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滞る時間に佇む個別のモノたち

  犯罪社会学 フィールドワーク 事例研究   インタビュイー 神薙圭介 罪状 殺人  

       秋のレポート発表のためのノート  本文より抜粋 


―――なぜインタビューに応じてくれたんだい?


 インタビューを受けてくれないかと言いながら、いいよと言うと、なぜと問う。そんな奴のインタビューだからかな。

 具体的な理由なら、君とは幼馴染で、前から興味があった。

 他の奴は、自分しか知らない。自分以外には人がいないと思っている。世の中にはいろいろな人がいるんだよ。それはつまり、人の正解などないということさ。ところが自分しか知らない奴は、自分の尺度と違う人と出会うと、否定するか、矯正しようとする。何様なんだよ。少なくとも、知能については、その辺りより、僕の方がずっと高いはずなんだ。いやそうじゃないな。人は固定的なものじゃない。流動的なんだ。人格とは一人の人間の中に複数あって、それがぶつかり合い、混ざり合って総合体として生成している。だから、誰もが同じようなものを共有してるはずなんだ。ところが、世間の奴らは、自分の中の正義だとか、かっこいいだとかのお気に入りたったひとつの人格しか認めない。それ以外は無視してる。そしてそのたった一つを基準にして、それとは違うもの、外れたものを排除しようとしてる。それを偽善者と言うんだ。君は違う。自分と僕とは違うと思いながら、同じじゃないかと恐れてる。そうだろ。だから来たんだろ。

 だから、答えをやろう。そう、僕と君とは違う。そして同じだ。僕のしたことで君が絶対しない可能性はない。そしてたぶんしかし、君はしないだろうな。なぜなら、君はそこまでして将来を賭けたくないからだ。もし万一、ばれたら君の未来は断たれる。そこまでしてする必要があるのか。じゃあなぜ、僕はしたのか。僕には未来がない。同じことが永遠に繰り返される。今しかないんだ。退屈なんだ。

 まあ、こんな概念論は切り上げて、そのインタビューとやらを始めようか。


事例1 埋田波留子の夫刺殺とその後の入水自殺事件への関与について。

 そう、埋田波留子から金を引き出していた。最初はいくら必要だから貸してくれないか、と言っていたが、やがていくら用立てようかと向こうから言ってきた。僕にとって必要な女になりたかったんだ。だから、言われるままに金をもらった。それだけだよ。あの女は自分に自信の持てない、ホストに狂うタイプだろう。だが、プライドがある、そういう店に行く勇気がない。方法を知らない。僕がその代替物だったわけだ。それだけだ。向こうは自分を認めてほしい、こっちは手持ちの金を作りたい、そんな利害が一致しただけだ。最後は金が無くなって自殺したんだろう。金が無くなって執念く付きまとったから、海に投げ込んだって? そんなことする必要ないだろ。


インタビュー対象者 神薙圭介について1

 神薙圭介とは小学校の同級生だった。珍しい苗字なのですぐにピンときた。多分、学校一頭が良くて、ルックスもいい。運動神経も抜群だった。謙虚で温厚。こんな人物が本当にいるのかと思うくらいだったが、実は裏山で小動物を殺しているのを見たことがある。二度。一度目は買っていた小鳥だったと思うが、可愛がっていたはずなのに、彼を突いたのだったか、そんなだった。彼は手の中の小鳥を握り潰した。どうしてそんなことって聞くと、芸をいくら教えても覚えない、こいつはバカだと言った。 

 二度目は野良猫だった。餌をやって飼いならし、慣れたころに突然ナイフで傷つけ、あおむけにして腹を割いた。その時は、「どうやら僕はサディストらしいんだ。たまにこうでもしないと辛くてね。人にするわけにはいかないだろ」と僕に行った。僕が知っているのはこの二回だけだが、たぶん、この二回だけだと思う。あってもあと一回か二回だろう。6年生の時だった。中学受験をすると言ってたから、そのストレスなのかと思っていた。このことは僕以外知らない。彼は誰からも好かれたが、周りとは微妙に距離を取っていた。唯一気を許していたのが、私だった。なぜなのかわからなかったが、私には素顔を見せたし、私はそれを誰にも話さなかった。彼は有名私学に進学し、後に東大に入学したと聞いた。私は公立の中高から、そこそこの大学に進み、院に残ってまだ助手をしている。社会学を専攻しているが研究対象を絞り込めずにいた時、新聞で彼を知った。変わった苗字だからそうじゃないかと思い、裁判の傍聴に行った。上告せずに一審で刑が決まり、そのまま服役した彼に面接を申し込んだら素直に受理された。彼が私を覚えていたのが意外だった。美男子の東大生が小学校時代の同級生を覚えている? 彼はうらやましい人生を歩んでいたのではなかったか。


 学生時代は地獄だった。朝から夜まで一日中管理され、すべてが他者のプログラムだった。いや、親にではない。親はいわゆる放任だった。僕に一度も勉強しろなどと言ったことはない。社会、世間にだよ。フロイトのいうスーパーエゴというべきかな。息苦しい毎日で、唯一の救いは、大学に入れば自由になれるという思いだった。それまでは、大学に入るための準備期間にしようと決意した。小学校低学年にはもうそう思っていた。勉強は好きだった。ルールを知ってその通りすれば答えが出る。ゲームと一緒だった。応用という面ではゲームより面白かった。むしろゲームの方が苦手かな。ゴールに向かってひたすら、指を動かす。そんなの退屈だろ。画面が変わっても、ゲーム制作者の世界にいるだけだ。ただそれだけだ。

 いくら大学に行っても、人に使われるなら今と同じだ。だから、頂点を目指した。東大なら、自由の幅が広がる。体の面での限界や脅威に備えて合気道も習った。体重差や、拳足を鍛える必要がなく、技を磨く(力学)ことで強くなる。だったら、大人になっても有効だろう。何かあったとき、逃げるその一瞬を作るものが必要だったんだ。だから、三段で辞めた。ある程度のイメージがつかめたから。

 矛盾するように聞こえるかもしれないが、技の基本など、体に覚えこませるためにひたすら同じ動作を繰り返すのは好きだ。同じ動作というが、体の各部、手の振りの角度、指の向き、足幅など工夫して、一度として同じ動作はなかった。これでいいと思いながらしばらくすればまた、この方が理に適っていると変わっていった。勉強でも、入試問題をひたすら解くなど嫌いでなかった。身についている実感があった。そこがゲームと違うところかな。ストーリー性のあるゲームはだめだ。すぐに作者の意図がわかってしまう。小説は、書きながら考えるのだろう、出来のいいのは、途中結末が見えないのがある。まあ、大概は見えてしまうが。多分作者も見えていなかった結末も見えてしまうことがある。

 そういう意味では大学も退屈だった。特に偏差値の高い大学ほどそうじゃないかな。問題を嫌うんだ。僕もトラブルは好きじゃない。時間の無駄だ。しかし、起こることもある。賢いものはまず問題が起きないようにする。将来を見越してそんな条件を排除する。問題が起きた時点でその人物は無能と思われる。万一起こったら、見ないようにする。あるいは、その問題を回避する手段を考える。だって解決できるならそれは問題ではないはずだ。トラブルは効率的でない。一流大学に入るなら、効率的に行動しなければならない。すべてが見通せる、安定した社会は安心だが、退屈だ。トラブルは時として人生の薬味だ。ただ、愚かゆえに起こるトラブルは退屈を通り越して無駄だけど。

 具体的に何かしたい目的とか夢とかがあったわけじゃない。人と一緒にいるのが嫌だった。誰かいれば、その人物に合わせて行動する必要が出てくる。僕一人なら5分で終わることが、人がいるばかりに1時間かかることがある。無駄じゃないか。そしてその間とても退屈だ。学生時代は、大学に入った後の人生を謳歌するための訓練や準備で退屈はしなかった。大学時代は、卒業後を考えて、違う訓練を始めた。留学もしたし、出来る限りの本も読んだ。さすがに賢いと思える人物の思考は退屈しなかった。

起業というが、人生を楽しむためにまとまった金を作ろうというならコンピュータ関連の新しいネットワークの構築だろう。言語、写真、動画、と様々なデータの交換でネットワークを作っていく。もうそんなものはある。ちょっと変化をつけたソフトでも少しの金にはなるかもしれないが、興味がなかった。それ以外は問題外だ。就職先として銀行も、商社もモノ作りももう将来性はない。学生時代からしていた家庭教師をしばらく続けることにした。予備校も将来が見込めない。もちろん、個人が魅力的ならカリスマになれるが永遠ではない。家庭教師も一緒だが、学生時代から定評があった。仕事は途切れない。他より高くても客はついた。もちろん、東大というブランドも使えた。塾、予備校、家庭教師をそこそこまわりながら、収入もそこそこあった。一流企業に就職して中堅どころ並みの額。でもその頃から副業をするようになった。プライベートホストとでもいうのかな。例えば、「埋田波留子」。彼女は両親が教師だった。だから、学歴ブランドに弱かった。学校批判をする。教師なんてという。しかし、両親は教師でその反発から教師を目指さなかったという振りをしながらそれが自信のなさからきたものなのは、彼女が一番よく理解してた。だから東大の家庭教師は崇拝の対象だった。公立学校で、生徒指導に追われて授業が御座なりになるような下品な教師ではない。そして学歴のトップは頭の良さを証明している。学歴のトップは信用にもつながる。わざわざ馬鹿してそれを棒に振るわけはないと思うのだ。だから、高校の息子がいるサラリーマンの妻という自分と関係を持った東大の学生は、そんな馬鹿なことをして、自分の人生を棒に振るかもしれない危険を冒してまで自分と関係したかったのだ。自分は魅力的だと考えた。いや、そう思いたかったんだろうな。明らかに彼女は欲求不満だった。多分、夫は浮気してるのだろう。彼女は専業主婦だ。この時代、妻を遊ばせて、その分まで稼げるなんてなかなかのやり手だと思うが、旦那はやり手でその分、俺が食わせてやってる系の傲慢な男だったんだろう。彼女はあきらかに不満だった。身体なんて気持ちさえ充実してれば不満はない。心の不満は身体で晴らすしかない。彼女は我慢していた。でもうまく遊ぶなどできない。彼女もプライドが高かった。バカ女のような真似はできなかった。勉強が終わって居間でお茶を出してもらった時、あきらかに話を聞いてほしそうだった。あるいは時間を持て余していた。だから、相手をしてやったんだ。サービスの一環さ。


インタビュー対象者 神薙圭介について2

 彼は高校時代、モデルのアルバイトをしていた。容姿も十分整っている。これだけで相手の警戒を解く力になる。出身学校同様、容貌、容姿の良さも信頼を得る大きな力になる。第一印象がいかに大事かは就活で説かれるが、結局外見でしかない。いくら努力しても外見の良い方に客はなびく。第一印象で掴んでしまうとは、スタートですでに差がつくということ。彼は美男子だった。しかも甘いマスク。それにまだ、強力な武器を持っていた。

 サイコパス、ソーシャルパスの特徴のひとつに、人の感情を読む力がある。人の顔写真を見せて、その人の感情を当てるのだが、顔をくしゃくしゃにしているのは、怒っているのか、泣いているのか、爆笑しているのか、写真だけだと分からないものだ。サイコパスはそれを正確に言い当てるのだ。だから危険な彼らなのに、人の中に入って好き勝手することができる。神薙がサイコパスかと言われると自信がないが、その傾向はあったと思う。サイコパスもスペクトラムだと思うのだ。100%サイコパスなんていない。みんな平均的な人格から、何%か、自閉症的で双極性でサディストで変態で良い人で、人でなしだ。神薙は確かに平常人よりサイコパス的だった。そして人の感情を正確に読んで、人をコントロールした。

 彼らの人間関係は、自分に都合の良い人間であるか、利用できるかにある。彼らは人の感情が読める。それは心理が読めるということだ。埋田が簡単に落ちたのは当然だ。最初は少々強引だったらしい。だが彼女の顔を見てそれが心からの拒否かどうか見分けるのは、神薙にとっては簡単なことだった。一度関係を持てば、後は言いなりのようなものだった。関係をばらすと脅し、愛してるんだと口説き、あなたなしではやっていけない、捨てないでと懇願する。その時その時の感情を見抜き、適切な言葉で誘導する。自信を持たせ、自分を価値ある人だと錯覚させ、こちらを信用させる。詐欺師やヒモの手口だ。この時、神薙は他に二人の女と関係を持っていた。そしてそれぞれを金づるにしていた。一人はやはり家庭教師先の母親、もう一人は高校生だった。私は東大出の年上男性と付き合ってるの、彼、モデルもしてるのと自慢していたそうだ。その高校生には売春させ、その金を貢がせていた。強要していたわけじゃない。神薙にとっては、ただ、金がとれれば良かった。だから高校生が補導されたとき、神薙は引っ張られなかった。初めて知ったように驚き大金持ちのお嬢さんだとの触れ込みを信じていたと言った。最初、警察は神薙も犠牲者だと勘違いした。大ウソつきの虚栄心女子高生にひっかかったボンボン東大生、世事に疎いエリートだと思っていた。女子高生とは十八歳になるまで関係を持たず、ただ金だけを貢がせていた。女子高生には、潔癖で自分を大事にしてくれるお兄さんと思わせていた。経験のある、セックスが引き留める力を持つ相手とそうでない相手を的確に見抜いていた。

 もう一つの家庭教師先、関岡優里子と埋田の違いは何だろう。関岡も埋田も良い母親だった。神薙に言わせれば、母親には四種類あるそうだ。自分の子供に興味のない親は逆に付け入るスキがない。彼らは自分の欲望に正直でいわば、同業者だ。次に自分の子供を常識の範囲内で愛する親。子供のことは愛しているが、子供の愚かさ、弱点も見ている。そのうえで子供を愛している。まあ、ほとんどの親がこれだ。そして子供を溺愛、盲愛している。これに二種類あって、本当に子どものためにバカになっている親。子供の欠点や愚かさが見えず、あるいは同じくらいバカで、子供を庇っているつもりでバカにしていく親。これも相手にならない。子供以外目に入っていない。こんな親はめったにいない。そして他に愛するものがないので子供を愛している親。埋田も関岡も最初は常識的な親を演じていた。しかし、神薙への警戒を解き、親密になっていくにつれ、子供を溺愛する親を演じるようになった。これはひとつは神薙に流れようとする自分を止めるためであり、もうひとつは神薙の誘導だ。あなたは子どもを自分以上に愛しているすばらしい母親だという神薙の言葉でしばらくそんな役を自ら演じていた。その子のために神薙と何かと語る必要が生まれ、あるいはそれを理由にして神薙と何かと語った。神薙に手籠めにされてからは、神薙と子供の間で揺れる可哀想な人妻を演じ、やがて本当の愛に目覚める女という役割を与えられる。やがて家の金に手を付けるという一線を越える時、躊躇いが生まれる関岡に対しては焦ってしまったのだそうだ。一旦引いて、金なんかどうでもいい。実はあなたの誠意をためしたんだというような距離を置く態度で相手に近づかせるべきだったのを、つい強引に金を作るのが、愛の証だろと言わんばかりの態度を取った。その結果、関岡は私はあなたの希望を叶えられないバカで愚かな女だと、愛を失う悲劇の女性の役を自分に作り、神薙から身を引く(そして神薙は最後は自分を追ってくるだろう)女だと思いこもうとした。神薙にはまだリカバリーの機会があったが、女子高生と埋田がいたため、これ以上関岡に時間を割けず、あっさり身を引いた。そして関岡は被害者、犠牲者にならずに済んだのだ。周囲にばれることを恐れて法廷で証言はしなかったが、弁護側に協力する気になっていた。神薙を悪い人間とは全く考えておらず、つい魔が差した不運な人だと思っていた。そしてその不運の一つがお互い愛し合いながら結ばれなかった自分と神薙との関係とも思っていた。神薙は関岡の失敗から学び、埋田から金を搾り取った。自分の小遣い、へそくり、貯金、借金とエスカレートしていき、最後は持ち家まで抵当に入れて、年収に当たる金を作り、気づいた夫と口論になって暴力を振るわれ、これを刺し、防波堤を彷徨って落ちたのか、身を投げたのか、あるいは神薙に落とされたのか。


事例2 遠山小夜の自殺関与について

 あの女は失敗だった。分かってたんだ。一目見た時からこの女は慎重に取り扱わないとと頭の中で警鐘がワンワンと鳴っていた。

 なのに。

 暇だったんだ。

 あの日、友人に呼び出されて仕事の相談をしていた。友人は学生時代から起業を考えていて、いらないソフトやファイルを自動で削除するソフトを開発した。設定しておくとコンピュータ内を月一とかで巡回して、ソフトなら〇年以上更新していないとか、起動していない、ファイルなら、〇年以上開いていない(○の中には3とか、5とかの数字を自分で入れればいい)とポップアップウインドウで知らせてくれる。そこそこ使われたらしい。最後は管理ソフトのセットに組み込みたいと企業から問い合わせが来て、権利を売ったらしい。パソコンソフトは一人が一つ買えば終わってしまう。またクラウドの普及と、メモリーの容量がどんどん大きくなって、そのソフト一本では限界があった。それでSNSを考えた。一人が何回も使うからね。学習に特化したアプリ。家庭教師、個人教授を登録制に組織する。アルバイトや講師、資格を持っている者は多い。ウーバーのように呼んだら近くの教師が飛んでいく。納得すれば金を払う。そんなことできないかなって友人から相談された。では、アプリをクリックすれば、スカイプのようなテレビ電話画面、チャット形式の複数で教えあえる画面、教師が飛んでくるウーバー型に分ければどうだろう。テレビ電話画面、ウーバー型の場合、まず登録した教師とその評価が出て、良いと思った教師を選択してクリックする。昼間は授業や友人がいるから、このアプリの活動は夜、深夜になるな。新しい夜回り先生ができるわけだ。趣味の悪い冗談だな。

 深夜に知らぬ人が訪ねる。あるいは呼んで待ってる間に問題が解けてしまった場合どうするか、料金は広告の入る月に限界利用数のある無料版など、ある程度問題点を出し合い、時間も随分経って、場所を替えようということになった。飲みに行くことになった。酒はあまり好きじゃない。その手の店の女性はあまり顧客にならないしね。ホステスがホストに入れあげてというのは、ざらにある話だが、こちらとは接点がない。何度も足を運んでまでモノにしなくても、今のところは何とかなっている。友人は本当の酒好きで、女性が接待するような店ではなかった。有名ホテルのラウンジバー。酒のストックがアジアで何番目とかいう店だ。その店の片隅で飲んでたのが遠山小夜だった。危ないのは見え見えだろ。

 友人が遠山に声をかけた。そして僕を紹介した。東大出で、塾や家庭教師をしている。その世界ではけっこう有名な人物だ。彼女は興味を持ったようだった。一流大学や有名企業というだけじゃない。プラス、なのに、自由業。女一人でバーで酒を飲んでいる。そんな自意識過剰なのか、魂胆のある女。どうやら過剰系らしい。うまくやれば今夜の相手になるかもしれない。しかし、僕はそんな女を必要としていなかった。セックスにはあまり興味がない。僕が欲しいのは、金を出してくれる女だ。

 別に贅沢をしたいわけじゃない。ただ、ホテルに泊まるなら五つ星とは言わなくてもせめて四つ星。特急なら座りたいし、服や食事もそこそこでありたくないか。これをしてれば満足なんて仕事はない。だったら、そこそこ働いて、あとは援助してもらえればそれでいい。先のことはそのうち考える。なぜそんなに刹那的なのかって。

 学生の頃、物心ついた頃からかな。息苦しくって仕方なかった。自分ががんじがらめにされてるみたいで。何も面白くない。興味関心を惹くものがない。驚けないんだ。見えてしまう。大学まで行って、時間やその他の拘束が無くなったら、何か見つかると思ってた。高校を卒業して学生と言う領域のドアを抜け出て、新しい空間に入ったら、そこには何もなかった。自分でセッティングして世界を作れってことだろう。それをなんて素晴らしいことだと思う人もいるだろう。どうしていいか分からないと頭を抱える人もいるだろう。僕はそのどちらでもなかった。別にその何もない空間で満足できたんだ。何かを足りないとも思わなかったし、何かを欲しいとも思わなかった。ただ、退屈だったんだ。


 遠山小夜はこちらに興味津々で新しい玩具をみつけたような顔をしていた。整った顔をしていた。なぜ美人が人を引き付けるか知ってるか。人の顔を大量にスキャンして、それをどんどん重ねて顔の平均を作る。どんな顔ができると思う? 人のカテゴリーでいう美型ができるんだそうだ。つまり美人とは平均的と言うこと。あと胸がでかい、尻がでかいとは子孫を作る能力の視覚化だろう。腰が括れてるは尻のでかさを強調する。平均的とは、異常がないこと。本能は自分と種の保存なわけだから、好感が持てる外形とは、生殖能力が高そうということだ。第一印象とはそういうことだ。僕自身、そんな第一印象でずいぶん得をさせてもらった。目の前のものが敵か、安全か。第一印象は、敵じゃないと知らせてくれる。これは眼前の人物と繋がるハードルを努力せずにひとつ越えさせてくれる。こちらもそれを利用させてもらっているが、小夜も利用していた。私は生殖能力が高いですよってね。

 君は僕をサイコパスのように言うけど、もしそうなら、サイコパスとは、人間関係を知らない人なのかもね。自閉症は別に人間関係が嫌なわけじゃない。ただ、世間が多数と認める我々とOSが違うんじゃないかな。あと極度に人間関係を恐れる人はそれに多大に希望を持ったりしてる。僕はそんなもの、あってもなくても構わない。別に人がいなかったら、それで普通に暮らして行ける。寂しいという感情の無い人間なのかな。ただ、人がいないと退屈なんだ。いても退屈だけど、暇つぶしにはなる。そんなとこかな。

 だから、遠山と繋がる必要なんて全くなかった。無視すべきだったんだ。その頃、金づるは数人いた。遠山は金を出させるのは簡単だが、大した額を持ってそうになかった。効率が悪い。その上扱いが煩雑だ。妙にプライドが高くて、こんな場所にいれば、どんな男が声をかけてくるか想像できる。それに自分は上手に対処できると高をくくっている。馬鹿なくせに。

 その時、魔が差したとしかいいようがない。いつもどおり、遠山と繋がり一晩を共に過ごしてしまった。次の日から、遠山の攻勢が始まった。まず僕を自分のものにする。完全に自分のものにできたら、(僕が遠山を好きになったら)飽きて捨てる。彼女にとって男は自分が魅力的な女であるためのリトマス紙なんだ。なんでも彼女は母親に虐待されたらしい。ネグレクトかな。だから、愛を求めるそうだ。彼女からは何度も母に対する憎しみを聞かされた。でもさ、僕は彼女の母親に会ったことないし。何度か会わされそうになったけど、逃げだした。あなたの捨てた娘は東大卒の、こんな男と一緒にいるのよと言いたいのかな。まあいいけど。

 煩わしいから邪険にするとなお付きまとう。それが彼女の存在証明なんだから。私は魅力的な女性で、それの分からない母がおかしいのだ。私のネグレクトは異常な母のせいで私が原因ではない。で、最後はあの事件さ。

 しつこく連絡があって、無視してたら付きまとう。行く先々に先回りして、仕事に支障がでるようになった。やがては邪魔をしかねない。仕方なく携帯に出て、手を切ろうとアパートに向かった。引き出すべき金はもう手に入れてあとは本人を売り飛ばすくらいしかなかったが、そこまではしなかった。女はあくまで副業だから。

 遠山の部屋に入って泣き落としや脅しがあり、最後は刃物を持ちだした。まあ、良かったかな。突然後ろから刺されるよりは。一瞬気づかれぬように身構えたが、彼女は自殺すると言い出した。完全に興奮状態で「やれよ」の一言で手首を引くか、首を刺すか。こちらは別れるために来たんだ。死んでくれたらそれでいい。言葉でとどめをさした。そして反射的に後ろに下がって部屋を出た。後ろに飛ぶようにしたとき、彼女が手首を引いて、血が噴き出した。危なかった。もし、血がかかっていたら、取り調べは長引く。廊下で一息ついて部屋に入ると彼女は虫の息だった。しばらく眺めて、救急車に連絡した。「友人が自殺して、手首を切った。まだ息がありそう。場所は・・・」すぐに救急車とパトカーがやってきた。彼女の息は止まっていた。こっちは親しい友人のふりをしてあたふたしていた。彼女が鬱気味だったこと、母との関係に苦しんで、様々な問題を抱えていたこと、男女関係も乱れていたことなどを親しい友人として語った。死ぬと彼女から連絡があり、慌ててやってきたんだがこのありさまだったと。僕に血がかかっていたら、もっと話が複雑になっていただろう。最近、科捜研とかルミノール反応とかだれでも知ってる言葉になったが、たぶん見た目では見えなくても、あの部屋にいた僕の服からは反応が出たはずだ。でもそんなことはしなかった。警察は飛んできたし、救急車も飛んできたし、そこに犯罪性はなかった。どうみても自殺だった。遺書はなかった。突然思い詰めての行為だった。昼間だったからまわりに誰もいなかった。ただ、これで僕は警察の知る人となった。


事例3 ネットにあった一流大学生サークルの闇事件と青戸修治殺害にいたる背景

青戸は朝日麹市一家六人殺害事件を起こした青戸勇治の次男だ。あの事件は、暴力団である青戸勇治とその一家が樋田さんの一家を惨殺した事件だが、その頃青戸修治は別の傷害事件で服役しており、事件に関与しなかった。出てきたら、一家がまるごと刑務所にいるという事情で、一人で活動していた。遠山はあんな女だから、青戸はどこかで知り合った時点で金になると思ったのだろう。しかし、したたかな遠山だから、青戸など相手にしない。それで今度は遠山にまとわりついて遠山の相手からゆすりたかることを考えた。だが、知恵もバックもない青戸には難しく、成果を上げられなかった。そこへ僕だ。結婚はしていないが、一応教育関係者だ。もしかしてとついていくと、不審に思えることをしているように思ったんだろうな。詰めもしないまま僕の前に立った。証拠らしいものもなしで、ただ脅し暴力を匂わせる。それが青戸だった。しかし、たった一人で凄んだところでタカが知れている。もし結婚していて、子供までいて関係の明白な写真でもあれば。あるいは、暴力に対して免疫がなく、ちょっと凄まれただけでビビる者であれば。何より守るものを持っており、少しでも自分に汚点の付くことを恐れる者であるなら、青戸の脅迫は功を奏したかもしれない。暴力に対しては、トレーニングや鍛錬と称して留学時代からもしもの時のために格闘技や護身術のクラブに出入りしていた。合気道については前に書いた。だから、やりあうことに違和感はなかった。いつでも戦う用意は心身ともにできていた。何より、守るべき何も持っていなかった。もし殺されても仕方ないと思っていた。そんな相手とどう戦う? 青戸はその道のプロとして、これは勝負にならないと読んだ。今までの経験で勝てる喧嘩の勘はあったようだ。だからあっさりと手を引いて、次に違う意味でまた付きまとい始めた。まったくの勘違いでしかないのだが、どうやら自分と同じ匂いを僕に嗅いだらしい。おこぼれでも頂戴できると踏んだらしい。

 最初、青戸の扱いをどうするか困っていたのだが、その頃、次の接触があった。やはり遠山絡みなのだが、彼女と関係ある、グループとでも言えばいいのか。遠山はあんな女で昼は派遣で、中堅の事務職員だった。OLと言えば聞こえはいいが、事務員の方がぴったりくる。そして夜は男漁り。それに引っかかった大学生がいた。学生だが、一流ホテルをカプセルホテルのように使える、そのラウンジで酒を飲むような、そんな学生。大学のサークルは名ばかりで中心の人物は大学生というレッテルを最大に利用した遊び人たちだ。飲む、打つ、買う。酒、博打、女に加えてクスリ、売買。大学生というレッテルには、そのラベルが高級なほど威力を増す。しかしさすがに東大はバカではない。その下くらいから巨大で名の知れた大学に所属している学生で、親が有名人であったり大企業の重役であったり金持ちであり、少々のことなら握りつぶせる力があり、そんな力を自分の力と過信して我が世の春を満喫している学生が、徒党を組んでいる。そんな奴が僕を狙い始めた。奴らも退屈してたのだろう。

 ある夜、突然襲われた。公園の横を歩いていると曲がる自動車のライトが目に入って、反射的に振り向いたとき、男が襲ってきた。偶然がなかったら後ろから刺されていた。睨み合った緊張に耐えられなかったのだろう、男は、

「よくも小夜を殺したな」と叫んで、刃物を構えながら突進してきた。動きが単調だった。小さくかわして、顔面にジャブを入れ、動きを止めて腹に膝を入れた。倒れたら胸を思い切り蹴り上げた。顔面を力任せに踏みつけたら、殺してしまうかもしれない。胸を蹴り上げて肋骨を折っても心臓にでも間が悪く刺さらない限り大丈夫だ。殺人が怖かったわけではない。刑務所に入るのが嫌だっただけだ。肋骨は折るつもりだった。二度と関わりたくないと思わせるため、死ぬ手前までやるつもりだった。蹴っているうちに、人に気づかれ、逃げる前に男の財布や携帯、手帳類を探って持って帰った。男は佐久間建市郎、マンモス大学の学生だった。

 検索してみると、安物の男性雑誌のような記事から、ちらほら佐久間建市郎の情報が入手できた。それがさっきの情報だ。すぐに警察に行き、遠山の時知り合った刑事さん? に相談した。すぐ訴えるのは難しいとのこと。訴える気はなかった。昨夜佐久間が襲ってきたことは伝えたが、反撃したことは言ってない。偶然かわせて、睨み合ったあと、佐久間が自分で名乗って捨て台詞「せいぜい身の周りに気を付けるんだな」と言って去ったとしか言ってない。怖くなって今、駆け込んだという話になっている。僕は非力な一般市民だからね。奴は警察にかかわりを持ちたくないだろうから、なんとか自分で知り合いの医者にでも頼んで治療してもらい、公にはしないだろうと思った。だが、厄介だ。犯罪を常習的にしているグループが相手だ。これがプロならまだ交渉の余地がある。プロなら組織化されていて、何より利益が第一だからだ。しかし、プロ並みのえぐいことをしながら、それを趣味や遊びでやってる奴らは、何をするか分からない。今までそれほど何とも思っていなかった遠山小夜が亡くなって、突然彼女は彼らの女王になったのだろう。何となくの佐久間の思いが、「死」ということで純愛に変わったのかもしれない。なんせ、奴らはバカだから。

 死というのは、厄介だ。誕生と比べてみればわかる。子どもが生まれると、まずうれしい。しかし、目の前の赤ん坊を見て心底かわいい、愛おしいと思い、しかし、夜泣く、オッパイを飲まない、手がかかる中で、プラスの感情、マイナスの感情が入り混じり、赤ん坊の存在がますます強化される。周囲の我々は、刻刻変化する自分の感情に振り回され、常に赤ん坊を意識させられる。一方、「死」とは欠落、不在だから、突然置いてきぼりにされ、喪った感情、欠落感、それによる寂しさを時として感じるが、いくら深めてもそれ以外の感情がない。ただひたすら失ったことへの思いしかない。長年連れ添った伴侶なら、もはや一体化してるだろうから、欠落感は半身を失ったように思えるだろう。だが、半身を失った思いとは、どんな思いだ? それを悲しいとか、寂しいと表現するしかない。伴侶を失った人々が鬱になるのは、自分の感情を言語化できないからではないのか。言語化できないとは、そんな感情がないというのではなく、ただ、大事なものを失った時に感じる、惜しいとか、後悔とか、悲しい、寂しいという感情をすべて含んだそんな一言で表現できる言葉を我々が造語しなかったからではないのか。「死」とは言葉に見捨てられることだ。言葉で表現できないのではない。そもそも言葉がないのだ。だって、対象物の喪失なのだから、喪失感しかないわけだ。

 遠山小夜が死んで、突然彼女に対する思いを感じた佐久間は、誰かに責任を負わせようとした。これは甘美だ。彼女はもういない。もう煩わされることはない。一方で好き勝手に彼女を失った可哀想な自分に浸れる。大学生にもなって、愚の骨頂だがその程度のメンタリティなのだろう。ただ、厄介なのは、奴がグループだということ。佐久間がやられた。それを放置すれば、暴力で運営している組織が壊滅する。その点はプロも同じだろう。顔を潰されたとか、落とし前というもの。利益を一旦、チャラにしても守るべきもの。それが彼らを存在させてくれてるのだから。しかし、プロなら、潰れた顔を立てればいい。金銭とか、その他の見返りで修復できる。何よりプロだから。プロとはそれで身過ぎ世過ぎしているわけだから。アマは違う。無茶をする。それしかないから。それで僕は警察に駆け込んだというわけ。こんなことで解決するとは思っていない。しかし、佐久間の件でグループがどう動くか分からない。少なくとも、佐久間の様子は知れ渡っており、何とかしないと組織の存続に係ると判断するだろう。組織は彼らの遊び場だ。大なり小なり王様の彼らだが、やがて社会に出て行くのだろう。そこには大王様がいて、彼らのような王子さまは相手にされない。彼らはそれを感じている。だから、せめて今だけの、この王国を死守しようとするだろう。それを相手にするには、対抗できる組織が必要だ。彼らは関係者に実力者がいる。一方で、相談に行った警官は彼の名を知っていた。つまらないトラブルを繰り返し、鬱陶しい奴らだ。その辺りのチンピラならあんなでかい顔をさせないものをと苦虫を噛み潰した顔をしている。今後条件が整えば、彼らはそれっとばかりに彼らに襲い掛かるだろう。条件は今から作る。だから、そのための第一歩が警察への相談だ。

 青戸が使えそうだった。奴は彼らと似たようなことをしている。一方で坊ちゃんグループには入れない。近親憎悪かな。仲間外れ? 奴は少なくとも僕より彼らに親しさを感じ、しかし、相手にされない悔しさを感じている。

 遠山が手頸を切ったとき、一応部屋を確認した。時間をかけるわけにはいかなかった。遠山から連絡があって駆けつけたら死んでいたわけだから、その誤差の範囲が持ち時間だ。携帯を押収して、彼女の顔を認証させてロックを解除した。全部で5つほどもあったが、ざっと目を通して電源を切り、2つ持って帰った。様々な男の写真や個人データが入っていたが、たいしたものはない。まあ当然だ。そこに二人足した。一人は指定暴力団の幹部の子供だが、籍は入っていない。母親がいろいろ世話してもらっている。彼は実の父のことを知っていた。そのうえで彼とは関係のない世界で生きるのだと、勉強し、一流大学に通っている。もう一人は大企業の重役の子供だが、やはり籍には入っていない。同じように、実の父の力は借りたくないと頑張って今、やはり一流大学に通っている。二人とも教え子だ。彼らの写真を少し細工して遠山と関係あるようなものを作った。合成したチャチなもので、しっかり裏をとれば、すぐばれるようなものだが、それでいい。青戸に遠山の携帯を渡して、中の写真を見せて

「こんなものがあるんだが、金にならないかな? 」と持ち掛けた。

 一般人ならいいんだが、学生相手はどう金にしていいかわからない。どうせはした金だろうしと言っておいた。学生なら奴らが動く。金はいくらあっても欲しいものだ。相手が自分たちより上の学校ならコンプレックスもうずく。ちょっかいを出すんじゃないか。佐久間のことがある。今はまず金を作る必要がある。因縁をつけられた二人は自分のしたことなら仕方ないが、身に覚えのないことならきっと周りに相談する。親父さんに話が行けば、万々歳だ。

 もちろん、こちらはばれないように場所を変えながら、奴らのために追肥のように情報を作っては青戸や、奴らの目につくブログ等に情報をばらまき、一方で、奴らの追跡を巻きながらの半年間はけっこう不便で息苦しい毎日だったが、何とかけりがついた。それがあの記事だ。知ってるだろ。


補 朝日麹市一家六人殺害事件について

 指定暴力団青戸組が樋田さんの一家を惨殺した事件は、ゼミの先輩がフィールドワークで聞き取りし、レポートも発表されているので、この件に関する補足として、概略だけを説明する。朝日麹市の青戸組は暴力団に指定されているが、構成員は勇治とその息子たち三人の計4人だ。修二は次男で、長男は勇一、三男は三郎。他にまだ子供がいたらしいが、幼いころに亡くなっている。妻は和江。後に聞いたところでは、幼いころに亡くなった子供は虐待死、三人の息子も大なり小なり虐待されている。というか、暴力が日常茶飯事の世界なのだ。和江は何度か、子供を堕しているとも言った。青戸組は全国的な大組織の傘下なのだが、その力関係がどうもよくわからない。上納金のようなものを納めているが、納めないと潰されるのか、納めることで虎の威を借りているのか。いずれにせよこの事件も背景はその上納金だった。青戸組は闇金、恐喝、詐欺のような方法で世を渡っていたが、潤沢な資金はなく、なけなしの金を無理やり貸し付けては法外な利息を要求するというようなことをしていたらしい。樋田さんは親戚で日ごろは親戚付き合いをしていたが、ちょっと金が要りようになった時、青戸勇治が提供を申し入れた。樋田さんは暴力団ではないが、真っ当な堅気とも言い切れない、いわば灰色のような領域だ。肉体労働の派遣というか、時代劇の口入屋とでもいうイメージか。珍しく風俗系の女性の斡旋を頼まれてその方面には疎く、顔が利くものに依頼した。軍資金が足りなかった。数日で返せるし、何より日ごろから親しくしてる仲であるので、言われるままに借りたが、返す段になって法外な利息を要求してきた。怒った樋田さんは借りた額に少しの利息を加えた金銭を勇治の顔面にまさしく叩きつけて、青戸の家を出た。青戸の家は町はずれの川べりで、人通りも少なく、その現場にいたのは勇治と息子達、妻で母の和江だが、皆の証言は一致しており、その通りなのだろう。勇治は勇一と三郎に樋田さんの一家殺害を指示する。樋田さんとその妻みどり。樋田さんの母房子。長男の毅。長女の桜子。結果として偶然毅といた友人の徳山淳も被害者になった。勇一と三郎は毅を呼び出し、うちの親父が怒って樋田さんとの仲がこじれた、その相談がしたいとクルマに連れ込み、首を絞めて殺した。毅は修二と同学年でよく遊んだ仲でもあり、警戒してなかったそうだ。前の座席に勇一、助手席に毅さんを座らせ、後ろから三郎が頸を絞めた。勇一は全身で毅さんを抑えた。耳元で「ごめんな」と言いながら、笑っていたそうだ。殺して樋田さんの家に行き、毅さんの遺体を、話していたら突然気分が悪くなったらしいと肩を抱いて車から降ろし、家に入れたのだが、樋田さんは毅さんの苦悶の形相と首筋の跡を見て、察知したらしい。「お前ら、何をしたー。」と叫んだ瞬間、三郎が手にしていた金属の棒で樋田さんを殴った。「ううっ」と声を漏らし、反射的に手を頭部に持って行った瞬間、三郎は体当たりで樋田さんを倒し、手の金属の棒で滅多打ちにした。表の騒ぎを聞きつけ、奥から出てきたみどりさんと桜子さんには勇一が対処した。やはり金属性の棒でみどりさんの頭部を殴り、すぐに桜子さんも同様に殴った。桜子さんはまだ中学生だった。みどりさんは桜子さんが殴られたのを見て、自分も深手なのに庇って何度も殴られ、やがて意識を失ったみどりさんの襟をつかんでむこうに投げ捨てるようにすると恐怖で震えている桜子さんを殴った。遅れて出てきた徳山淳さんには勇一が殴りかかった。奥に進んで寝たきりの房子さんを殺害し、家に火を点けて家に帰った。

 なぜ、そこまでする必要があったのか、分からないのだが、消防車が到着し、遺体が発見され、その遺体の損壊状況から犯行はすぐにばれた。関係から青戸の一家はすべて逮捕されたが、その取り調べで、青戸家の下働きの若者三人の遺体が敷地から発見され、稀にみる大量殺人事件に発展した。

同じゼミの先輩で青戸事件をフィールドワークした先輩は拘置所から刑務所へ移動した数年にわたって聞き書きをしている。特に協力的だったのは、長男勇一と母の和江。勇一に動機を尋ねると、

「目の前を蠅がとんでりゃ、殺すだろ、ゴキブリだって、蚊だって。」という答えだった。解答は違うが、その内容については和江も、勇治も同じだった。三郎は面会を拒否した。人間関係において青戸の家族はみんな最初は恫喝から入る。初対面、アクリル板が貼ってある面会室に入ると、ドアが開いて入ってくる勇治や和江、勇一、様子がすべて同じだった。ゼミの先輩が待っていることをドア越しに確認してから、わざとゆっくり入ってくる。肩を怒らせ、ふてぶてしい態度で見下げるような視線で相手を見る。そして、

「なんじゃ、わりゃ!」と大声で叫んでアクリル板に詰め寄る。同席の係官が制止すると席に着く。差し入れをして、次回はどんな差し入れがいいか尋ねると菓子類を望んだ。そして機嫌がよくなり、べらべらとしゃべる。

 しばらく面会すると、勇治は飽きたのか、面会を拒否するようになった。刑務所の差し入れに大したものはないし、話も飽きた様子だった。

 和江と勇一は、会うたびに態度が変わっていった。先に書いた様子からやがて、ゆっくり落ち着いて話すようになり、勇一は本を借りて読んでいることを話すようになった。和江は子供たちのことを聞きたがるようになった。また二人とも殺した相手に対して、反省の言葉を述べるようになった。これは裁判を意識してというようなことではない。まず思ったのは人の性格は遺伝か環境かということだ。暴力が支配する社会に生きてその価値観で生きてきた二人だったが、刑務所に入って新しい周囲、価値観で世間の常識のようなものに触れたようだった。勇一は少年院の経験があるはずだが、その時はなぜか、残念ながらそこまでの影響がなかったようだ。あるいは、前回は出ればまた、暴力の世界に戻るため、変わっていくことを知らず拒否してたのかもしれない。今回はもう、出ることはない。死刑が確定していた。二人は何にもこだわらず、変わっていくことができた。勇治は残念ながら変われなかったようだ。ただそれは、勇治がサイコパスだからではなく、能力の限界という印象だった。遺伝か環境か、犯罪の背景などは、ゼミの先輩のレポートを読んでもらうとして、私が考えたのは、人生観の作られ方だ。

 人は周囲を見て人生観を確定していく。人生の危機の対処として何か手に余ることがあると自殺する家系、逃亡する家系などというのは、近親から危機対処の方を学んだのだろう。

 修二の彼女のインタビューで、二人の出会いは強姦だそうだ。その後の交際について、なぜ逃げなかったのかと聞くと、(強姦の後、それを脅迫の材料にしてつきまとっていたと思っていたのだが、)怪訝な顔をして、「修二は優しいよ」と彼女は言った。和江の場合も勇治の強姦から関係が始まっている。DVのようなものだろうか。恐怖と優しさを交互にして離れられなくする。恐怖は使わないが、圭介は相手の顔色を瞬時に読み取り、様々な感情を送り、起こさせ相手をコントロールする。青戸の家や似たような環境の家では、それらの行為が長年の経験からマニュアル化され、染み付いているのだろう。強姦されても女は快感を覚え、男の言いなりになるという、誠に男に都合のいい身勝手な妄想など糞食らえだが、快感は置いといて、ある特定の男女の世界ではそのようなものもあるらしい。男に都合のいい妄想を女が信じて尽くすことで、男に気に入られる。そんな男社会の神話に従順な生き方をしている女性もいる。

 ある世界の人々はその世界特有のマニュアル化した常態の行動で活動し、圭介は感情を読む天才的な技術を駆使して、人をコントロールする。


事例4 青戸修治殺害について

 ―――さて、学生ギャングというか、チンピラとの、不運のような揉め事のケリがついたはずなのに、なぜ青戸修治を殺す必要があったのか。青戸の一家ならわからないでもないが、君ほどの人物がなぜあんなことを。


 事件の終息は見えていた。追手の圧力が不意に弱まり、警察の知り合いに余裕が出てきた。ああ、事件は終わるなと思っていたら、ある朝のワイドショーで、奴らの連行されているシーンが映し出された。旧悪が暴露され、画面左に主だった顔ぶれの写真が次々に映し出された。下には名前のほかに大学名、年齢、回生など。すべてが終わった。僕はソファーに座って、青戸は床にじかに座ってテレビを見ていた。

 ふいに耳元で「うん、そうだね」とささやかれた。思わず振り返ると、誰もいない。潜伏先のシティホテルで、狭い部屋の大部分はベッドが占領し、片隅にソファー、その後ろは窓だ。「答え合わせ」って言葉が浮かんだ。うん、今我々は答え合わせをしている。奴らに対して、身を隠し、罠を張り、その結果こうなるようにした。そしてその通りになった。前もって出した答えは合っていて大きな丸をつけた。私は人生のあらゆるテストで答え合わせをし、合格点を取ってきた。僕は自ら最適な良問を出題している。その時の環境や状況を読み、対象人物を把握し、成るべき未来に誘導している。でも答え合わせって、退屈だよね。もうすべて終わっているのだから。「うん、そうだね。」すべて見透かされた言葉というかな。あるいは、これから何度、この「うん、そうだね」を聞かなきゃならないのか。そんなもううんざりすることばなんだ、「うん、そうだね。」

 目の前の修治は隙だらけで座ってる。お前と僕の関係はそんなものか、騙し騙され、利用しあう、隙あれば食い合う関係じゃないのか。こいつのこの馬鹿さ加減に辟易した。首筋など無防備で、護身用のナイフを当てるとすぐに仕留められる。まるでここですよって首筋に後光がさしているようにさえ見えた。で、やってしまったわけだ。理由なんてないよ。我慢できなかったんだ。裏山で小動物を殺さないとどうにかなってしまいそうな息苦しさ。あれと一緒さ。誘惑なんだ。青戸は何が起こったかわからない風で、振り向こうとしたけど、ナイフでえぐってさっさと終わらせた。血が飛んだ。首を巻くようにして、下から刺したので横と床に血が噴き出した。思ったほど汚さなかったと思う。外線で警察を呼んだ。遠山と知り合いで、誤解から学生チンピラに狙われて、偶然青戸と行動を共にしていたのだが、何を思ったか突然青戸が襲ってきて、もみあいの結果こうなったと話した。ナイフは青戸のものだと言った。もみ合った形跡がないこと。首筋の傷の角度が不自然なことなど、不審な面は多々あった。何より遠山の件で警察に私の名が知られ、いくつかの事件に関与している人物となっていることがまずかった。しかし、証拠はない。動機もない。裁判は過剰防衛ということになった。私は上告しなかったので結審し、新たな証拠が出ない限りやりなおしはない。ここでいくら話しても、あれは君を楽しませるためのデマですと言えば、向こうは黙るしかない。嘘の要諦は最小限であること。嘘は矛盾するから、多くつくとほころびは多くなる。一番大事なところに一つだけつく。これがポイントだ。


 よく分からないって? 説明の仕方を変えよう。

 うーん、多分人が増え過ぎたからかな。人類が狩猟、採集生活から牧畜、農耕をするようになって、つまり、計画的に栄養面での危機を回避するようになって、「未来」ができた。今はこうだから、次はこうしよう、こうなる。因果は今とこれから、過去と今を繋ぐ。繋ぐのは「必然」でそれが「意味」だ。当然こうなるだろう、こうなるのは当然だ。大量の獲物、豊作を祈願した原始宗教はアニミズムだが、世界に通じる宗教が現れるのは、それが我々に「人生の意味」。なぜ、我々はここにいるかを教えるからだ。

 人が農耕を始める。精鉄器具の普及、肥料の改良、様々な農耕手法の変更等、農耕技術の進歩で生産がある時、一挙に増える。すると、人口も増加する。余剰人口の使い道が「都市」だ。農業生産は飛躍的に増えたが手は余っている。食わせる食糧はある。余剰人口のある者は大集団になった人々の管理を暴力を使ってなど勝手に始め、搾取する。ある者は生産を支える道具や人々をサポートする医療、快適な居住環境のためのメンテナンス等に役割を求めて、友好的に居場所を確保する。産業にも変化が起こる。生活の形式が変わる。今までと違う文化ができる。

 それでも人口増加は止まらない。戦争が起こる。余剰人口の削減と耕地の荒廃が増加に歯止めをかける。そして復興した人はまた、新しい技術で余剰人口が支えられるようになり、と増加と一旦停止が繰り返される。人口のバブルとその崩壊かな。


  あるいは、よくある話だけど、エリートの兄が引き籠ってしまって、でも四十を過ぎたある日、彼は部屋を出る。父の仕事を手伝って、黙って一緒に車に乗り込み、現場で作業機械の積み下ろしを手伝い、見様見まねで仕事をする。初めは無視していた父も、仕事の手順やコツを教え始める。まだ上手く話せないが熱心に聞く姿勢に次第に家族の平穏が戻ってくる、と、今まであんなに頑張っていた妹が今度は鬱になる、引き籠る。これをフロイト的に、ユング的に現存在分析的に家族分析的に考えることは可能だ。そしてそのどれもが一面の真理を含んでいるだろう。家族の病と考えるべきか、個人のコンプレックスと考えるか。何らかの依存を持つ者の家族は、家族のパワーバランスで生きていると考えれば、妹は存在意義を失ったからそうなったのだろうし、兄に代わる家族の絆を繋ぐものとしてそうなった。自分と家族を円で表現して、その交わる部分をどうとらえるか。自分の一部として大事にするか、自分を捉える部分として切り捨てようとするか。

 手帳の予定を埋めることにあくせくしてる人がいる。人生に生きる意味などない、自分で作り出すのだという実存主義は、ではこの高齢化社会で、今更新たに人生の意味を作り出すには身体的、時間的、社会的に無理な人々にまでそれを強要するのか。人生には意味などないといったではないか、だから誰であれ、自分の人生は自分でい決めるしかないのだというなら、では自殺も認めるのか。家族であれ、社会であれ、意味とは原因結果であるなら、何かとの関係でしか成り立たない。単独での意味などない。ある面であろうと、人より優れたものができ、その面に関しては君の存在意義はもうないのだよ、日々の生活に汲々としていてそれ以外に手を伸ばせない我々は人生の意味など探していられない。日々の生活に追われ思考停止しているうちはまだ幸せだ。立ち止まったとき、「君はどう生きるのだ?」と尋ねられたら、どう答える? 我々に明日がない限り、目の前の誘惑に乗っていくしかないではないかと答えるしかない。僕は修二の誘惑に乗るしかない。

 拘置所での会見を終えた。彼はもうすぐ放免となる。執行猶予がついたからだ。だが、警察のマークは厳しくなるだろう。どうするのかと思っていた矢先、彼の死が伝えられた。翌日、亡くなっていたそうだ。自殺ではない。病因も認められず、しかし、彼は死んでいた。安らかでも何でもない、ただの普通の死に顔だったそうだ。


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