59 たったふたり①
***
実技試験が終わり、冬休みがやってきた。
年末年始は、生徒はみんな帰省する。私も、王都の屋敷に帰った。普段は領地にいる執事や侍女達も集まり、久しぶりにみんなで豪勢な料理とお喋りを楽しんだ。
そして短い冬休みが明け、少し経った。
二月に入ると、気温はさらに下がり、池の水も凍るほどの寒さが毎日続いている。
私の魔法研究は、着々と進んでいた。第二段階も最終局面に入り、あとは細かい調整や確認をするだけだ。それが終われば、第三段階。私は、この第三段階を来年の夏前までに完成させる計画を立てている。
世界が『まじらぶ』通りに進めば、魔物との大きな戦いが起こる。それが、来年の夏休み前なのだ。
私は、これまでよりさらに研究に没頭するようになった。食事の時間になっていることに気づかなかったり、徹夜して研究したりすることも増えた。
そんなある日、ハンナがとうとうキレた。
「お嬢様! お肌と髪に悪いので早く寝てくださいと、何度言ったらわかるのですか!」
……ごもっともです、はい。
「徹夜なんて、脳や身体にも悪影響しかありませんよ! 食事だって、集中しているからといって抜いてはなりません! 魔法を使うと、エネルギーを消費するんです! 若いお嬢様は気づいていらっしゃらないかもしれませんが、御身は相当お疲れですよ! こんな若いうちから、身体に負担をかけてはなりません!まだ十五歳でしょう」
……返す言葉もございません、はい。
「それにお嬢様、明日からテスト期間に入るのでしょう? 前回の数学のあの点数、ハンナは忘れておりませんよ。……お嬢様、まさかとは思いますが、試験の存在を忘れていたなんて言いませんよね?」
……かんっぜんに、忘れておりました……すみません……。
最近、ハンナがさらに般若のようになっている気がする。
まあ、すべて私が悪いのだが。
そんなこんなで、私は今、図書室にいる。
昨日、ハンナにこっぴどく叱られたからである。
図書室には、他にも勉強している人が多くいた。皆、真剣な顔で机にかじりついている。衣擦れの音ですら、たてるのを憚られるほどだ。
その中に、知り合いを見つけた。
途端に心臓がとくとくと脈打つ。
彼の隣の席は、ちょうど空いている。私ははやる胸をおさえ、その椅子を引いた。
「お隣、失礼してもいいですか。ユーリさま」
声をかけると、彼は顔をあげた。
「ああ。どうぞ、アリア嬢」
その声音が耳を撫でるだけで、私の心は舞い上がる。
「ありがとうございます」
私は、椅子に腰掛けた。
彼の肩が、とても近くにある。こんな距離は、秋、裏庭で読書をした時以来だろうか。
心臓がうるさい。隣の黒髪を、肩を、ペンを持つ筋張った手を、意識してしまう。ちらちらと、目で追いかけてしまう。
――だめだだめだ。集中!
こんなんじゃ勉強になりやしない。
私は頭を振って、雑念を心から追い出した。
そして、数学の教科書とノートを開く。ペンを握り、問題文を読み始めた。
数分後。
私はペンを握ったまま、数分前と変わらない姿勢で固まっていた。
―― 何もわからない。
目の前には、見覚えのある記号の羅列。
それらを授業で習ったのは確かだ。板書をした記憶もある。意味も使い方も、ちゃんと覚えている。
なのに問題が解けない。解くための手がかりが、何も思い浮かばないのだ。
真っ白なノートを見つめて硬直していると。
「……アリア嬢」
ユーリさまが小声で話しかけてきた。
「違ったら申し訳ない。だが、先ほどからずっと固まっているようだが、もしかして、解けないのか?」
「情けないことに……はい……」
「情けなくなどない。これからたくさん演習すれば、きっと解けるようになる。だから、その……だな」
ユーリさまは、言いづらそうに俯く。
そして、さらに小さな声で言った。
「俺が、教えようか」
「いいのですかっ?」
周囲の生徒達が、一斉にこちらを向く。
しまった、つい声が大きくなってしまった。
「教えていただけるのならぜひ、お願いしたいです!」
「ああ。どの問題だ」
「えっと、教科書の、この問題なんですけど……」
ユーリさまにも見やすいように教科書の向きを変えると、彼は覗き込むように顔を近づけた。
爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。ユーリさまの香水の匂いだろうか。
落ち着いていた心臓が、またとくとくと脈を打ち始めた。ユーリさまの顔が、とても近くにある。
「ああ、この問題か。これなら、――」
そう言いながら彼は顔を上げ、
「っ!」
ばっと後ろにのけぞった。つい反射的に、というふうだ。
その頬はほんのりと赤い。
「す、すまない、近づきすぎた」
「だ、だいじょうぶですっ」
私も、顔が熱くなる。
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