盂蘭盆会 その4
なんとか劣悪な環境からの脱出に成功し、激辛の鍋を平らげ、お腹も一杯になったところで、その晩は安心して睡眠が取れると俺はたかをくくっていた。
しかし眠ることが出来なかった。
いや……もしかしたら眠っていたのかもしれない。
夢と現実がごっちゃになったような、一晩中そんな感覚に襲われることになったのだ。
異変に気付いたのは河童と蝉が寝静まり、コウロギの声が聞こえ始めた時分だった。
俺自身うつらうつらとしていたのだが、そんな時庭からゴトリと重量感のある物音が聞こえたのだ。
最初は泥棒かとも思ったが、すぐに違うなと気付いた。
近くの民家さえ遠目に見えるほどの田舎であるこの場所にわざわざ泥棒なんぞ侵入って来るわけがないのだ。
しかもこの家は、ちょっとした森林に囲まれたオンボロの平屋。
金目の物なんて到底期待出来ない。
ただでさえデメリットしかない犯罪行為なのに、こんな場所に忍び込んだらメリットの欠片すらもないだろう。
では今の物音はなんだったのだろうと考えた時、その答えはすぐにでた。
庭には少なくとも二人の不審者が住み着いている。
河童とモールス信号を得意技とする田中さんだ。
俺が導き出した結論。
それはこの二人に続く新たな不審者の存在だった。
大方また変なキャラ付けをした変人が庭に現れたのだろうと予想したのだ。
何やら物騒なあの物音は、恐らく井戸の上にある重石をどけたことによるものだろう。
正に大きな石が転がるようなそんな音だった。
「おい、河童」
「Zzzz」
「……」
すやすやしてる、な。
起こすのも悪いか。
でも一人で確認しに行くのは少し怖い。
敵対心強めの変人だったら鈍器で頭をかち割られてしまう可能性も否定できない。
大人しく布団にくるまっておくのが得策だろうか。
……いやいやいや。
ここ一応俺の家だぞ。
そんな奴に好き勝手やらせたくなんて、また同じことを繰り返してやらせてしまうかもしれない。
どう考えてもこんな夜中に人の家の庭に侵入する方がおかしいんだ。
ここは強気で打って出るのが正解だ。
だけど、そうなるとこいつも大概だよな。
ちょっとあなた履き違えてません?
今思えばだ。
数時間とはいえ、なんで俺が追い出されなきゃいけないんだよ。
しかも俺の布団使ってるし……こっちは段ボールだぞ。
いくらこの村の変な人達が爺ちゃんの懇意にしていたとはいえ、俺は爺ちゃんではないし、こいつらと仲良くする義理はないのだ。
少しばかり刺激的な出来事と不思議な体験と、夏休みにともなって高揚していた気分によりそれらを許してしまっていた節があるが、そろそろこの家においての絶対的な権力者が誰であるのかをこの村の住民(不法侵入者共)に断固として知らしめる必要があるんじゃなかろうか。
そして出来れば今後は関わらないでもらいたい。
まあ、どうしてもって言われれば仲良くしてやらんこともない——。
「おーい」
「……え?」
それは優しくて懐かしい声だった。
あんなに悲しかった爺ちゃんとの別れ。
たくさん泣いたし後悔もしたけれど、人間とは不思議なもので、大切な人を失った瞬間からその人のことを少しずつ、少しずつ忘れてしまっていくものである。
それがどんなに大切に思っていても、記憶からその形が薄れていってしまうのだ。
その人の顔も笑い声も思い出さえもが徐々に。
なのに写真を眺めたり、家族と昔話に花を咲かせたりするとまるで掘り起こされたように記憶が蘇る。
「……爺ちゃん?」
こうして声を聞いてしまうと尚更だ。
その声は間違いなく俺の爺ちゃんだった。
「河童……起きてくれ」
「起きてるよ」
さっきまで寝息を立てていた河童は、目を見開き天井を見つめていた。
それはいままでに見せたことない真剣な表情だった。
「来たんだな」
「どういうことだよ」
「どうもこうもない。そのままの意味だ。鰹節を振りかざす小学生から俺の頭の皿を守ってくれた命の恩人であり、お前の祖父である爺さんが来たって意味だよ」
そんな……馬鹿な。
この河童、コスプレ電波系女かと思ってたらまさかの霊媒師キャラだっただと?
伝説のイタコの末裔とか言い出さないでくれよ。
「あのさ、何回も言ってるけど俺は河童なの。それにイタコはその身に霊を降臨させるだろ。残念ながら俺にはそんなことは出来ないぜ」
「じゃあお盆だから本当に帰ってきたって言うのかよ」
「当たり前だろ。何の為の迎え火だよ。除霊してたわけじゃないんだから。ほら、行くぞ」
「いや、ちょっと待てって」
「……? なんで」
なんでと聞き返して来た河童からは、いつものおちゃらけた態度は一切感じられなかった。
真剣な目で真っ直ぐに俺を見つめている。
……待ってくれよ。
この村ってやっぱりおかしいよ。
小さい時は全く気づかなかったが明らかに変だ。
「あり得ない。爺ちゃんは死んだんだ」
「ああ、そうだな」
「死んだ人にはもう会えないんだ」
「普通はそうなのかもな」
河童は布団から出て俺の手を引くと、戸惑う俺のことなど気にも留めずに障子へと向かって歩き始めた。
「お、おい。河童」
「……お前少し勘違いしてるようだから、この際はっきり言っておくよ」
「何だよ、離せって」
「この世には常識じゃ測れないことなんて、常識の数より多いんだ」
こいつ何言ってんだよ。
深そうで深く無いことをキメ顔で言うなんて、恥ずかしく無いのかよ。
「どうしたんだよ急に」
「見れば分かる」
そう云うと河童は勢いよく障子を開けた。
「……なんだよ、これ」
障子を開けた先には眩い光に包まれた美しい天馬に跨る爺ちゃんの姿があった。
「爺ちゃん……」
「颯太元気にしてたか」
爺ちゃんはペガサスから颯爽と降りると一歩一歩こちらに近づいて来た——とはいうものの、やはり霊体だからなのだろうか、足元はゆらゆらと蜃気楼のように揺れている。
だけどそんなことどうでも良かった。
目の前にいるのが偽物でも幽霊でも何でもいい。
俺は爺ちゃんに謝りたかった。
「爺ちゃ——」
「で、でたあぁぁぁっ!! 化け物だー!」
「お前その塩どっから持って来た! おい、やめろ!」
河童はまるでNEO・SUMOUの武蔵濃すぎ丸の様に大量の塩を掴むと、それを勢いよく爺ちゃんと思われる何かにぶん投げた。
「……消えちゃった」
塩が直撃するとペガサスと爺ちゃんは煙の様にぼやけ始め、やがて空へと消えていってしまった。
「ふう、危なかったな。あんな化け物がこの世に存在してるなんてお盆どころじゃなくなっちまう所だったよ」
「えぇ……。あれ爺ちゃんだったじゃんよ。呼び出しといて塩を撒く暴挙に出るお前の脳内どうなってんのよ」
「爺さん? 俺には翼の生えた発光する馬しかみえなかったけど」
「ペガサスでしょ、あれ。お前作ってたじゃん」
「あ、そうなの? へえ、あれがペガサス」
「一体何を参考にして胡瓜でペガサスを作ったんだよ」
「仕方ねえだろ。ペガサスなんて初めて見たんだから。都会には多いのか? スズメみたいなもんか?」
「あんなスズメは都会にもいねぇよ」
「じゃあ土鳩?」
「どう見ても鳥類じゃねぇだろ」
こいつには爺ちゃんが見えて無かったのか?
それにしても塩を撒く躊躇の無さは感心した。
こいつには容赦というものが無いらしい。
「どうやら迎え火は失敗に終わったみたいだな。確率的に五回に一回は成功するんだけどな。また来年のお楽しみだな」
「迎え火に失敗なんてあるの?」
「そりゃあるさ。この世に完璧なんて存在しない。そんなの常識だろ」
……夢、か。
悪夢よりの夢だったのだろう。
熱帯夜で寝苦しく、寝つきが悪かったのも原因だろう。
「……寝るか」
「そうだな」
部屋に戻り布団に入ると一気に睡魔が襲って来た。
想像だにしない出来事にどうやら、疲れ切ってしまっていたようだ。
「おい、起きろー」
「ん、んん……」
「俺一回帰って川に入ってくるから。颯太もそろそろ起きた方がいいんじゃないか?」
「昨日変な夢見ちゃってさ。もう少し寝るよ。お前、川で溺れんなよ。夏休みは川の事故が多いから」
「ふざけんな。俺は平泳ぎなら太平洋横断出来るんだぞ」
「んなわけあるか」
「あ、そうそう。縁側にメモが置いてあったぜ」
「メモ?」
「ああ。また来年って書いてあったぜ」
また……来年……。
ははっ、はははは。
「……次はちゃんと謝らないとだな」
「ん? なんか言ったか?」
「いや、別に。なにも」
昨晩の出来事が夢か現実かは定かでは無い。
が、とりあえず来年の盂蘭盆会には塩を隠しておくことにしよう。