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悪役令嬢が溺愛エンドを迎えた世界に、魔法オタクが転生したら  作者: じうかえで
第一章 ヒロインらしくしなくてもいいよね?
13/68

13 追憶①

※血などの痛々しい描写があります。できる限り軽くはしていますが、苦手な方はお気をつけください。セリフだけ読むこともできます。



***



「じゃあ、本屋さん行ってくるから。帰ってきたら、『まじらぶ』先に読ましてあげる」

「ありがとう。行ってらっしゃい、お姉ちゃん」


 部屋を出る直前、少女は一歳年下の妹を振り返った。


「まだ熱があるんだから、ちゃんと寝とくんだよ? 何かあっても、おじいちゃんたちはすぐには帰って来れないんだから」

「大丈夫大丈夫、わかってるって。大人しくしてるから」

「ならいいけど」


 口を尖らせてそう呟いた少女は心配そうな顔をしつつ、部屋を後にする。

 部屋に一人残された妹は、それまで腰掛けていたベッドに倒れ込むと、静かに目を閉じた。なんともいえない孤独感が彼女を襲う。

 静寂に支配された部屋は、一人で過ごすにはいささか広すぎるほどだ。その広さの割に家具は少なく、代わりに全ての棚や机の上には、何冊かの本が背表紙をきっちり揃えて並べられていた。少女の背を包み込むふかふかのセミダブルのベッドはレースの天蓋付きで、少女はその白いレースの裾を足先でいじる。このまま、この孤独が永遠に続くような気がした。





 日が傾き始め、西の空が黄色味を帯びてきた頃。

 心地よい暖かさに微睡んでいた少女は、けたたましく鳴り響くコール音に気付き、手探りで枕元に置いたスマートフォンを掴む。

 焦点の合わない視界にぼんやりと『あやは』の文字を見つけ、画面に触れる。


 次の瞬間、まだ微睡みの中にいた彼女の脳は瞬時に覚醒した。


「もしもし、津門綾羽さんの家族の方ですか? 綾羽さんが、事故に遭われまして――」


 聞こえてきたのは、見知らぬ男性の声。

 呼吸が止まった。全身がどくどくと、これまでにないほど速く脈打っている。嫌な汗がじわりと吹き出し、身体中が熱を持った。なのに微かな寒気すら感じる。高速で働きすぎて気を失いそうな脳を、必死に働かせた。そうしてやっと絞り出した声は普段の少女のそれより低く、激しく咳き込んだ後よりも苦しい響きをしていた。


「どこ、ですか」

「カドソノ書店の前の交差てーー」


 震える手の中の板から聞こえてくる声は、やはり姉のものではない。機械を通した無機質な男の声を遮って、少女は言葉を発していた。


「すぐに行きます」


 それだけ言って、電話を切る。


 全身が震えている。最悪の想像が身体中を駆け巡り、それを掻き消すように、鍵を乱暴に掴み家を飛び出した。

 ただ走った。微熱があることも忘れ、自分が部屋着なのも忘れ、がむしゃらに走った。

 たった一人の姉。残された、唯一の親しい家族。数年前に両親が死んでからは、二人で助け合って生きてきた、たった一人の大切な人。綾羽を失ったら、自分は生きていくことは出来ないと本気で思っていた。


 事故現場はすぐにわかった。まだ警察も救急車も来ていないそこには、既に人だかりができていた。


「すみません、通してください……!」


 人々の間を縫って中央に出る。視界が開けた時、そこには頭から血を流した姉がぐったりと横たわっていた。そのすぐそばには大型のトラックもある。


綾羽(あやは)!」


 叫びに近い声が出た。

 呼ばれた姉は、覇気のない瞳に駆け寄ってくる妹の姿を映すと、力なく微笑んだ。


「くれ、は」


 か細い声が、彼女の状態を残酷なまでに示している。

 普段の姉なら「大丈夫大丈夫」と言って笑うところだ。姉は、どんな時でも呉羽を励まし、安心させてくれた。


「お姉ちゃん! 綾羽!」


 呉羽は彼女のそばに膝をついた。

 頬を伝った涙が、アスファルトの地面に歪な円形の染みをつくる。染みの形は、すぐにひょうたん型になり、有名なネズミの形になり、次々に丸は増えていった。


「死んじゃ、()だ……!」


 綾羽がふっと目を閉じる。


「綾羽!」


 呉羽が叫ぶ。ボロボロと涙を零しながら、姉の手をとった。

 数歩離れたところにいたスーツを着た男性が、二人の方へ歩いて来て、言う。


「救急車は呼びました。あと、携帯の電話帳から、お祖父様にもご連絡を……」


 電話と同じ声は、電話よりも憔悴しきっていた。だが呉羽も、小さくありがとうございます、と返すのがやっとだった。

 姉の癖毛を撫でる。こんな状況でも、髪はいつもと同じ手触りで、血の匂いの中、微かに花の香りがする。


呉羽(くれは)


 目を開けた綾羽が、微笑む。妹を宥めようとして見せたその顔は、潤んだ瞳は、真っ直ぐに妹を見つめていた。


「約束して」

「綾羽……?」


 弱々しい声は、小さな子どもに言い聞かせるように優しく紡がれた。


「前を向いて。目線を上げて、笑って」


 それは、たった一人の妹への言葉。両親を(うしな)い残された、唯一の家族。自分の生き方を、背中を追いかけてきた、たった一人の大切な人。

 守りたい。その無邪気な笑顔を。可愛らしい泣き顔を。かつては自分の服の裾をちょんと引いていた、小さかった手を。自分とは対照的にさらりと流れるまっすぐな黒髪と、それに映える真っ白な肌を。傷つきやすく、数年前から塞ぎ込んでしまった硝子細工のような心を。美しく輝く、黒く濡れた瞳を。


「世界と、ちゃんと、向き合って」


 そして、それを通して彼女が見ている、残酷で美しい世界を。

 かつて彼女を傷つけた、この世に一つしかない世界を。

 たとえ、自分がその残酷さを、彼女により一層深く刻み込むことになってしまうとしても。


 呉羽が声にならなかった息を漏らす。


「――っ」


 世界は残酷だ。それでもやはり、美しいのだ。

 姉として、一番近くにいた心の友として、願わずにはいられない。

 自分の大事な大事な妹が、人生を楽しんでくれることを。本の中じゃなく、現実の、自分の目に映る世界に、もう一度目を向けてくれることを。


 声にならない叫びがまた呉羽の喉から漏れる。あやは、と唇が小さく動いたが、声にはならない。


「どんな時も」


 宥めるような弱く優しい声は、ほとんど息に変わっていた。


「これからも」


 綾羽は目を閉じた。熱い雫が彼女の頬に落ちる。呉羽が落とした涙だ。それと同時に、彼女の瞼の縁からも涙が溢れ出し、そのまま目尻を伝って零れ落ちた。力ない笑みをつくる唇がふるりと震え、息だけになった言葉が紡がれる。

 呉羽が、堰を切ったように声を上げて泣き出した。


 綾羽の呼吸は次第に弱くなっていく。その瞳に愛しい妹が映ることは、もう無かった。



***



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