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春・雨を帯ぶ

 鳥の鳴き声は、聞く場所や、聞く人の心によって異なるものだ。


 高野こうやの奥深く、高野杉こうやすぎに響くのは、まるで天の鳥、頻伽びんがのように澄み渡る声。ここでは、モズやヒヨドリなども皆、迦陵頻伽かりょうびんがのさえずりのように美しく響いていた。


縫殿介ぬいのすけ


「はあ」


「……無常というものだなあ」


 迷悟めいごの橋と呼ばれる、反り返った橋の上に佇む老武士が、供の若者、縫殿介を振り返った。


 田舎の老武士――そう見えるのも無理はない。粗い手織り木綿の羽織に野袴のばかま、いかにも旅姿だ。だが、その大小の刀は立派であり、差料さしりょうとして格別な品だ。供人の縫殿介も、骨太でしっかりした若者で、ただの渡り奉公人とは違い、子飼いとして育てられてきた節があった。


「――見たか。織田信長公や明智光秀殿の墓、それに石田三成殿や金吾中納言きんごちゅうなごん様、苔むした古い石には、源家の人々から平家の者まで……。ああ、数え切れないほどの苔むした人々が眠っている」


「ここでは敵も味方もありませんね」


「皆、ただ一つのじゃくなる石に過ぎん。上杉も武田も、夢のようなものだ」


「なんだか不思議な気分です」


「どんな気分がする?」


「なんというか……世間のことが全部、ありもしない嘘のような」


「ここが嘘か、世間が嘘か?」


「わかりません」


「誰が名付けたか、ここを奥の院と外院げいんとの境界にして、迷悟の橋とは」


「うまい名付け方ですね」


「迷いも真実。悟りもまた真実。私はそう思う。嘘だと見てしまえば、この世には何もないからな――いや、我が主君に命を捧げる侍の身に、虚無観など持つべきではない。私の禅は、活禅かつぜんだ。娑婆しゃば禅だ。地獄禅だ。無常に震え、世をいとむ心があっては、侍としての奉公は成り立たぬ」


 そう言うと、老武士は続けた。


「私はここを渡る――さあ、元の世間へ戻ろう」


 彼は足早に立ち去った。


 年の割には足取りが確かで、その首筋にはかぶとしころの跡も見える。山上の名所や堂塔を一通り回り、奥の院も参拝し終えたらしく、その足は迷いなく下山口へと向かっている。


「うむ、来ておるな」


 下山口の大門に差し掛かると、老武士は遠くから眉をひそめた。そこには、本山・青巌寺せいがんじの僧たちが二十人以上も並び、列を左右に分けて待っていたのだ。


 老武士の見送りに出ているらしい。この朝、金剛峰寺こんごうぶじで別れを告げたのに、またここで大勢の見送りを受けることになり、好意に感謝しながらも、微行の身には迷惑と感じているようだった。


 ――見送りの儀礼も済ませ、九十九谷つづらだにを眼下に見ながら降り道を急ぐと、ようやく気も楽になった。彼の言う「娑婆禅」や「地獄禅」を求める下界の匂いや、人間くさい心のあかが、いつの間にか戻ってきていた。


「あっ。あなた様は?」


 山道の曲がり角で声をかけられた。


 現れたのは、大柄で色白の若侍だった。決して美少年ではないが、いやしくない雰囲気を持っており、思わず眼を見開いて立ち止まっていた。



「や、あなた様は?」


 声をかけられ、老武士と供の縫殿介ぬいのすけも足を止めた。


「どなたでござるか?」


 老武士が尋ねると、若侍が丁寧に頭を下げて答えた。


「九度山の父からのお使いで参った者です。しかし、もし人違いであればお許しください。道の傍で失礼ですが、尊台そんだいはもしや、豊前ぶぜん小倉よりお越しの細川忠利ただとし公の老臣、長岡佐渡様ではございませんか?」


「え。わしを佐渡と――」


 老武士は驚いた様子で、


「ここでわしを知るとは、いったい誰だ? ――確かに、わしが長岡佐渡だが」


「やはり佐渡様でしたか。遅れましたが、私はこのふもとの九度山に住む隠士・月叟げっそうの息子、大助だいすけと申します」


「月叟……? はて?」


 思い出せない様子の佐渡を見て、大助は佐渡の顔を見上げ、


「今では父は月叟と名乗っておりますが、関ヶ原の戦いまでは真田左衛門佐さなださえもんのすけと呼ばれておりました」


「なんと?」


 愕然として佐渡が言った。


「では、真田殿――あの幸村ゆきむら殿のことか?」


「はい」


「お主はその御子息か」


「はい……」


 大助は、そのたくましい体格に似合わず、少し照れたように顔をうつむけ、


「今朝、ふと父の住まいに寄った青巌寺せいがんじの僧が、あなた様が山を登られたことを話しており、ご微行びこうとは聞いておりましたが、せっかくのお通りがかり、ささやかではございますが、柴門にて粗茶でも召し上がっていただきたいと父が申しました。それでお迎えに参った次第です」


「ほう。それはありがたい」


 佐渡は目を細めて微笑んだが、縫殿介を振り返って、


「――せっかくのご厚意だが、どうしたものか」


 と相談を持ちかけた。


「そうですね」


 と縫殿介も、すぐには答えかねていた。すると、大助が重ねて言った。


「さらに、もしお時間があれば、日がまだ高いので一夜お泊りいただければ、父も喜ぶかと存じます」


 考え込んでいた佐渡は、やがて何かを決めたように一度頷き、


「では、ご厚意に甘えよう。泊まるかどうかはその時に判断するが――のう、縫殿介、ともあれ、お茶を一服いただこうか」


「はい。お供いたします」


 佐渡と縫殿介は目を見合わせ、大助の案内に従って進み始めた。


 間もなく九度山の里にたどり着いた。里の民家から少し離れた小高い山の中腹に、土止めの石垣に囲まれ、柴垣しばがきを巡らせた建物が見えてきた。


 まるで小さな土豪の山屋敷といった佇まいだが、柴垣も門構えも低く、風雅さを失わず、隠士の家というにふさわしい閑雅かんがな雰囲気が漂っていた。


「門前に父が出て、お待ちしております。――あの茅葺かやぶきの家でございます」


 大助は指さし、佐渡を先に立て、自らは後ろについて、わが家の前へと近づいていった。



 土塀に囲まれた庭には、朝夕の汁物に使うための菜やネギなどの野菜が畑に育っている。


 母屋は崖を背にしており、座敷からは九度山の民家の屋根や遠くに学文路宿かむろじゅくを見下ろすことができた。曲がり縁の横には青々とした竹林があり、水のせせらぎを抱きしめるように広がっている。その竹林の向こうにも住居があり、二棟ほどの家が透けて見えていた。


 佐渡は案内されて、閑雅な一室に腰を落ち着け、供の縫殿介ぬいのすけは縁の板の間に端居はしいしてかしこまっていた。


「静かだな……」


 佐渡は室内を見回しながらつぶやいた。――主の幸村には、土塀の門をくぐる際にすでに会っているが、案内されてからは姿を見ていない。挨拶も交わさず、改めて客の前に出直してくるのだろう。茶は、大助の嫁と思われる女性がしとやかに運んできて、退いていった。


 待つことしばし――


 だが、不思議と飽きなかった。


 この客間の何気ない調度品やしつらえのすべてが、主の不在の間も訪れた客をなぐさめているかのようだ。庭越しに遠くを眺め、水のせせらぎ、茅葺かやぶき屋根の軒先に咲く苔草こけぐさの花。


 近くには派手な調度品は一つもなかったが、上田城三万八千石を治めた真田昌幸まさゆきの次男が居住する家らしく、漂う香木の香りもどこか上品で、一般の民家にはないような名木の香りだった。柱は細く、低めの天井、わびた荒壁の小床には、梨の花の一枝が蕎麦の一輪挿しに投げられていた。


 梨花りか一枝、春雨はるあめを帯ぶ。


「…………」


 佐渡はふと、白楽天の一句を思い出し、長恨歌ちょうごんかにうたわれた楊貴妃ようきひ漢王かんおうとの愛に、静かに心を沈めていたが――ふと目に留まった掛け物に驚いた。


 五文字が太く濃い墨で大胆に書かれているが、どこか無邪気さと幼さが見え、一気に書かれたものだった。


豊国大明神ほうこくだいみょうじん


 その横には「秀頼八歳書」と小さく記されている。


 ――なるほど。


 佐渡は少しおそれを感じ、座の位置を横にずらした。この香木も、客のために今急いでいたものではなく、日々ここを清め、神に酒を捧げる時の香がふすまや壁にも沁み込んでいるのだろう。


「……ははあ、やはり噂に違わぬ、幸村の心がけよ」


 佐渡は合点がいった。九度山の「伝心月叟」こと、真田幸村は、油断ならぬ男だ。まさに本物の「曲者」と呼ぶべき存在だ。何がきっかけで、どう変化するか分からぬ、まるで惑星のような男。深淵の龍とも称されるその名は世間にやかましく広がっていた。


「……その幸村が」


 と、佐渡は主の真意を測りかねていた。本来隠すべきものを、なぜ客の目に留まるようなところに掛けておくのだろう――他にもっと控えめな掛け物でもありそうなものだが。


 ――その時、板縁を歩く音が聞こえ、佐渡はさりげなく視線をらした。さきほど門前で出迎えた、痩せた小柄な男が、袖なし羽織に短い刀を腰に差し、ひどく腰を低くして現れた。


「失礼いたしました。息子を差し出し、道中のあなたを無遠慮にお引き留めして、どうかお許しを」


 と、静かに詫びた。



 ここは隠者の静かな住まい。そのあるじは牢人(浪人)だ。


 とはいえ、客の長岡佐渡は細川藩の家老であり、対して主の幸村は、真田昌幸の直系の息子であり、彼の兄・信幸のぶゆきは現在、徳川系の大名として名を馳せている。


 その幸村が、やけに腰の低い挨拶をするので、佐渡は恐縮してしまい、


「どうか、お手をお上げください」


 と、何度も礼を返しながら言った。


「――今日は思いがけずお会いでき、普段噂に聞くばかりの幸村殿のご健勝なお姿を拝見できて、大変うれしゅうございます」


 すると、幸村も客の気遣いに応えて、落ち着いた口調で、


「ご主人の忠利ただとし公も無事に江戸からご帰国されたとお聞きしておりました。何よりです」


「ええ、今年はちょうど、忠利様の祖父にあたる幽斎ゆうさい公が三条車町の別邸で亡くなられて三年のにあたりますので」


「もう三年になりますか」


「はい。そのための帰国です。この佐渡も、幽斎公、三斎公、今の忠利公と、三代に渡り仕えてきた骨董物こっとうものとなり果てました」


 この辺りで話がほぐれてきて、主客は笑い合い、どことなく世俗から離れた隠者同士のようにうち解けていった。大助にとって佐渡は初対面の客であったが、幸村と佐渡は以前にも面識があったらしい。


 四方山話の中で、幸村が尋ねた。


「近ごろ、愚堂和尚にお会いなさっていますかな? 花園の妙心寺におられる」


「いや、さっぱりご無沙汰しております。……そうそう、幸村殿を初めてお見かけしたのは、愚堂和尚の禅室でございましたな。昌幸殿にお付きしておられて。――私は妙心寺境内の春浦院しゅんぽいんを建立する任を受けており、その頃はしょっちゅう伺っておりました……。いや、随分と昔のことですな。あなたも若かった」


 佐渡が懐かしそうに語ると、幸村も微笑んで応じた。


「あの頃はよく、暴れ者たちが、気性を収めるために愚堂和尚の元に集まっていましたな。和尚もまた、諸侯だろうが牢人だろうが、身分に関係なく受け入れてくださった」


「特に牢人や若者を愛しておられた。――よくこう仰っていました。『浮浪の徒は浪人ではない。真の牢人とは、心に牢愁ろうしゅうを抱き、意志の強固な節操を持つ者だ』と。……『真の牢人は名利を求めず、権威に媚びず、政治を私利で曲げず、義に臨んでは私心なく、白雲のごとく身は遠く、雨のごとく行動は早く、そして貧しさを楽しむことを知り、的を得られぬときも不満を抱かない』と」


「よく覚えていらっしゃいますな」


「ええ。だが、そうした真の牢人は、海の底の宝珠のように少ないとも嘆いておられました。しかし、過去の史実を見れば、国難に際し、私心なく捨て身で国のために尽くした無名の牢人は数え切れないほどいた。この国の土には、そうした名もなき牢人の白骨が国柱となって埋まっているのです。しかし、今の牢人はどうだろう、ともよく仰っていました」


 佐渡は話しながら、敢えて幸村の顔をじっと見た。しかし、幸村はそれに気づかないかのように、


「左様。その話でふと思い出しましたが、あの頃、愚堂和尚の下にいた若い牢人で、作州さくしゅうの宮本という若者がいましたが、覚えておられますか?」



作州さくしゅうの牢人、宮本といえば……」


 佐渡は幸村の問いにそのままつぶやき返し、


「武蔵のことか」


「そうそう、宮本武蔵――確かに武蔵と申しました」


「それがどうした?」


「当時まだ二十歳にも満たない若者でしたが、どこか重厚な風格があり、いつもあかにまみれた服装で愚堂和尚の禅室の隅にいたものです」


「ほう、あの武蔵がな」


「覚えておいででしたか?」


「いや、いや」


 佐渡は首を振って続けた。


「私が武蔵を意識し始めたのは、つい近年のことで――それも江戸で在府中のことだ」


「江戸にいるのですか、今は」


「実は、主君からの命で、調べているのだが、どうも行方がつかめなくてな」


「見どころのある者です。愚堂和尚も、彼の禅は身につくだろうと申していました。私も何気なく注目していましたが、そのうち忽然と姿を消し――しばらくして一乗寺下り松の試合で彼の名が噂に上ったと聞き、和尚の目は確かだったと感じました」


「私はまた、そうした武名とは違った一面を聞いたことがある。江戸で在府の頃、下総しもうさの法典ヶほうでんがはらという土地で、荒れ地を開墾し土民を育てている牢人がいると聞き、珍しい心がけの者だと会ってみたかったが、もうそこにはいなかった――後で聞けば、あれが宮本武蔵だと知り、いまだに心に留めている」


「なるほど。私の知る限り、あの男こそ愚堂和尚が言うところの、真の牢人。いわば蒼海そうかいたまだったかもしれぬ」


「主殿もそうお思いですか」


「愚堂和尚のお噂で、ふと思い出したのですが、心に残る男でしたな」


「実はその後、私も主君忠利公に彼を推挙いたしましたが、蒼海の珠はそう簡単には会えぬようで」


「もし武蔵にお会いできるなら、私も推挙したいものです」


「――とはいえ、こういう人物は、単なるろくではなく、自分が果たすべき役割に見合う場所を求めているでしょう。――案外、細川家からの迎えよりも、九度山くどやまからの迎えを待っているのかもしれませんな」


「え?」


「ははは」


 佐渡はすぐに笑いを消したが、先ほどの発言は、意図的な挑発だったかもしれない。少し幸村の本音を探るため、隠された意図を垣間見せたものとも取れた。


「……冗談を」


 と幸村も、笑顔で返しながら、


「若党ひとりでさえ抱える身分ではありません――まして、名だたる牢人を九度山へ招くなど、とても」


 と言い訳をするつもりはなかったが、つい付け加えてしまった。すると、佐渡はその隙を逃さず、


「いやいや、隠すことはありません。関ヶ原の戦いで細川家は東軍に加勢し、徳川方と旗幟きしを鮮明にしておりますし――また、あなた様が故太閤たいこうさまの遺孤である秀頼君を唯一の味方として頼られていることも、世に知られております。……先ほども、掛け物を拝見し、普段の心がけが感じられましたよ」


 佐渡は壁の秀頼の書を見やり、戦場は戦場、ここはここだと、胸を開いて言葉を続けた。



「そうおっしゃられると、この幸村、穴にでも入りたくなる心地です」


 佐渡の言葉に、幸村は困ったような顔をして続けた。


「秀頼公の書ですが、これは太閤たいこうさまの御影みえいだと思い、わざわざ大坂城の方からいただいたものです。粗末にもできず、掛けておりますが……もう太閤さまも亡き今では」


 幸村は少し俯き、しばし無言の後、


「――うつりゆく世の中、仕方ありません。大坂の行く末、関東の勢力がどこまで拡がるか、もはや誰の目にも見えてきた時勢です。しかし、今さら節を曲げて二君に仕えることもできません――これが幸村の哀れな運命です。笑ってくだされ」


「いや、ご自身がそう言われても、世間は納得いたしますまい。はっきり申し上げれば、淀殿よどどのや秀頼公から、毎年莫大な支援が密かに届けられ、この九度山くどやまを拠点に、幸村殿が手を挙げれば、五千や六千の牢人がすぐに集まるという噂もある」


「ははは、根も葉もないことを……。佐渡殿、自分以上に自分を買われるほど辛いことはありません」


「ですが、世間がそう思うのも無理はない。若い頃から太閣さまの側近におられ、他の誰よりも目をかけられた幸村殿。真田昌幸の次男として、当代のくすのきか孔明かと称されているのですから」


「おやめください。そう聞くたびに身が縮む思いです」


「では、誤解なので?」


「願わくは、法の山の麓に余生の骨を埋め、風流には縁遠いながらも田を耕し、子や孫を見守り、秋には新蕎麦、春には若菜のお浸しを膳に添え、血なまぐさい戦の話など松の風と共に遠く聞き流し、長命を全うしたいものです」


「なるほど、それが本心と」


「最近、老荘ろうそうの書などを読むと、人生は楽しむためにあると考えるようになりました。楽しまずして何の人生か――と。……お笑いでしょうが」


「……ほう」


 佐渡は真に受けるつもりはなかったが、あえて呆れ顔を見せた。


 ――こうして話しながら、半刻はんときが過ぎた。


 主客の間には幾度か茶が出され、そのたびに大助の嫁と思われる女性がさりげなく現れては、気を利かせて去っていった。佐渡は菓子台の麦落雁むぎらくがんをひとつ摘み、


「だいぶ話しすぎて、もてなしに甘えてしまった。……縫殿介、そろそろお暇しようか」


 と板縁にいる縫殿介に声をかけると、


「あいや、もうしばらく」


 と幸村が引き止めた。


「――嫁と息子がそばを打って支度しているようです。山家やまがのことですから粗末なもてなしですが、陽もまだ高いし、学文路かむろで泊まるにはまだ余裕があるでしょう。どうぞ、しばらくおくつろぎを」


 その時、大助が現れ、


「父上、どうぞお越しください」


「できたか」


「はい」


「座敷の準備も?」


「あちらに整えてあります」


「そうか。では……」


 幸村は佐渡を縁づたいに案内し、佐渡も好意に応じて後についていった。その時、不意に裏手の竹林の向こうから不審な物音が聞こえた。



 その音は、はたを織るような音にも思えたが、機織りよりも大きく、少し異なる調子だった。


 竹林を前にした裏座敷に、主人と客のための蕎麦が運ばれてきた。酒の瓶子へいしも添えられている。


「不出来でございますが」


 と、大助が箸をすすめ、まだ人馴れしていない嫁が「おひとつ」と酒を勧めてきた。


「酒は」


 と佐渡は杯を伏せ、


「こちらがよい」


 と、蕎麦に向かった。


 大助も嫁も無理に勧めず、ほどよく下がる。――その間も竹林の向こうから、はたに似た音が絶えず耳に響くので、佐渡は、


「あれは何の音か」


 と尋ねた。


 幸村は客に尋ねられて初めて、それが耳障りになっていることに気づいた様子で、


「ああ、あの音ですか。お恥ずかしい話ですが、家族や召使に生活の足しとして組紐くみひもを作らせておりまして、その紐を打つ木車もくしゃの音でございます。……我々は耳が慣れておりますが、お客には騒がしいかもしれません。すぐに止めさせましょう」


 そう言って、大助の嫁を呼ぼうとしたところ、


「いや、それには及ばない。お仕事を妨げては申し訳ない」


 と佐渡が止めた。


 この裏座敷は母屋の家族がいる場所に近いらしく、出入りの声や厨房くりやの音、どこかで銭を数える音も微かに聞こえ、前の静かな客間とは雰囲気が違っていた。


(はて……。ここまでして生計を立てねばならぬほど困窮しているのだろうか)


 佐渡は少し不思議に思ったが、もし大坂城からの支援がないとすれば、落ちぶれた大名の末路がこうなるのも無理はないと考えた。家族が多く、農業にも慣れていない。売れるものを売り尽くせば、いずれ資産も尽きるだろう。


 あれこれ思いを巡らせながら、佐渡は蕎麦をすすったが、蕎麦の味から幸村の人柄を見極めることはできなかった。ただ、


(何とも漠然とした男だ……)


 という印象を持つにとどまった。十年前、愚堂和尚の元で会ったときの印象とはどこか異なるものだった。


 だが、この間に幸村が、細川家の動向や意図を、雑談の端々から嗅ぎ取っている可能性もある。


 ――探りを入れるような素振りは全く見せていないが。


 幸村はまず、佐渡が何の用事で高野山へ来たのか、まるで興味を示さなかった。


 佐渡の登山は、もともと主君の命によるものだ。故人の細川幽斎ゆうさい公は、太閤在世中に青巌寺せいがんじに滞在し、一夏を過ごしながら歌書を著したこともある。そのため、青巌寺には幽斎公の直筆の書物や文房具などが残されており、それらの整理と受け取りの打ち合わせのために、三年忌を前に豊前ぶぜんの小倉から軽装で来たのだ。


 ――だが、幸村はそんなことも詮索せず、まさに通りがかりの客としてもてなしている様子に、裏も表もなく、ただ素直な好意で接しているようにしか思えなかった。



 供の縫殿介ぬいのすけは、縁側に控えたまま、奥へ通された主君が気がかりで仕方なかった。


 表向きは歓待しているように見えるが、ここは徳川家にとっての「要注意人物」真田幸村の家。紀州の領主である浅野長晟ながあきらは、徳川家の命で九度山を監視しているとも聞いている。しかも相手はつかみどころのない幸村だ。噂によると、浅野家も手を焼いているらしい。


「……できればすぐにでもお帰りいただきたいものだ」


 縫殿介は焦りを感じていた。何の詭計があるとも限らないし、仮に詭計がないとしても、浅野家が「細川家の重臣が密かに立ち寄った」と報告すれば、徳川の心証は悪くなるだろう。今、関東と大坂の間は極めて緊張しているのだから。


 ――そんなことに気付かぬ佐渡様ではないはずだが。


 縫殿介は奥の様子を気にしながらも、ふと、縁側の傍らにある連翹れんぎょうや山吹の花が大きく揺れ、空からぽつりと雨粒が板の軒先に落ちるのを見た。


(よい機会かもしれない)


 そう思いつくと、縁を降りて庭を伝い、佐渡がいる部屋の近くへ進み、


「雨が来そうでございます。ご主人様、お立ちになるなら今のうちかと存じますが」


 と声をかけた。


 話に夢中になっていた佐渡は、気の利く縫殿介にすぐ反応し、


「や、縫いか。……雨が降ってきたのか。今なら濡れずに済むだろう。どれ、早速お暇しよう」


 と言って幸村に挨拶し、立ち上がった。幸村も一夜の宿を勧めようとしたが、主従の気持ちを察してか、強引には引き止めず、大助とその嫁を呼び、


「お客にみのを差し上げて、大助、お前が学文路かむろまでお送りしなさい」


 と指示を出した。


「はい」


 大助が蓑を持ってきて、それを受け取った佐渡は、門で別れの挨拶をした。空は急ぎ足の雲が千丈ヶ谷や高野の峰から駆けてきていたが、雨はそれほどでもない。


「ご機嫌よう」


 幸村と家族たちは門のあたりまで見送りに出た。佐渡も丁寧に礼を返し、幸村に向かって、


「いずれまた、雨の日か風の日か、お目にかかる日もありましょう。どうかご健勝で」


 と言った。


 幸村は微笑み、静かに頷いた。


 そしてまた。


 そしてまた。


 お互い、かつての戦場での長槍を構えた姿がふと胸に浮かび、別れの言葉は春の終わりに散るあんずの花が、去りゆく客の蓑を惜しむように静かに彩っていた。


 大助は道すがら、


「大した降りではありません。晩春の空はこうして一日一度、山には必ずこんな疾風はやて雲が通るものです」


 と語りながら足を急いだ。すると、学文路の宿の入口あたりで、遠くから駆けてくる荷馬と白衣をまとった山伏びゃくえのやまぶしに出くわした。



 荷駄にだの馬の背には荒菰あらごもがかけられ、その上に身動きできないように縛り付けられた男が、薪束まきたばに囲まれている。山伏やまぶしは先を駆け、二人の旅商人が手綱を引き、細竹で馬の尻を叩きながら急ぎ足で進んでいた。


 ――その出会いがしら。


 大助はぎょっとして目を反らし、わざと同行している長岡佐渡に話しかけたが、山伏の方はそれに気付かず、


「おうっ、大助様!」


 と勢いよく呼びかけてきた。


 それでも大助は聞こえないふりを続けたが、佐渡と縫殿介は怪訝な顔をして足を止め、


「大助どの、誰かが呼んでいますぞ」


 と教えつつ、山伏に目を向けた。


 やむを得ず大助は、


「おお、林鐘坊りんしょうぼうどの、どちらへ?」


 とさりげなく声をかけると、山伏は声高に話し始めた。


「紀見峠から一気に――これから山のお屋敷に直行しようと思っております。先ごろ噂に聞いていた怪しげな関東者を奈良で見つけ、ようやく紀見の上で捕らえたのです。なかなかの剛気な奴で、月叟様の前に引き立てて泥を吐かせれば、関東方の機密を何か白状するかもしれませんぞ」


 話を聞いているだけで、問われてもいないことまで得意げに話し続けるので、大助はついに、


「これこれ、林鐘御坊、何を言うのか。私にはさっぱり分からぬが」


「ご覧ください、馬の背を――そこに縛り付けてあるのが、その関東者の隠密で」


「ええ? ばかな!」


 大助はたまらなくなり、一喝した。


「往来の真ん中で――それに、私のお供をしているお客様が誰か分かっておるか。豊前小倉の細川家の老臣、長岡佐渡様だぞ。軽々しく口にするでない」


「えっ?」


 林鐘坊はようやく佐渡と縫殿介の方に目をやった。


 佐渡と縫殿介は何事もないような顔をし、あちこちと景色を見回していたが、その間にも早い雲が頭上を越えて行き、雨混じりの風が吹くたびに、佐渡の蓑がさぎの羽のようにふわりと膨らんだ。


 ――あれが細川家の重臣?


 林鐘坊は意外そうに黙り、驚きと疑いの視線を大助に向けて小声で、


「……一体どうして?」


 と尋ねた。


 大助は二言三言囁き、すぐに佐渡の方に戻ると、それを見て佐渡は、


「もうここでお引き取りくだされい。これ以上は、かえって恐縮」


 と大助に別れを告げ、軽く礼をしてその場を離れた。


 大助は仕方なくその場に佇んで見送ったが、荷馬と山伏に目を戻し、


「迂闊なことをするでない」


 とたしなめた。


「場所も人も見極め、物を言わねばならぬ。お父上のお耳に入ったら、ただでは済むまいぞ」


「はっ。……まさかと存じました」


 林鐘坊は面目なさそうに謝った。彼は真田の郎党・鳥海弁蔵とりうみべんぞうであり、この辺りでは知らぬ者もいなかった。

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