1 赤ん坊に何ができる?
アレン・シウバ、それが俺の異世界での名である。
ちなみに今、俺のことを抱っこしてくれているのは、母、スミレ・シウバ。
艶のある金髪ボブが印象的で、きめ細やかな肌に大きな瞳。
とにかく世界で一番「美人」という言葉が似あうであろう女性だろう。
前世の記憶がある俺にとって、血のつながった母が現実離れしすぎた美貌の持ち主だとは・・・
少し慣れるまで時間がかかりそうだ。
「わー! ミアも抱っこしたーい!」
駆け寄ってきたのは、ミア・シウバ、姉である。
ミアは5歳の女の子で、母の美貌を完全に受け継いだ別嬪さん。
ぷっくりとした頬を掴んで、横に引っ張ったりすることが小さな夢の一つ。
「おう、皆してこんなところにいたのか」
父、ガレン・シウバの野太くありながらも優しさが滲み出た声が安心感を与える。
「あなた、お仕事中でしょう」
「なに、アレンに会いに行くと言ったら部下たちは快諾してくれたぞ」
「またそんなこと言って。ちゃんと皆さんにお礼を言うのよ?」
「ああ、わかったよ、スミレ」
父と母がキスを交わした。
両親とは言え美男美女どうしの光景は、見ていて美しいものだ。
さて、0歳の俺ができることはひたすら寝ることだけ。
寝て起きて、泣いて、おむつを替えてもらって、おっぱい飲んで寝る。
前世の記憶が17歳で思春期真っ盛りなので「それ」に興奮するかと思いきや、親子ということもあり、まったく興奮しなかった。
自分でも理由がわからない。
結局、一年中寝ることになるのも暇なので、〔賢者〕との対話を繰り返した。
〔賢者〕がどのくらいのことまで教えてくれるかの線引きは大体理解した。
まず、抽象的な質問や疑問には答えてくれず、具体的なものであれば答えてくれる。
例えば、この国の情勢は?と聞いても分かりません、と返答が来るが、この植物の特徴は?と聞くと、名前やその他説明など教えてくれる。
実際に母に外へ連れて行ってもらった際に、試して検証済みだ。
ただ、具体的な質問をするには俺が歩けるようになって、至る所を自由に行き来できなければ話にならない。
足腰に筋肉がある程度つくまでの辛抱だろう。
生後半月が過ぎました。
見事、家中を歩き回れるようになったので、探検をする毎日です。
〔賢者〕によれば、生後八か月から歩き始められる子がいるそうなので、俺は少し早いのだそう。
「あら、アレン様。もう歩けるようになったのですか」
「あぁい! おんちゃ!(はい! こんにちは!)」
「もう挨拶までできるように!? 子供の成長は早いですのね」
俺はお手伝いさんに対しても挨拶は抜け目なくすると決めている。
城のように広い我が家を毎日隅々まで掃除をしてくれて、なにより、俺の粗相を文句ひとつ言わずに片付けてくれる優しい人たちだから。
まだ言葉を正しく発音はできないが、伝わっているらしいのでよしとする。
今日は俺の一歳の誕生日会が開かれるそう。
しかし、父は仕事があり、母もなにやら忙しそうなので、夕食パーティまではフリー。
母からはあまり家中を歩き回るらないようにと言われているが、父がそのくらい元気があった方が男はいいんだ、と言って一応は許されている、と思う。
まだ怒られたことはない。
お手伝いさん(メイドさん)は、俺を見つけ次第、危険なことはしないようにと優しく忠告をする。
生まれてこの方、迷惑をかけないよう危険なことには手を付けていない。
外の世界を早く見たいが、ぐっと堪えて当分は屋内にいることとする。
今日はお昼までに、家にある大きな書庫に行く予定である。
書庫から一歩も出てこないとされる司書さんがいるとの噂を嗅ぎつけたので、大変興味がある。
どうやら、彼女はシウバ家の書庫の女神と世間では呼ばれ、圧倒的な知識量と、お姫様のような美貌とスタイルのせいで、熱狂的ファンがいるとかいないとか。
嘘か本当かは置いておいて、一度そのお顔を拝見したい―――ではなく、書庫に生き、今のうちから知識を付けておきたいのだ!
まずは、メイドさんに行き場所を伝えなくてはならない。
これは母との約束である。
破ると、二度とで歩けなくなってしまう危険性があるので、今の俺にとっては法律より怖いルールだ。
ちょうど窓ふきをしているメイドさんがいた。
「あいあい! ちょこ、ちょこにいきゅ!(書庫に行く!)」
「ちょ、こ・・・ああ! 書庫ですね! 書庫にはソフィア様がおられるので、安心ですね」
「そいあ?(ソフィア?)」
「ソ、フィ、ア、様です」
「ああった! あーとお!(わかった! ありがと!)」
「ああ、でも・・・まあアレン様でしたら大丈夫ですね」
はて、何が大丈夫なのだろうか。
まあいっか。
うまく呂律が回らないのがむかつく。
追々筋肉がつてくれば、解決されるといいが。
もう書庫の場所は把握している。
というより、〔賢者〕が覚えててくれるので忘れても問題はない。
―――これを右に行くと着きます。以上
本当に助かっています、ありがとうございます。
ナビ代わりにもなってくれるなんて本当に優秀で困ってしまう。
―――ナビではありません。〔賢者〕です。以上!
ん? 今なんか語尾が強くなかったか?
最近、〔賢者〕の感情が垣間見える気がするのだが・・・まあ気のせいか。
俺は大きな木の扉の前で立ち尽くす。
床から天井まで伸びた巨大扉を下から眺める。
こ、こりゃ大書庫やで!
東京生まれ東京育ちの俺が関西弁で言ってしまうくらいにはデカい。
そしてなにより・・・重い。
「あああいいいい!!」
いくら押してもびくともしない扉に唖然とする。
鍵がかかっているのかと思ったが、朝7時から開いているはずだが。
「ど、どちら様・・・ですか?」
か細い女性の声がした。
扉の向こう側から聞こえる。
「あえんでしゅ!(アレンです!)」
「あ、あえ・・・アレン様ですか!?」
「あい!(はい!)」
ゆっくりと開き始めた木製の巨大扉の隙間から見えた女性に思わず息をのんだ。
まず目に飛び込んできたのは、黒髪ロング!
どんなシャンプーを使っても再現不可能なまでに艶のある黒・・・いや漆黒。
小さな顔につく二つの大きな茶色い瞳は、しばらく見つめていると吸い込まれてしまうかのよう。
薄化粧で整えられた肌だが、もはや化粧をしない方がいいのでは!?
控えめな桜色の口紅が男の心を揺さぶり、その奥から聞こえてくるチェンバロのように心地よい音色の声。
はあ。
僕、あなたのことが好きです!
ああああ、落ち着け!
今日来た目的を忘れてはいけない!
目先の利益や欲を求めてしまった結果、自分を失ってしまう怖さを、前世の芸能人のスキャンダルで飽きるほど見ただろう?
今のうちから自制心を育まなければならない。
「ちょこおみあい、えう!(書庫を見たい、です!)」
「ちょ・・・書庫を見たい、と?」
「あい!(はい!)」
一瞬、口をすぼめて考え事をした後に、彼女は少し口角をあげて許可してくれた。
ソフィアの服装は黒髪によく似合う、黒をベースとした、胸のあたりに小さな黒のリボンがついた可愛らしい制服?だ。
丈くるぶしまである。
ソフィアの足を追ってついていくと、目が飛び出るような光景が目の前に広がっていた。
四方八方に広がる本棚のタワー。
しかもどの本棚もパンパンに本で埋め尽くされており、本の森といっても過言ではない。
「うああああ! つごおおい!(すごおおい!)」
「ですよね。私がここへ来た時からこのような感じです」
ソフィアはかなり若く見えるから、何代目かの司書さんなのだろう。
こんな量の本を一人で管理していると考えると、掃除だけでくたびれてしまうだろうに。
「管理だけで大変だ、と思いました?」
「んぐっ!」
「司書は私一人ですが、実はもっとたくさんの『助手さん』がいるんですよ?」
「じょ、じょちゅ?」
「ええ、書庫に私一人だけの時にしか現れてくれない、恥ずかしがり屋さんです。でも、アレン様も書庫に通い詰めてくだされば、いつか正体を現してくれるかもしれません」
ほう、一歳にして初のデイリーミッションができたぞ。
たくさんいる『助手さん』とやらの正体が気になるから、明日から時間があれば書庫に足を運ぼう。
ソフィアは俺の身長まで屈んで、目線を合わせて聞いてくれた。
「実は初めましてですね、アレン様。私は基本、この書庫から外に出ないので、いつかはアレン様のお顔を拝見したかったのです。わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」
「あい!」
「で、今日は何の御用ですか」
おっと、目的を忘れていた。
さすがに一歳になりたてなのに「将来のために知識を付けておきたい」と言ったら怖がられてしまうだろう。
もっと子供っぽくて、かつ、ためになる知識を得られる言い方は・・・
ちなみに、こういうときに〔賢者〕はなにも考えてくれない。
口には出さないが恐らく、言い方くらい自分で考えろやボケェとでも思っているのだろう。
―――ボケェとは思っておりません。以上
ほう。
ボケェの前までのことは否定しないんだな!?
まあいいや、もう慣れた。
「おんよむたい!(本読みたい!)」
「本と言われましても、かなり多くの、いろんなジャンルの本がありますからね・・・」
「まほう!」
「魔法・・・ですか。ではこちらへどうぞ」
再びソフィアの足を追っかけてついていった。
早いうちから魔法を身に着けておこう、という俺の目標はようやく進み始めたのだった。