教師はかたる
命を奪うというのは、酷く罪深い行いで、そうそう許されるようなことではなくて、もしそれをしてしまったのならきっとそれから先、一生そのことがつきまとって離れない。
そう思っていた。
「……」
そう、思っていたのだ。
「…………」
命を奪うというのはそれだけ重たいことで、それだけ責任の伴うことのはずだ。
日常とは相容れず、それ一つでこれまでの全てが変わってしまうほどに大きなことのはずだ。
「…………」
だから、吐き気を覚えた。
だから、手が震えた。
「…………気持ち悪い」
なのに、いざ命を奪った先にはなんの感情もなかった。
そんなはずはないのに、そんなことがあっていいわけがないのに。
目の前で倒れている生き物の成れの果てを、ただの死体としか見ることができない。
罪悪感も悔恨の念もまるで湧いてこない。
どこまでも心が冷え切っていくのを感じた。
それが、気持ち悪くて仕方がなかった。
「命を奪っておいて、何も思わないなんてまともじゃない……」
「うん、そうだね。その感覚は、まともな人間として生きるのなら体に刻み込んでおかないといけない」
あるべき姿と現実との差異に込み上げた吐き気を抑えるように絞り出した言葉は先生によって拾われた。
反射的にそちらに視線を向けると、いつになく先生は真面目な顔をしていた。
「命を奪うことに抵抗感のない輩というのは一定数いる。そして、そいつらはどいつもこいつも揃って人の形をしただけの化け物だ。だから、何をしようが罪悪感なんてまるで感じないし、そのことに違和感も覚えない。……きっと、君は今自分がそうなんじゃないかと思っているんだろうね。でも、断言できるよ。君は決して今私が言ったような化け物ではありえない」
「……。……でも、今も何も感じない。本当に、何もないんです。俺は……」
「……」
慰めの言葉を素直に受け取れるほど大人ではない。他ならない自身が自分の異常性と向き合っているのだから尚更だ。いっそ、化け物と罵られた方がまだましだ。
けれど、先生は俺の言葉なんてまるで最初から分かっていたかのように小さく微笑むと、一瞬迷うような表情を見せた後、それ以上迷うことはなくはっきりと言葉を続けた。
「……私達は何かしら精神に干渉を受けている可能性がある。平たく言えば、洗脳されているかもしれない。だから、君は君が思うような罪悪感を感じることができていないんだ。……そして、それをすることで得をするのは誰だろうね」
「……は?」
慰めるための嘘。
その疑念は先生の表情に立ち消える。
「…………少なくない犠牲を払って召喚した異世界人が命を奪うことに抵抗があって使いものにならないというのは、きっと避けたいことでしょうね」
そして、理解が追いついた。
先生の言うように、何かしらの精神への干渉を受けていたとして、それをして得をするのは誰か、それが可能なタイミングはいつか。
考えてみるとすぐに答えは出た。
魔王を殺すための兵器として召喚されたのだ。当然、それが精神的な理由で戦えないなんてことは起きないように手は打っているはずだ。何しろ、彼らが異世界人を召喚するのはこれが初めてではないのだから。
「うん。この様子だと他にも色々されてるのかもね」
「……かも、しれませんね」
気持ちの良いものではない。
知ったところでどうにかできるような話ではないし、むしろ知らない方が気分良く日々を過ごせたまである。
ただ、そうだとしても知った以上、できることはしなければいけない。
例えば──
「まぁでも、かもしれない、な部分は一旦保留だね。それよりも今は罪悪感が希薄になっている部分、そういうことが起きているって自覚をしておくことが大事だと思う」
「はい、同じ意見です」
確証のない話を続けても仕方がない。
であれば現時点ではっきりしていることに時間を割くべきだ。
そして、その点において先生と俺の意見はどうやら一致していたらしい。
罪の意識が希薄になっていることそれそのものも問題ではあるが、一番の問題はそのおかしな状態が継続することで当たり前になってしまうことだ。
他者を傷つけて何も感じないようになってしまっては兵器としては満点でも人間としては赤点もいいところだ。
「正しく人間でありたいのなら、命あるものを傷つけることに罪悪感は覚えられないことは異常と知るべきだよ。たとえ、罪悪感の有無に関わらず命を奪うとしても。それができないのなら、そのことを疑問には思うべきだ」
「……」
「だからね、君が気持ち悪いと言ってくれたとき私は嬉しかったよ。……君が君でよかった」
「なんの疑問もなく、すんなり受け入れられたなら、それはそれで幸せだったんでしょうね」
「それは無理だよ」
「なぜです?」
「君が白鷺零だから」
そう言うと先生は歩き出した。
置いて行かれまいと慌てて背中を追いかける。
追いついた先生の横顔は小さく笑みを浮べていた。




