ぼくはただのデブ
ぼくはただのデブだ。
名前はあるけどどうでもいいぐらい。みんな『デブ』とか『ブタ』って呼んでるし、ぼく自身もそそれでいいと思ってる。それでみんなが面白そうにしてくれるのが正直いって嬉しいんだよね。
それがぼくの存在価値。それがあるからみんながぼくを仲間に入れてくれる。デブって呼ばれるのを嫌がって反抗なんかしたらひとりぼっちになってしまう。だからいつもニコニコしてるよ。ほんとうに、心から笑ってるんだ。
「おまえの笑顔見てると癒やされるなぁ」
生ビールを飲みながら、友達が言ってくれた。
「自分に彼女が出来ないこととか、どーでもよくなるわ」
「君ならすぐに出来るよ、きっと」
ぼくはジョッキのジンジャーエールを手に持ちながら、友達を励ましてあげた。
「顔は悪いし陰キャだけど、ぼくと違ってスマートだし」
居酒屋の片隅にぼくたち四人の笑い声が遠慮がちに響く。
みんながぼくに言ってくれる。
「デブぐらいいいやつなら彼女も出来るんじゃね?」
「でもデブだからなー……」
「デブの彼女いない歴21年、どこまで続くか……」
「ぼくは無理だよう」
ニコニコしながら本気で言った。
「デブだから」
「痩せようって気はないの?」
「正直、うちのバンドでベーシストだけ体型が違うの、ヴィジュアル的にどうかと……」
「おっと。ぼちぼちお開きの時間だ。終電なくなるぜ?」
居酒屋を出て、みんなで駅に向かって歩いた。街はクリスマス一色だった。
楽しそうに笑い合いながら歩いてるカップルたちを見送るたびに、ぼくはニコニコした。
幸せそうな人を見るのが嬉しいということもあるけど、やっぱりちょっぴり羨ましくて、なりたいものを憧れの目で見るように、ついニコニコしてしまうんだ。
「じゃ、またなー」
「次の練習は来年かな」
「良いクリスマスを」
そう言ってギターケースやリュックサックを背負い、3人のバンド仲間は改札を潜って行った。
ぼくは彼らを見送ると、ベースの入ったケースを背負って歩き出した。ぼくの家は徒歩20分だからね、歩いて帰るんだ。
歩いていると、コンビニの前に見たことのある顔があった。
「あっ? 葛尾くんたちだ」
葛尾くんは同じ大学の人で、ぼくらと同じくバンド活動をしている。ジャンルもバンドメンバーのキャラも違うけど二回ほど対バンしたことがあって、顔見知りになっていた。
ヘニョヘニョで人気のない陰キャ集団のぼくらと違って、攻撃的でカッコいいスリーピースのロックンロールバンドのギターボーカルをやってる、女の子にもモテる人だ。
葛尾くんはバンドメンバーの二人と一緒になって、一人の女の子に迫っているようだった。女の子は楽しそうには見えない。
よく見ると、知っている女の子だった。
知っているどころじゃない。あれは──
ぼくはお肉を揺らして駆け寄ると、声をかけた。
「く、葛尾くーん!」
ぼくの声に振り向くと、葛尾くんは面白い犬でも駆けてくるのを見るように、笑ってくれた。
「おう、デブじゃねーか。練習帰りか?」
「こんなところで何やってるの?」
ぼくが聞くと、向こうのバンドメンバー二人が意味ありげにニヤニヤと笑った。
その向こうで、いつもは鮮やかな薔薇みたいな彼女が、トゲを逆立てた猫みたいな顔をして、どう見ても逃げるチャンスを窺っているようだった。
「もしかして、ナンパ?」
「ちげーよ!」
怖い顔をして葛尾くんが笑う。
「スカウトだよ、スカウト! デブも知ってんだろ? この女……」
もちろん知ってる。
ぼくの憧れの女性なんだ。
「高原さん……だよね」
彼女の名前を、彼女の顔を見ながら、口にした。
「高原麻梨乃さんだ」
高原さんが、ぼくの顔を、サッと振り向いた。そして、びっくりしたように声をあげた。
「なんで知ってんの?」
「あ……」
テレテレと頭を掻くしか出来なかった。
そりゃそうだ。知らないデブから一方的に名前を知られてたら、怖いよな。
「このデブ、麻梨乃ちゃんに気があんだよ」
葛尾くんが余計なことを言う。
「コイツもバンドやってんだ。ヘニョヘニョした音出すバンドでよ」
紹介されながら、ぼくは舞い上がっていた。
憧れの高原さんがこんなにすぐ近くに立っていることに。
すっごい顔が小さい。
ぼくの半分ぐらいの細さで、でも胸はぼくよりもデカそうだ。
色が白いな。
外ハネのミディアムショートは真っ黒なのに重くない。ウェーブがまるで黒い薔薇みたいで素敵だな。
「まあ、麻梨乃ちゃんは、そんなヘニョヘニョしたコイツのバンドより、ビシッとした俺のバンドが似合うよ」
葛尾くんの『スカウト』の意味がわかった。
「なあ、ウチのボーカルになってくれよ。俺らが組んだら絶対いいとこ行けるぜ?」
「ふ〜ん」
高原さんは葛尾くんにではなく、ぼくに言った。
「あんた、あたしのこと好きなの? じゃ、今、このしつこい野郎からあたしを助けること、出来る?」
高原さんにそう言われて、ぼくはさらに舞い上がってしまった。
そんなこと、簡単なんだ。でも……。まあ……、いか。
葛尾くんのバンドのベースの人がタバコを吸っていた。
コンビニの外に設置されてる灰皿に、灰を落としていた。
ぼんっ!
灰皿が内側から音を立てて小さく爆発した。
「うおっ!?」
「はあ!?」
「なんだ!?」
葛尾くんたちが驚いて振り返っている隙に、ぼくは高原さんの手を握っていた。
「逃げるよっ!」
お肉を揺らしてぼくは走った。
右手は高原さんの手と繋いでいた。
葛尾くんたちが追いかけて来る気配はなかったけど、ぼくは彼女の手を離さないように、ぎゅっと握りしめて、全力で走った。
「デブくん……」
心臓が張り裂けそうだったけど、夢中で走った。
「デブくんっ!」
高原さんの声に、ようやく我に返った。
周囲を見ると賑やかな通りだった。
明るく照らされたクリスマスの夜の中をたくさんのカップルが幸せそうに歩いていて、ぼくら二人もまるでそのうちの一組みたいになっていた。
立ち止まったらちょうどサンタクロースの前だった。赤と白の衣裳に身を包んだ白ひげのおじさんが風船を配っていた。
「デブくんお疲れさん。よかったら、これをどうぞ」
サンタから風船を持たされた。
ハァハァと荒い息を整えながら、風船を持ったまま、振り返った。葛尾くんたちは姿もなかった。
「デブくん……」
高原さんも息があがっていた。
「さっきの……」
「あっ! ごめんなさい!」
手を繋いだままだった。
慌てて手を離した。高原さんの綺麗な手がデブの汗で臭くなってしまわないように。
「さっきは……ありがとう。アイツらしつこくて……。それに……」
「あっ。いいよ、お礼なんて。なんか灰皿の中に爆発するものが入ってたみたいでさ、ちょうどそっちにみんなが向いたから……」
高原さんが顔を上げて、ぼくの顔をまじまじと見た。
クリスマスのイルミネーションに彩られて、いつも遠くから眺めている彼女も綺麗だけど、今夜は特別な、この世のものではないようなその美しさに、ぼくもまじまじと見つめ返してしまった。
「さっき……」
高原さんが興味深そうに言った。
「どうやったの?」
「えっ?」
「見てたよ? あたし。あなたのことを見てた。あなたが灰皿のほうを向いた、その直後に、灰皿が爆発した」
「えーと……」
「デブくん……」
高原さんが、風船を持ってないほうのぼくの手を、両手で挟み込んだ。
「超能力者なの!?」
いや、知られるわけに行かない……。
ぼくがほんとうは、この世を滅ぼせるほどの能力をもったデブだなんて、たとえ高原さんにでも、知られるわけにも行かないんだ。
でも高原さんの手、気持ちいいな……。