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漆桶

 伊織いおりは、偶然にもその二人の話を耳にしていた。


 話の内容がよく分からず、ただ怪しげだと思っただけだったが、二人が馬に乗ってその場を去ると、後をつけるように歩き出した。


「……?」


 先を行く二人が、一度か二度ほど伊織を振り返った。だが、彼がただの子どもであると判断したのか、それ以上気にも留めない様子で、そのまま歩き続けた。


 やがて夜が訪れ、道は暗闇に包まれた。下り坂をずっと進んでいくと、広がる武蔵野むさしのの一端に出た。


「おやじ様、あそこに扇町屋おうぎまちやの灯りが見えますよ」


 若い方の侍が馬上から指をさし、暗がりの先に灯りがちらほら見える宿場を示した。道は次第に平坦になり、遠くには入間川いるまがわの水面が夜空に淡く浮かんで見えた。


 前を行く二人に油断が見える一方、伊織は心の中で気を張り詰め、足音を忍ばせて彼らに気づかれないように注意していた。


(この二人は、きっと泥棒に違いない)


 そう確信していた。


 盗賊とうぞくがどれほど怖いものか――彼は生まれ故郷である法典村ほうてんむらが、何度も匪賊ひぞくに襲われ、家財がすべて奪われる様を見てきた。そして、盗賊は平気で人を殺すという印象が彼の心に深く刻み込まれていた。それゆえ、もし見つかってしまえば、命の危険すら感じていた。


 そう怖い相手なら、横道へ逃げればいいはずなのに、伊織はあえて彼らの後をついていく。


 理由は単純だった。


三峰みつみねの権現さまの宝を盗んだ犯人は、この二人に違いない)


 と心の中で決めつけてしまっていたのだ。少年の直感は迷いがない。一度「こいつだ」と思い込んだら、疑うこともなくその一点に集中する。


 やがて、伊織も二人の後ろをついて扇町屋の宿場へと歩いていった。後ろの荷馬にうまに乗る年配の男が、前を行く若い男に声をかけた。


城太じょうた、この辺で休もう。馬にもエサをやらねばならんし、わしもひと休みして煙草たばこを吸いたい」


 荷馬を宿の外に繋ぎ、二人は飯屋へ入った。若い方の男、城太は入り口の近くに腰を下ろし、飯を食べつつも荷馬に視線を送り、常に周囲を警戒しているようだった。食べ終わると外に出て、今度は二頭の馬に干草ほしくさを与え始めた。



 伊織いおりは、影に隠れながら二人のやり取りを聞きつつ、後をつけていた。


 彼は宿場で食べ物を買って腹ごしらえをしていたが、再び二人が荷馬に乗り、先へ進むのを見て後を追いかけた。


 道は次第に暗くなり、武蔵野むさしのの広々とした平地に出た。二人は鞍の上で何度も互いに話を交わしながら進んでいく。


城太じょうた


「はい」


木曾きそにいる手の者には、ちゃんと前ぶれの飛脚ひきゃくを出しておいたか?」


「手筈は整えてあります」


「じゃあ、今夜は首塚くびづかの松で合流するってわけだな」


「そうです」


 年上の男は城太を呼び、若い方は「おやじ様」と呼んでいるようだ。


(この二人、親子の盗賊に違いない)


 そう考えた伊織は、一層不安と恐怖を感じながらも、なんとかして二人の住処すみかを突き止めようと決意を固めた。もしその証拠を見つけ、役人に訴え出れば、武蔵むさし冤罪えんざいも晴れ、牢から解放されるに違いないと信じていたのだ。


 そうした幼いながらのひらめきと直感は、案外、的を射ているようだった。二人の行動や話す内容はますます怪しげで、伊織は固く疑念を抱いていた。


 川越かわごえの町はすでに静まり返り、暗闇の中、二人の荷馬は首塚の丘を登っていく。丘への入口には、「首塚の松 この上」と書かれた石標が立っていた。伊織は、そこで崖に紛れ込んだ。


 丘の頂上には一本の大きな松があり、すでに一頭の馬がつないであった。その松の根元には三人の男が、膝を抱えて待っていた。やがて、登ってくる二人の姿を見て、声をあげて迎える。


「おう、大蔵様だ!」


 その呼び声に応えて、荷駄の二人が挨拶を交わし、再会を喜び合っている様子だった。


 しばらくすると、夜が明けぬうちにと、男たちは急いで動き出した。大蔵の指示で松の下の大きな石を取り除き、一人がくわで土を掘り始めた。


 そこからは、隠されていた金銀が出てきた。三峰権現みつみねごんげんの宝蔵から奪われ、ここに隠しておいたもののようで、その量はかなりのものだった。さらに、城太と呼ばれた若者もまた、馬の荷から漆桶うるしおけを降ろし、蓋を破って中身を取り出し始めた。


 漆桶の中にあったのは漆ではなく、三峰権現から盗まれた砂金や形の整った金の塊だった。掘り出された金銀と合わせて、何万両もの価値がある財宝が山と積まれていた。


 彼らは金銀を何袋かに分けて詰め直し、三頭の馬の背にしっかりと縛りつけ、空になった漆桶や不要になったものは穴に蹴り込んで、きれいに土をかぶせて隠した。


「これでよし、これでよし。夜明けまではまだしばらくあるから、一服つけようか」


 大蔵はそう言って、松の根元に座り込み、他の四人もその周りに腰を下ろし、車座になって休憩を取っていた。



 伊織いおりは、隠れていた石の陰から、すべてを目にしていた。


 大蔵おおくらは、もともと木曾きそにあるお百草問屋の出身で、奈良井ならいの本家を出てから約四年も関東各地を巡ってきた。各地の神社や寺院には「奈良井の大蔵」の寄進札が掲げられ、彼の名前を知らぬ霊場れいじょうはないほどだったが、その資金の出どころを知る者はなかった。


 それだけではなく、彼は江戸の芝に家を構え、質店を営み、町の五人組のひとりとして人望を集めていた。表向きは慈善活動にいそしむ人格者に見えながら、裏では三峰権現の祭に乗じて宝蔵から金銀を盗み出し、さらに過去数年の稼ぎも合わせ、馬に詰め込んで運び出していたのだ。


(世の中、ほんとに恐ろしいな……)


 伊織はそう思わずにいられなかった。人は見た目だけではわからない。だからといって、すべてを疑い始めればきりがない。伊織の心には、それでも純粋な直感があり、大蔵のような怪人物をすぐに見破ることはできた。


 また、今の伊織には、まさかの人物が大蔵と深く関わっているという情報も耳にしていた。なんと、武蔵むさしがかつて愛情を注いできた城太郎じょうたろうが、大蔵を「おやじ様」と呼び、共に行動しているというのである。その変わりようを知ったら、武蔵もおつうも、どれほど嘆くことだろうか。


 さて、五人が車座になっての話し合いは続き、その結果、大蔵はここで姿を消し、江戸には戻らないことに決まった。だが、芝の質店には焼き捨てるべき書類や、置き去りにした朱実あけみもいるため、始末をつける人手が必要だった。


「それには、城太がよいだろう」


 全員が意見を一致させ、江戸へ向かうのは城太郎に決まった。


 やがて、三頭の馬に荷物を積んだまま、大蔵と木曾の一行は、夜明け前の暗闇のうちに甲州路こうしゅうじへ向かって去り、城太郎だけが江戸へ向かうこととなった。


 丘の上には、まだ明けの明星が輝いていた。すべての人影が消えた後、伊織は思わず飛び出し、あたりを見回した。


「さあ、どっちを追いかけたらいいんだろう?」


 伊織は迷いながらも、漆桶うるしおけの中に閉じ込められたかのような暗闇の中で、あちらこちらを眺め続けていた。

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