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第1話 婚約破棄

「ヒストリカ・エルランド! 君との婚約を破棄させてもらう!」


 とあるホールのとある一角で、男の声が響き渡る。

 決して小さくない声に、招待されている面々が談笑を控え始めた。

 

 金箔がびっしりと散りばめられた壁に、思わず目を細めてしまうほど眩いシャンデリア。


 今宵、王都の一等地にあるホールはその内装の豪華さもさることながら、参加している人々の服装も一級品のものばかりでヒーデル王国の栄華を象徴する煌びやかさだった。

 

 道楽家で知られるローレライ侯爵家。


 その女主人の主催で開かれた夜会は、爵位や経験の差からなかなか上位貴族と関係を持つことができない若者のためにという趣旨もあって、全体的に二十代の若者が多い。


 もちろん、侯爵家と繋がりのある上位貴族の面々も多く招待されているため、この夜会をきっかけにお近づきになろうと様々な駆け引きが行われていた。


 そんな中で突如響いた男の大声。


 ゴシップネタに敏感な年頃の男女の興味関心は、フリルがたっぷり使われたドレスを着た令嬢と身なりの良い貴公子、そしてその真向かいで冷めた表情を浮かべる令嬢に注がれた。


「おいおい、あれって……『こおりの令嬢』か?」

「ああ、誰も笑ったところを見たことがないって言う……もう一人の方は……」


 ヒソヒソ声が飛び交う中。


「一応ですが、理由をお聞きしても?」


 冷めた表情を浮かべる令嬢──エルランド子爵家の一人娘、ヒストリカが尋ねる。


 背中まで伸ばした長髪は触れると冷たそうな白銀色。

 端正な顔立ちは美人と評するにふさわしく、吸い込まれそうなほど澄んだブルーの瞳が特徴的だ。

 着用しているアクアブルーのドレスは、子爵家の令嬢という立場も考慮して装飾が控えめなものだった。


「ふんっ、何をわかりきったことを」


 長めの金髪に濃いエメラルドの瞳。

 目鼻立ちが整った顔立ちは確かに見栄え良く、ヒストリカとの婚約前は何人もの令嬢に言い寄られていたほど。


 貴公子──ガロスター伯爵家のハリーは鼻を鳴らし言い放つ。


「俺の婚約者に、お前は相応しくないからだ。貴族学校での成績は常にトップで、首席の座もかっさらって卒業。聞けば、今は実家の領地の運営まで、つつがなくこなしているようではないか」

「えっと……それが何か問題でも?」


 表情を変えずに言うヒストリカに、ハリーはぶちいっと青筋を鳴らした。


「女のくせに出しゃばり過ぎなんだよ、お前は! 貴族学校時代からそうだった! 人を見下したような態度、見透かしたような目……女の分際で男よりも成果を出しやがって、可愛げなんざカケラもあったもんじゃない! もう、我慢の限界なんだよ!」


 顔を真っ赤にし忌々しそうに怒鳴り散らすハリー。


 恐れ多くもハリーよりも位の高い侯爵家主催のパーティで感情をあらわにし喚くなど失礼極まりない行為のはずだが、本人は己を制御できていないようだった。


 ハリーとは対照的に、ヒストリカは表情を無のまま落ち着いた調子で尋ねる。


「ようするに……わたくしとハリー様との間にある能力の差が、身分の差に即していない事にお怒りなのでしょうか? わたくしはハリー様のお役に立ちたいと思い努力致しましたが、それがハリー様のお怒りを買ってしまった、と」


 純粋な疑問を投げかけたつもりのヒストリカだったが、結果的にハリーがカチンとくるような言い回しになってしまった。


「きさっ……!!」


 ヒストリカの悪意無き事実確認に対し、おおよそ婚約者に対し投げかけるべきではない呼称をハリーはすんでのところで飲み込んだ。


 お互い十七で婚約を交わし、今は十九。

 ヒストリカとの付き合いもそれなりに長いため、ここではグッと堪えることができた。


 落ち着け、彼女はこういう人間だと、自分に言い聞かせるハリー。


 深呼吸をして、ぴくぴくと頬をひくつかせながらハリーは言う。


「ああ、そうだ、その通りだ。確かにお前の能力は高い、優秀だ、それは認めよう。だが、それ故にもう我慢ならんのだ。誉高きガロスター伯爵家の主人よりも、子爵家出身の夫人の方が優秀であるなぞ、あってはならんのだ」

(それは……自己研鑽を怠ったハリー様に理由があるのでは?)


 そう口にしたら更なる激昂を生みそうなので飲み込んだ。

 今宵、せっかく夜会を開いてくれたローレライ侯爵家に、これ以上迷惑をかけてしまうのは本意ではなかった。


(もう遅い気がするけど……)

 

 ざわざわひそひそと、一連の騒動を遠巻きに眺める紳士令嬢たちの視線が突き刺さる。


 あまりにも身勝手な婚約者の振る舞いに、ヒストリカは思わずため息をついた、心の中で。


 ……とはいえ、ハリーの言い分はここ、ヒーデル王国内においては肯定的に受け取られる理屈ではあった。


 ヒーデル王国は男尊女卑の風潮が異様に強い。

 淑女は紳士の二歩後ろに下がって控えめにと言った具合に。


 そういった観点からすると、確かにヒストリカの振る舞いはハリーの顔に泥を塗り過ぎた。


 家の教育方針とはいえ、その点はヒストリカにも非が多少は、いや、少し、ううん、スプーンの匙いっぱいくらいはある事もないかもしれない。


(……やはり、どう考えてもハリー様の怠惰が原因のような……)


 婚約を交わす前。

 貴族学校時代ではテスト勉強もロクに取り組まず連日遊び呆け、幾人もの女性にちょっかいを出していたハリー。


 毎日、真面目にコツコツと勉学に励んでいたヒストリカからすると、差がつくのは当たり前という認識だった。


「ふん、何も言い返せないか。当然の事だな」


 ハリーが鼻を鳴らす。

 言い返せないのではなく、呆れて物も言えなくなっているとも知らず。


「それに比べて、アンナ。君はなんて素晴らしいんだ」


 ヒストリカに向けていた声に比べると、十段階ほど優しくなった声。


 ハリーはそばに控える女性──ふわっと桃色のカールヘア、人形さんのようにあどけない顔立ち、オレンジ色のゆるふわドレスを着た──アンナの腰を抱き甘い声で言う。


「睡蓮のように佇み、蝶のように舞う可憐な君こそ、僕の婚約者に相応しい」

「ああん、ハリー様。いけません、皆さんが見ておりますわ」

「構わないさ。今日は僕たちの晴れ舞台なんだから」

(どう見ても醜態を晒しているのですがそれは……)


 観劇のクライマックスかくやといった甘く熱い空間を演出する二人とは対照的に、ヒストリカの内心では極寒の吹雪が吹き荒れていた。


「お楽しみのところ申し訳ないのですが……そちらはトルー男爵家のご令嬢、アンナ様と見受けられますが、あっておりますでしょうか?」


 ヒストリカが尋ねると、アンナは得意げな笑みを浮かべて言う。


「堅苦しいですわ、ヒストリカ様。元クラスメイトなのですから、もうちょっと砕けてもよろしくて?」

「口頭による事実確認は重要ですので。あと、お二人とももう少し公の場での振る舞い方を……まあ良いです」


 とうとう諦めたようにため息をついた後、返答を予想しつつヒストリカは問いかける。


「つまりハリー様は……わたくしという婚約者がいながら、アンナ様と懇意にされていたという事ですか?」

「順番が逆だ。婚約は先ほど破棄しただろう。僕とアンナはたった今、正式に愛を誓い合った。それだけの事だ」

「婚約は両家で交わされた大事な契約です。そう簡単に反故に出来るものでは……」

「細かい事は良いんだ! 僕の家は伯爵家で、君の家は子爵……それも君の家柄じゃ、どうとでもなる。賢い君ならわかるだろう?」


 ニヤニヤと意地の悪く笑うハリー。


 そんな彼に抱かれるアンナは今までの猫を被った庇護欲をそそる笑顔はどこへやら、口角を釣り上げ勝ち誇った笑みを浮かべていた。


(はあ……)


 もはやかける言葉すら見当たらないヒストリカ。

 言い返せないわけではないが、もう、どうでも良くなっていた。


 この期に及んでハリーとの関係を修復したい気は1ミリもなかった。


 再び沈黙するヒストリカに、ハリーは勝者の笑みを浮かべて言う。


「どうだ、悔しいだろう?」

「いえ、別に」

「……は?」


 強がりではなく、心の底からなんとも思っていない表情で、ヒストリカは言う。


「ちょうどわたくしも、今のハリー様との関係に思うところがございましたので、良い機会かと。ただ、形式とはいえ貴族間の契約を一方的に破棄した事に関しては後日、エルランド家から抗議と請求の文が届くかと存じますので、その点はご留意いただけますと幸いです」


 そう締めくくって、ヒストリカは深々と頭を下げた。

 

 ハリーは顔を真っ赤にする。


 大勢の前でこっぴどく婚約を破棄。

 しかも同級生の令嬢に奪われたという事実を突きつけ、ヒストリカの鉄仮面を崩し悔しがらせてやろうと言う魂胆だったようだが、当の本人には全くのノーダメージな様子。


「最後まで可愛げのないやつだな、お前は!!」


 悔しさを露わにしてとうとう声を荒げるハリーだが、ヒストリカは反応しない。


 ただでさえ騒動を起こしてしまっているのだ。


 これ以上この場に留まるのはよろしくない。

 

 というか、いたくない。


「末長くお幸せに。それでは」


 最後にそれだけ言葉にして、ヒストリカは身を翻す。

 ついにヒストリカが感情を表情に出す事はなかった。


「お前のそういうところが気に食わなかったのだ!!」


 後ろから聞こえる元婚約者クズの喚き声を受け流して、ヒストリカは足早にその場を立ち去る。


 その途中、すれ違った人々にヒストリカは軽く頭を下げて回った。


 そんな彼女の背中には、一連の騒動を目にしていた者たちがヒソヒソと囁く声が掛けられていた。


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[良い点] 青筋を鳴らすという表現は斬新だ
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