の藩士たちは駆け寄り、武蔵のすぐ後ろに立った。遠くから呼ばれた時、武蔵は一度振り返って彼らの接近に気づいていたものの、見覚えのない顔ばかりだったので、まさか自分への呼びかけとは思わなかったのだ。
「……はて?」
首を傾げる武蔵に、最年長の老武士が声をかけた。
「お忘れかな。我々には見覚えがないのも無理はない。私は内海孫兵衛丞。元は、そなたの郷里、作州竹山城の新免家で“六人衆”と呼ばれた者のひとりだ」
続けて、他の者たちも名乗る。
「自分は香山半太夫」
「私は井戸亀右衛門丞」
「船曳杢右衛門丞」
「木南加賀四郎」
それぞれが名乗ったあと、さらに内海が説明を加えた。
「この内海孫兵衛丞と、香山半太夫の二老人は、そなたの父上、新免無二斎どのとは、深い友人でもあったのだ」
「……おお、では」
武蔵は、懐かしさに笑みを浮かべ、改めて会釈をした。彼らの声には、故郷の香りを思い起こさせる懐かしい訛りが感じられた。
「遅れましたが、私こそ宮本村の無二斎の息子、幼名は武蔵と申しました。……それにしても、なぜ郷里の方々がそろってここへ?」
「関ヶ原の合戦の後、ご存じの通り、我らが仕えた新免家は滅亡。我々も浪人となり、九州に落ち延びた。そしてこの豊前へ流れ着き、一時は馬の草鞋を作って命を繋いでいたが、幸運にも細川家の三斎公のお取り立てを受け、今では細川家の藩士として奉公しておる」
「なるほど、まさか亡父のご友人方にこのようなところでお会いするとは」
「こちらも意外で、懐かしい思いだ。……それにつけて、この姿を無二斎どのにも見せてやりたかったなあ」
香山や亀右衛門丞たちは互いに目を合わせながら、改めて武蔵の姿をしげしげと眺めていた。
「そうだ、用件を忘れていた。実は、先ほど御家老の邸に立ち寄った際、そなたが来たと聞いてすぐに追いかけてきたのだ。――というのも、佐渡様とも話し合って、そなたが小倉に到着したらぜひ一夜、我らと共に宴を開こうと待ちわびていたのだ」
杢右衛門丞が言うと、香山も続けた。
「そうだ、玄関先で挨拶だけして帰るなんて、そんな無礼があるか。さあ、ついてまいれ、無二斎の息子よ!」
父の友人たちが口を揃え、有無を言わせぬ態度で武蔵の手を引き、すでに先を歩き出していた。
武蔵は、押し問答を避けきれず、結局彼らと歩き始めたが、やはり丁寧に断るつもりで言った。
「いや、ご厚意に甘えたくもありますが、お断り申し上げます」
すると、皆が口を揃えて言った。
「なぜじゃ? 折角、我々がこうして迎えに来ているというのに」
「佐渡様の意向でもあるぞ。佐渡様にも失礼ではないか」
「何かご不満でもあるのか?」
中でも、無二斎と親しい友だったという内海孫兵衛丞が、感情を害したようにじっと武蔵を見つめる。
「決してそのようなつもりではございません」と、武蔵は慇懃に詫びたが、なおも理由を聞かれ、仕方なく話し始めた。
「――世間の噂では、今回の試合を巡って、細川家の二家老である長岡佐渡様と岩間角兵衛様が対立しているとか、家中でもそれぞれ巌流と私を支持する派閥が形成されているなどと、根も葉もないことを耳にしました」
「ほほう……」
「おそらくは巷の噂に過ぎぬ話。しかし、一介の浪人の私には影響がなくとも、長岡様や岩間様にとっては、これが誤解を生む原因となり、藩にとっても不都合が生じかねません」
「なるほどのう!」と、老人たちは感心したようにうなずき、「それで、家老のお邸での滞在を避けられたわけか」と感慨深げに言った。
「いや、まあ、そこまで理屈をつけると、実際には野人の気ままな性分が理由かもしれませんが」と、武蔵は微笑んで続けた。
「そのお心遣い、よく理解いたしました」と一同も納得しつつ、「満更、火のない所の噂でもないかもしれぬな。我々には覚えがなくとも」と武蔵の気配りに感謝した。
しばらく立ち話をしたのち、一同は相談し合い、木南加賀四郎が皆を代表して提案した。
「――実は、毎年今日の四月十一日には、我々が集まる会がござって、十年来欠かすこともなく続けております。その会合は同郷の者六名だけが集まり、他の者を招かぬ小さな集まりですが、貴殿ならば我々の仲間としてお迎えしたいと評議したのです。どうか、私どもの会合へお越し頂けませんか」
さらに言葉を加えて、木南は続けた。
「最初、貴殿が長岡家に滞在されているならば我々の会合は延期するつもりで確認に伺いました。しかし、もしお泊りを避けられるのであれば、せめて今夜は私どもの席にお越しいただきたいのです」
一同は、静かな場所で語り合う機会を、改めて武蔵に望んだ。
武蔵も、流石に断り切れず、
「それほどまでのお気持ちなら」
と承諾すると、皆は大いに喜び、
「では早速に」
とその場で何やら打ち合わせをし、武蔵のそばには木南加賀四郎を一人残して、他の者たちは一旦家に戻ると言い残し、皆それぞれ帰って行った。
夕暮れを待つ間、武蔵と加賀四郎は近くの茶店で待機し、宵の星空が広がる頃、加賀四郎の案内で街を離れ、小半里ほど進んだ到津の橋の袂へと向かった。
その場所は城下の外れで、藩士の邸宅や賑やかな酒亭も見当たらない。橋の周辺には、旅人や馬方が立ち寄るような寂れた居酒屋や木賃宿が、草に埋もれたように軒を並べていた。
(こんな田舎びた場所で会合?)
武蔵は不審に思わざるを得なかった。最前の人々は皆、年配であり、然るべき藩士たちであるにもかかわらず、年に一度の集まりをこのような場所で行うとは思えなかった。
(ははあ、さては何か企んでいるのか……いや、しかし、あの者たちに邪気は感じられなかったが)
「――武蔵殿。皆、すでにお揃いです。こちらへどうぞ」
加賀四郎が橋の袂に立つ武蔵に声をかけ、河原を指さす。加賀四郎が先に進んでいく様子を見て、武蔵も後を追った。
「……席は船の中か」
不審を抱きつつ河原に降りてみると、そこに船はなく、ただ河原の上に二、三枚のむしろが敷かれ、その上に、香山半太夫や内海孫兵衛丞、井戸亀右衛門丞、船曳杢右衛門丞、そして新たに紹介された安積八弥太らが膝を崩さずに座っていた。
「このような粗末な席で恐縮ですが、せっかく同郷の武蔵殿が加わってくださったのも何かの縁。どうぞ、こちらへおくつろぎを」
そう言って武蔵にむしろを差し出し、安積八弥太を紹介した。
「この者も作州の牢人で、今は細川家の馬廻役を務めております」
言葉は丁寧で、まるで客間のようなもてなしぶりに、武蔵はますます不思議に思った。
(風流を楽しむ趣向なのか、それとも人目を避ける必要がある会合なのか)
ともかく、武蔵は慎んでむしろに座ると、年長者の内海孫兵衛丞がこう言った。
「どうぞ、膝をお崩しください。――そして、持参の折や酒は後でお出ししますので、少しの間、我らの会合のしきたりを行わせていただきたく。長くはかかりませんので、しばしお待ちください」
そう言うと、一同は袴を割って座り直し、各々が持参した藁束を解きほぐして、馬の沓を作り始めたのであった。
藁を編んで馬の沓を作る藩士たちの様子は、実に謹厳で、無言のまま、何か神聖な儀式でも行っているかのようだった。
武蔵も不思議に思ったが、その場の雰囲気に圧倒され、口を挟むことなく静かに見守った。
「作れたかな」
やがて香山半太夫がそう言って他の者を見渡すと、全員がそれぞれ一足ずつの馬の沓を作り上げていた。
一足一足、皆が揃った沓は三方にのせられ、六人の中央に据えられた。その周りには用意された杯が並び、銚子も置かれた。
「さて、皆の衆」
年長の内海孫兵衛丞が改まって話し始めた。
「――関ヶ原の戦いから、早くも十三年が経った。我らが今日こうしてここにいられるのも、細川公の御庇護のおかげ。この恩を忘れることは子孫に至るまで許されぬことじゃ」
全員が襟を正し、俯き加減にその言葉を聞いていた。
「――だが、今は亡き旧主、新免家への恩もまた忘れてはならぬ。そして、流浪の日々に、己が落ちぶれ果てたことも決して忘れるな。この三つのことを心に留め、我らは毎年この会を開いている。今年も揃って息災に集えたことを祝い、喜ばしく思う」
一同が声を揃えてうなずき、
「孫兵衛丞殿のお言葉どおり、藩公の御慈愛、旧主への恩、そして零落の記憶を、我らは常に心に留めております」
と言葉を重ねた。
孫兵衛丞はさらに、
「では、礼を」
と促し、全員が膝を正して、小倉城に向かって深々と頭を下げた。続いて、旧主が治めていた作州の方角にも同様に礼をする。そして最後に、彼らが作った馬の沓へ向かって、真心を込めて伏し拝んだ。
「武蔵殿、これから我らは、この河原の上にある氏神の社まで参拝し、沓を奉納いたす。式はそれで終わり。式が済めば飲み交わし、語らう場となりますゆえ、しばしお待ちを」
一人が三方にのせた馬の沓を抱えて先に立ち、他の者たちも氏神の社へと向かった。馬の沓は鳥居の前の木に括りつけられ、彼らは拍手を打って拝礼した後、河原のむしろに戻ってきた。
そして、ささやかな宴が始まった。出されたのは、芋の煮物や木の芽味噌を絡めた筍、干し魚など、地元の農家で用意できる簡素な料理だったが、酒が注がれると、皆の笑い声や陽気な語らいが夜空に響き始めた。
武蔵は酒が進み、話も弾んでくると、ようやく切り出した。
「仲睦まじい、そしてなんとも不思議な集まりに、私も思わず一緒に楽しませていただきました。しかし、先ほどから馬の沓を作ったり、それを三方に供えて拝んでいらっしゃる。この行いには、何か特別な意味があるのでしょうか?」
すると、内海孫兵衛丞は、待っていたかのように答えた。
「よくぞ訊ねてくだされた。不思議に思われるのももっともじゃ。」
そう言って、彼は話を始めた。
それは慶長五年、関ヶ原の戦いで敗れた新免家の侍たちが、九州に落ちのびてきた時のことだった。
ここにいる六人も、その敗残者の一部だった。
彼らは、衣食のあてもなく、かといって身寄りを頼って頭を下げるのも嫌だった。そして、「渇しても盗泉の水は飲まず」(どんなに苦しくても不名誉なことには手を出さない)という強い意志を持って、街道沿いの橋のそばにある粗末な納屋を借りて、槍を鍛えていた手で馬の沓を作るようになったのだ。
ここ三年の間は、行き交う馬子たちに、自分たちの作った馬沓を細々と売り、生計を立てていた。
(あの連中、ただの者じゃなさそうだ)
馬子たちの噂が藩に伝わり、ついに当時の藩主、細川三斎公の耳にも入った。
調べてみると、彼らは旧新免伊賀守の家臣で、六人衆と呼ばれた侍たちだとわかり、三斎公は「不憫な者ども、召し抱えて使わせよ」と命じた。
交渉に来た細川藩の使者は言った。
「藩主様のお心遣いをお伝えするべく参りました。禄の額についての明確なご指示はありませんが、重臣たちの協議により、六名に対して千石を給したいと存じますが、いかがでしょうか」
六人は三斎公の仁慈に感泣した。関ヶ原で敗北した者としては、本来なら追い払われるのが当然だ。それなのに、六人に千石も与えてくださるとは、断る理由などあるはずもなかった。
だが、亀右衛門丞の母が意見を述べた。
「お断りなさい」
彼女はこう続けた。
「三斎公様のお情けは涙が出るほどありがたい。たとえ一合の扶持であっても、馬の沓を作っている身には勿体ないほどじゃ。しかし、あなた方はたとえ落ちぶれていようとも、新免伊賀守様の旧臣、藩士の上に立つ身だ。それが六人まとめて千石で召し抱えられたと聞かれたら、馬沓を作っていたことがかえって恥になってしまう。さらに、三斎公様のお恩に応えるためには、不惜身命の覚悟で奉公しなければならぬ。そんな気持ちがないなら、一括にされた扶持は受け取るべきではない」
母の意見に従い、六人は一致してこれを断った。
その報告を受けた三斎公は、こう命じた。
「長老の内海孫兵衛丞に千石。ほかの者には一人二百石ずつと改めて申し伝えよ」
六人は出仕を決意し、いよいよ藩に登城することが決まったが、六人の貧しい様子を見てきた使者が、心配してこう言った。
「少しでも先にお手当を渡さぬと、登城の際の服装も整わぬかと思われますが」
三斎公は笑って答えた。
「黙って見ておれ。せっかくの侍を迎えるのに、こちらが恥をかくこともあるまい」
そして案の定、馬の沓を作っていても、登城してきた六人は糊目も正しい衣服に身を包み、大小もそれぞれ立派なものを携えていた。
武蔵は酒が進み、話も弾んでくると、ようやく切り出した。
「仲睦まじい、そしてなんとも不思議な集まりに、私も思わず一緒に楽しませていただきました。しかし、先ほどから馬の沓を作ったり、それを三方に供えて拝んでいらっしゃる。この行いには、何か特別な意味があるのでしょうか?」
すると、内海孫兵衛丞は、待っていたかのように答えた。
「よくぞ訊ねてくだされた。不思議に思われるのももっともじゃ。」
そう言って、彼は話を始めた。
それは慶長五年、関ヶ原の戦いで敗れた新免家の侍たちが、九州に落ちのびてきた時のことだった。
ここにいる六人も、その敗残者の一部だった。
彼らは、衣食のあてもなく、かといって身寄りを頼って頭を下げるのも嫌だった。そして、「渇しても盗泉の水は飲まず」(どんなに苦しくても不名誉なことには手を出さない)という強い意志を持って、街道沿いの橋のそばにある粗末な納屋を借りて、槍を鍛えていた手で馬の沓を作るようになったのだ。
ここ三年の間は、行き交う馬子たちに、自分たちの作った馬沓を細々と売り、生計を立てていた。
(あの連中、ただの者じゃなさそうだ)
馬子たちの噂が藩に伝わり、ついに当時の藩主、細川三斎公の耳にも入った。
調べてみると、彼らは旧新免伊賀守の家臣で、六人衆と呼ばれた侍たちだとわかり、三斎公は「不憫な者ども、召し抱えて使わせよ」と命じた。
交渉に来た細川藩の使者は言った。
「藩主様のお心遣いをお伝えするべく参りました。禄の額についての明確なご指示はありませんが、重臣たちの協議により、六名に対して千石を給したいと存じますが、いかがでしょうか」
六人は三斎公の仁慈に感泣した。関ヶ原で敗北した者としては、本来なら追い払われるのが当然だ。それなのに、六人に千石も与えてくださるとは、断る理由などあるはずもなかった。
だが、亀右衛門丞の母が意見を述べた。
「お断りなさい」
彼女はこう続けた。
「三斎公様のお情けは涙が出るほどありがたい。たとえ一合の扶持であっても、馬の沓を作っている身には勿体ないほどじゃ。しかし、あなた方はたとえ落ちぶれていようとも、新免伊賀守様の旧臣、藩士の上に立つ身だ。それが六人まとめて千石で召し抱えられたと聞かれたら、馬沓を作っていたことがかえって恥になってしまう。さらに、三斎公様のお恩に応えるためには、不惜身命の覚悟で奉公しなければならぬ。そんな気持ちがないなら、一括にされた扶持は受け取るべきではない」
母の意見に従い、六人は一致してこれを断った。
その報告を受けた三斎公は、こう命じた。
「長老の内海孫兵衛丞に千石。ほかの者には一人二百石ずつと改めて申し伝えよ」
六人は出仕を決意し、いよいよ藩に登城することが決まったが、六人の貧しい様子を見てきた使者が、心配してこう言った。
「少しでも先にお手当を渡さぬと、登城の際の服装も整わぬかと思われますが」
三斎公は笑って答えた。
「黙って見ておれ。せっかくの侍を迎えるのに、こちらが恥をかくこともあるまい」
そして案の定、馬の沓を作っていても、登城してきた六人は糊目も正しい衣服に身を包み、大小もそれぞれ立派なものを携えていた。
孫兵衛丞の話を、武蔵は深い興味を持って聞き入っていた。
「――こういう経緯で、われら六名が細川家にお召抱えとなったわけじゃが、すべては天地の恩とでも言うべきものじゃ。祖先への恩、藩主様への恩は、忘れたくても忘れられない。だが、あの頃、命をつなぐために作っていた馬の沓の恩を、忘れがちになってしまう。それを戒め合うため、細川家に召し抱えられた今月の今日を、毎年の寄り合いの日と決めておるのだ。」
孫兵衛丞はそう言いながら、武蔵に杯を差し出した。
「さあ、我々のことばかり話しては申し訳ないが、酒は粗末でも、心はこれでいっぱいじゃ。――明後日の試合には、潔く臨んでくれよ。もしもの時は、わしらが骨を拾うてやる。ははは!」
武蔵も杯を受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございます。高楼の美酒にも勝るお心づかい。お心ばえにあやかりたいものです。」
「めっそうもない。われらにあやかると、馬の沓を作らなければならなくなるぞ。」
その時、小石が少しばかり、堤の上から草の間をすべり落ちてきた。人々が振り仰ぐと、蝙蝠のような人影がちらりと隠れた。
「誰だっ!」
木南加賀四郎が跳ね上がり、刀を引き抜いて駆け上がった。続いて、もう一人も同じく追いかけた。
堤の上に立ち、夜霞の向こうを見渡していたが、やがて大きな声で笑いながら、下の武蔵や仲間たちに知らせた。
「どうやら巌流の門人のようじゃ。こんな所で武蔵殿と我らが集まっているのを、助太刀の策でも練っていると思ったのか、あわてて逃げていったわ!」
「あはは、その疑いも仕方がないだろう。」
仲間たちは相変わらず磊落だったが、武蔵の頭には、ふと城下の雰囲気が気にかかっていた。
――長居は無用だ。同郷の縁があるだけに、彼らに余計な迷惑をかけるわけにはいかぬ。
そう思い至った武蔵は、人々の好意に感謝を述べ、楽しい河原の莚を一足先に辞して、飄然とその場を後にした。
翌日。
すでに十二日である。
当然、武蔵はどこか小倉城下に泊まって待機しているものと思われていたが、長岡家では彼の宿所を手分けして探していた。
「なぜ引き留めておかなかったのだ!」
用人や取次役は、後に主人の長岡佐渡から叱られたに違いない。
昨夜、到津の河原で武蔵をもてなした六名の仲間も、佐渡からの指示で町中を探し回っていたが、どこにも彼の姿は見当たらなかった。
武蔵は十一日の夜から、どこへ行ったのかまったくの杳として行方不明だった。
「困ったことだ!」
明日を控え、佐渡は白い眉をひそめて焦燥の色を浮かべていた。
一方その日、巌流は久しぶりに登城し、藩主から懇篤な言葉と杯を賜り、意気揚々と騎馬で屋敷に帰っていた。
夕刻頃、城下では武蔵についていろいろな噂が流れはじめた。
「臆して逃げたのだろう。」
「逃亡したに違いない。」
「どれだけ探しても、姿が見つからないそうだ。」
誰もがそう囁き合っていた。